著者は宗教評論家。わたしより3歳年長である。人生感覚としてはほぼ同年齢と思ってもいい。
書名を見てすぐに買ってしまった。それは、長生きが必ずしも100%喜ぶべきことだとは思わないところが共感できそうだったから。そのほか結論としては私もそう思う、というところも多い。
たとえば、
「老人の仕事は若者たちに、若者たちが持っていない知恵を教えることである」
などはその一つである。
たとえば、《うまく言えないけど絶対それは間違ってるよ》ということが、70年、80年と人生を経験してきた人ならば言えることがある。それは確かだ。
でも、
「で、現代日本の老人たちは、そのような老人の仕事をやっていますか? やっていませんよね。自分の権利ばかり主張し、若い人たちの利益をくすねている。口を開けば若者の悪口を言っている。結局は、若い人たちの足を引っ張っているのです。それを老害といいます」
と言う。
これを読むと「ほんとにそうか?」 と思う。
マァ、確かにそういう一面はあるだろう。しかし、今の老人は知恵を持っていないと言われると、わたしでも反論したくなる。それは老人の知恵を活用できるような社会のシステムが崩れてしまっているからだ。家庭は核家族が多く、老人だけの世帯あるいは老人のひとり暮らしだって多い。
そういう社会で若者に知恵を授ける「場」というものがあるだろうか? それに、権利を主張することが若い人の利益をくすねることになるのだろうか。多くの老人が若い人たちの悪口を言っているのだろうか。足を引っ張っているのだろうか。
権利を主張することがなぜ悪いのか。それよりも権利を主張するとそれをバッシングする風潮の方が大問題ではないか。だから利用できる支援も利用せず我慢して、自分だけで抱え込み、ひとり寂しく死んでいく老人が多いのだ。
でもマァ実際にそう言われるような老人がいないわけではない。少なからずいるだろう。でもこの本を読むと、多くの老人あるいは老人全体が若い人の邪魔をしているかのように読める。
こういう違和感、居心地の悪さ・・・・・いったいこれは何だろう?
そんなことを思いながら読んでいった。
そしてハタと気がついた。
これは、坊さんの説教と同じではないか!? 一方的な価値観・見方を押しつけられる感じなのだ。
私はお寺の坊さんの説教は好きではない。ありがたい話だと思えることもない。むしろ早く終わってほしいと言った方がいいかもしれない。(← このバチ当たり!)
そんなわけで、わたしにとってはついうっかり買ってしまった本でした。
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