病気の「おかげ」で今がある

回復に時間のかかる精神障害 絶望したくなる時も… でも今仲間と悩み・喜びを共有できる こんな生活も悪くないか…

体の痛みは心の痛みである・・・・・五木寛之 「ボケない名言」より

2020-08-29 | 個人的つぶやき

サンデー毎日8.30号の巻末に連載されているコラムが目に止まった。

  「痛みを猫かわいがりするのはいけない」 

大阪大学医学部・柴田政彦教授の言葉だという。五木氏は慢性的な体の痛みを抱えておられる。こういう痛みは、時として生きているのがいやになるほど厄介なものだという。痛みと脳のはたらきとは密接な関係があるらしく、慢性化してくると痛みを治療することが生き甲斐みたいになってくるそうだ。

そのことについて柴田教授は、「痛みを猫かわいがりするような風土がよくない」と言われたそうだ。五木氏はご自分の脚の痛みは、心の痛みを体の痛みにすりかえている、一種の心理的な代償行為ではないか。そのほうが楽なのだろうと。

これを読みつつ、わたしは、うつ病で精神科を受診する人は、それ以前に別の科(内科とか整形外科とか)を受診している場合がとても多いと聞いたことを思い出した。実際、『その痛みは「うつ病」かもしれません』という著書を書かれた精神科医もいる。本の帯には「治らない体の不調は「こころの病」の症状だった!?」と書かれている。

五木氏は「深い心の痛みを背負って生きるより、身体的な痛みの方が楽なのだろう」と言われている。

実はわたしは一か月ほど前、古い資料を保存するか・破棄する(シュレッダーにかける)かという仕事を半日続けたことがあり、翌日から首が凝ったように痛くなってしまった。下向き加減で続けていたためだろう、そのうち治まるだろうと思っていたのだが、今もなお治まっていない。やっぱり!?  気持の不調が首の痛みに表れたか。     


軟禁4か月 !?

2020-08-25 | 個人的つぶやき

最近の状態をふりかえってみたい。

まず、ここ数か月どうも気分が優れない。「自宅軟禁」という言葉が浮かぶ。「自粛」ではなく。
自粛だったら、自分みずからが決定・決心し、実行することだから、こうはならないのではないかという思いがある。

とくに高齢者はいったんコロナに感染したら命にかかわる可能性が大きいということで、感染を避けるため、そして自分が感染を広めないためにも、不要不急の外出は控えるようにということで、それに従っているわけだ。自粛の要請に応えている形だ。

でも、「自粛の要請」って・・・・・なんか矛盾してないかな?。たしか東京都知事の小池氏もしょっちゅう言っていて、(わたしは都民ではないけれど)こういう事態だからしょうがないよね、とは思うのだけれど。

さらに私の場合、この時期に退職したこととも重なっている。(退職時期はコロナ以前から決まっていたことだ)  コロナ、高齢、リタイアである。コロナ禍による外出自粛(友人・知人との交流制限)、退職による仕事の終了、そしてベースに高齢というのがある。

もちろん今までに経験したことのない環境の変化だ。

75年前、小学校(当時は「国民学校」と言った)というところに入ってから、毎日毎日通い、授業を受け、同級生たちと交流し・・・・・という生活が高校卒業まで続き、卒業と同時に就職し、電車で東京に通勤し仕事をした。

多くの人はそういう生活が退職するまで続くのだろうが、私の場合は30歳近くで退職し、そのあと自営業で学習塾を始めた。それが70代半ばまで続き、65歳からは並行して障害者の社会復帰支援の仕事(作業所)を今年の6月まで続けた。

6歳から81歳近くまで常に身近に家族・学校の友達・会社の同僚・塾の生徒、その他生活の必要上多くの人たちとかかわりあいながら生きてきた。ほとんどの人はこうして暮らし、生きているのだと思う。

常に存在していたそのような他者とのかかわりが「コロナ」と「退職」により断ち切れた状態(家族以外)が今のわたし、なんだよね。今まで感じたことのない感じ。不思議な感じだ。

これまでは、朝起きて洗顔、食事、身支度という、一連の「やること」のあと、平日なら学校や仕事に行くという行動があり、休日なら仕事に行かないという一日があった。

それが今年の3月あたりから「コロナ」のために変わってきた。作業所の仕事は年齢のこともあり、週二日勤務になっていたが、4月7日からはコロナの緊急事態宣言もあり、高齢である私は自分の感染・他者への感染両方を防ぐ意味から自宅待機(不要不急の行動自粛)になったわけである。

単に仕事をしないというのでなく、行ってみたいと思うところへ行き、会って話したい友人知人と交流を深め、たまには食べたい外食も・・・・・という「自分のしたいことが自由にできない」状態である。75年間続けてきたことができなくなったということだ。

何か月もたって最近やっと「軟禁状態」という言葉となって意識されるようになったわけである。

ただ、こういう状態が続くと、人はからだに何らかの不調を来すことが少なくないようだ。

本屋やネットで見ると、『コロナうつかな?』とか『1日誰とも話さなくても大丈夫』、『感染を恐れない暮らし方』、『免疫力』、『コロナうつはぷかぷか思考でゆるゆる鎮める』、『パンデミックブルーから心と体と暮らしを守る50の方法』『こんなに怖いアフターコロナ心の病』等々様々な本があるようだ。

自粛生活のため、体調を崩している人が少なくないらしい。わたしだけではない。


西町緑地(追記8/14)

2020-08-11 | 個人的つぶやき

散歩が厳しくなってきました。午前15分、午後20分という楽な基準を設定し、年齢・暑さ等を考慮して、絶対ムリしないと決めて毎日行っている散歩なのですが、ここにきて暑さがハンパじゃない。昨日・おとといはとりあえずクリアしたけれど、今日8月11日(火)の夕方は4時で37℃、5時でも35.7℃。さすがに決行するのはやめておきました。

散歩の中心は、家の近くの「西町緑地」という小さな公園で、樹齢百年ほどもあろうかという大木が数十本林立していて、ありがたい木陰を作ってくれています。なぜ樹齢百年と言えるのかというと、わたしが子どものころ、ここで木登りやセミ取りなどをして遊んだところなのです。今では大人が二抱えもありそうな太さになっていますが、昔はちょうど子どもが木登りをするのに手ごろな太さなのでした。

ここはもともと逓信省(日本電信電話公社の前身)の無線受信所の敷地内でした。父がこの受信所に勤務しており、私たちはその官舎(社宅)に住んでいたのでした。敷地内は子どもたちが自由に入って遊ぶことができたのです。大らかな時代でした。昭和20年代です。受信所はその後日本電信電話公社の廃止とともに取り壊されましたが、樹木はそのまま残り、敷地の中には保育園ができています。

歩いていると、セミが羽化のため這い出てきた穴がいくつもいくつも地面に開いています。近くの木を見上げると、羽化したあとの抜け殻が複数残っていたりします。ときどき成虫(もっぱら「アブラゼミ」ですが)も木にとまっています。

リンク付きサムネイル

もちろん親ゼミが ガヤガヤ ガヤガヤとうるさいくらいに鳴いています。(アブラゼミなのでそのように聞こえます)

これは抜け殻です。今にも動き出しそうです。

(追記・8/14) 朝9時前、歩いていたときミンミンゼミの鳴き声がしていました。聴いていたら、補聴器から何やら反応が・・・・・。「ミ~ン、ミン、ミン」に合わせてバイブレーションのような響きが聞こえてくるのです。周波数が反応しやすい領域なのでしょうか。ミンミンゼミの鳴き声と補聴器のコラボレーションなんて、聞いたことある人、誰かほかにいるだろうか、などと思ってしまいました。


たまにはバカなことも

2020-08-09 | 個人的つぶやき

きょうは猛暑日で熱中症の注意報(アラートと言うのだろうか)が出ている。単に気温が高いだけでなく、ムシムシする(湿度も高い)。夕方5時でも35度を超えている。

午後の散歩がまだだ。でもこの暑さじゃ、中止が当然、トシもトシだし。(ついこのあいだ81歳になってしまった。)

午前中はクルマで出かけて書店内を(大きな書店だが)歩いただけなので、まだ2200歩ほど。

たまにはバカなことをやってみてもいいか。

この暑さで歩けるかどうか試してみる。アッチッチと思ったらすぐ中止して引き返す。5分もつか、10分もつかわからないが、ヤバイと思ったらソク中断。それでいいじゃないか。

と、勝手に決めてスタートしてしまった。
外の風が熱い。だいじょうぶかな。近くの公園(緑地)まで1~2分。岩槻駅の西口通りを横断。日曜とはいえ電車に乗る人、降りて帰る人が歩いている。そっちの人の方が大変だろう。暑いからといって中断したら家に帰れなかったりする。

緑地の中は幾分暑さが和らぐ。でも朝9時ごろとはちがう。朝はハッキリと涼しい。でも夕方は温度差が朝ほどではない。

樹齢数十年という大木が、緑地の2/3から3/4ほどを日陰(木陰)にしてくれている。風も多少ある。よし。5分もつか10分もつか。

気がつくといつの間にか速足になっている自分がいた。別に急ぐことないのに。でも足は軽い。
犬を連れた散歩の人があちこちにいる。

日差しを避けながら緑地内を一周すると10分を過ぎていた。よし、この辺でよかろう。あとは暑い道路を歩いて家に帰るのみ。

結局15分ほど(1300歩)歩いてしまった。