ひなたぱん

天然酵母ぱんと過ごす、のんびり日々の記録です

ありがとうございました。・・・です。

2022年05月31日 | 日記
2022年5月31日日火曜日


娘の結婚式を理由に、 5月 ひと月 ぱん仕事のお休みを頂いておりました。


未熟な私達夫婦が、 色々な時を経ながら32年、 育てた娘でした。

私は お恥ずかしい程に、 良い母 ではありませんでした。 

私自身、 生きる事に不器用で、 良い時ばかりではありませんでしたし、 母の私が生きる事に迷い 苦しめば、 娘たちにそれが降りかからない訳がありません。

若い時の主人も、 生きる事に必死で、 私達の生活の為に、 家庭どころではありませんでした。

実家は 遠く、 近くの主人の両親は、 もっと近くに嫁いだ義妹夫婦との繋がりが強く、 「 私達一家どころではありません。 」 の現実の中、

群馬から東京の会社に通勤する主人をに送った後は、 いつも、 いつも、 ここ、 群馬での子供達との生活 しか、 ありませんでした。

山に囲まれたこの環境も、 「 自然が美しい。 」 と感じられる様になったのは、 本当に つい最近で、 

一人で子育てをしていた若い頃は、 いつも、 いつも、 「 誰も知り合いの居ない、 助けてくれる人も居ない、 八方ふさがりの 抜け出せない穴倉での日々。 」 だと感じていました。

義父も義母も、 とても良い方達ではありましたが、 兎に角、 兎に角、 自分の娘が大好きで、 「 今どきは、 女親の方に着くのさ。 」が口癖でした。

だから、 実家が遠方の私は、 時折 主人の実家に訪ねても、 そこには、 いつも、 いつも、 いつも、 キャリアウーマンの主人の姉が預けるお子さんと、 主人の妹夫婦とそのお子さんが居て、

私と子供たちの居場所は、 全くありませんでした。 主人の母は、 本当に、 自分の娘さん達の事をする事が生きがいの方でした。。。

と、 同時に、 子供の育て方にも拘りが有った私は、 おじいちゃんおばあちゃんに子育てを任せる事も苦手で、、、、 

だから、 いつも、 未熟で出来損ないの母の私は、 未熟ながら、 生きる事に足掻きながら、 主人と二人で、 娘たちを育てました。

情けない、 反省する事ばかりの子育てでした。


5月14日の 良い日に、 娘は嫁いで行きました。



母親としての仕事。 ベールダウンをさせて頂いた時、 「 何か一言、 お嬢様にお声をかけてあげて下さい。 」 と言われた時、

ベールを下げながら、 「 おめでとうございます。 」 の言葉の後に、 「 大好き。 大好き。 大好き。 」 絞り出すようなそんな言葉しか出ませんでした。

精一杯 未熟ながら、 足掻きながら、 生きる事に悩みながら、 それでもやっぱり、 精一杯の時間を、 自分なりに過ごした事を感じました。

ごめんなさい。 下らない事を書き過ぎました、、、、

只、 人は、 自分の未熟さや、 不完全さや、 出来損ないさや、 ダメさ加減を痛感すればする程、 なおさら、 自分にダメ出しをして、

そこから一歩でも前に進める様に 足掻くのだとおもいます。

私は、 いつも、 いつも、 自分の全てにダメ出しをして、 足掻き、 迷い、 苦しむ時間を過ごしていました。

パン焼きも そうでした。

SNSからは、 溢れる程の情報が発信され、 何を見ても、 どこを見ても 素晴らしい物は存在し、 足掻いても、 足掻いても、 その足元に及ぶ事はあり得ませんでした。

そうして、 いつも、 いつも、 自分のダメさに悩み、 自分を叱咤激励し、 山ほどの本と学びと練習に追われ、 パンを焼いては反省し、 週一しかないパンの取り組みでも、 

追われる思いに 寝る事が出来なくなって、 睡眠障害に悩まされる日々でした。

そんなに苦しみながらも、 やっぱり、 情けない程に、 パン焼きは上手にはなれず、 お菓子も自慢できる物も無く、、、、、

苦しくて、 苦しくて、 結局、 娘の結婚を理由に お休みを頂戴しました。









姓が変わってしまった娘を思う時。

30歳すぎて、 「 大学院に進みます。 私は、 お母さんから離れても、 私を精一杯活きます。 」 宣言をした次女を思う時。


ポンコツな私だったけれど、 ちゃんと 活きてこれていたんだ。 と、 初めて、 自分の人生に、 「 よく頑張ったね。 」 と、言う事が出来ました。


そうして、 それと同時に、 「 もう、 頑張らなくても良いんだよ。 」 「 足掻く必要は、 無いんだよ。 」 ともささやく事が出来ました。

これまで生きて来て、 人生、 初めての経験でした。


それからはもう、 好きなだけ意味のない ザッハトルテを焼き続け、 パン焼きも、 のんびり、 一種類だけを、 家庭用オーヴンで焼いて楽しんで、

ワインを呑んで、 温泉に浸かり、 結婚式を機に、 コロナ禍出会う事の出来なかった姉妹でおしゃべりを楽しんで、 我が家に泊まってくれた姉と、 本当に長い事お喋りをして、

薬を服用しなくても眠れる様になって、 窓から差し込むお日さまの眩しさで目を覚まし、 眠れない時は、 のんびり深夜番組を楽しんで、

眠る為に薬を飲んだり、 ワインをがぶ飲みする生活からも離れ、 ポンコツ そのままで、 生きておりました。


5月14日。 娘の結婚した日。 

娘の 姓が変わってしまった日。

私の生き方も変わった日。

その後、 脱力感と疲れでダウンし、 それでも、 人生観が 全てに於いて、 変わった日。

「 良い人生だった。 」 「 ポンコツなりに、 頑張った。 」 と、 自分にOKを 出す事が出来た日。

「 もう、 頑張らない。 」 「 頑張れない。 」 と、 線を引けた日。

「 ポンコツ、 上等。 」 って、 ポンコツの、 自分のままを許せた日。

薬を飲まずに眠れる様になった日。

相変わらず、 ワインを楽しむ自分であった日。

自然のままで、 パン生地の状態に合わせた、 小さな、 小さな パン焼きに取り組む様になった日。


人生観、 全てが 変わった日。 

それを 私に与えてくれたのは、 未熟で、 ポンコツで、 出来損ないだった母である私が育て、 作りあげた子供達でした。

それを お与えくださった神様と、 見守ってくれた義父と、 今でも優しく見守ってくれる貞太郎と(私は、亡父の事をいつも、そう呼んでいました)、 全てに、 全てに、 感謝しています。

私は、 これが、 全てです。 もう、 これこれ以上は出来ないし、 本当に、 これで、 精一杯なのです。





小さな 我が家の山小屋です。

大好きな、 高山村にあります。





目の前は、 高山村中学校で、 眺めは全く良くありません。

山も見えません。 大きな中学校の校舎しか見えません。

元 農機具小屋の、 崖下の小さな小屋です。

誇る物も、 自慢する物も、 なーんにもありません。

そこで、 世界で一番小さくて、 世界で一番ノンビリで、 世界で一番ポンコツな パン教室を持ちたいと、 今、 思っています。


一番 ポンコツを目指したいと、 人に笑われる程度で有りたいと、 思っています。



ポンコツでも、 笑われても、 馬鹿にされても、 評価されなくても、    私は、 私に、 「 OK 」 を、 出す事ができたから、、、、


あのね、 自分に 合格。 大丈夫。 を、 出せるのは、 自分だけ。 だと、 この歳で初めて知りました。


そうして、 そんな時、 全てに、 「 ありがとうございます。 」 と、 呟きます。



やっと、 自分に、 「 頑張ったね。 」 と、 言えました。   ありがとうございました。


明日は、 木曜日ぱんやさんに向けての仕込みの日です。

ポンコツ宣言の私は、 久方振りの仕込みに、 自信は全くありません。



本当は、 色々な事を見直して、 考えて、 修正しなければなりません。

材料は、 益々 値上がりし、 手に入りにくくなって来ました。

「 パン焼き上手になりたいです。 」 ってな 取り組みだけでは、 やれなくなってしまいました。


今日は、 ワインを楽しんで、 これで、 休みます。


明日の事は、  明日、  考えます。。。。


やれなければ、 やれないでも 良い程度の人生。  だもの。。。。  ですよね。
 

ってな、 下らない事を呟いて居たら、 5月は既に終わりを告げ、 新たな月に突入しておりました。


明日も、 「 自分なりに 生きて行こう。 」 と、 おばちゃんの私でも 思っております。


今は、 全てに 「 ありがとうございました。 」 です。


コメント
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