最近の状態をふりかえってみたい。
まず、ここ数か月どうも気分が優れない。「自宅軟禁」という言葉が浮かぶ。「自粛」ではなく。
自粛だったら、自分みずからが決定・決心し、実行することだから、こうはならないのではないかという思いがある。
とくに高齢者はいったんコロナに感染したら命にかかわる可能性が大きいということで、感染を避けるため、そして自分が感染を広めないためにも、不要不急の外出は控えるようにということで、それに従っているわけだ。自粛の要請に応えている形だ。
でも、「自粛の要請」って・・・・・なんか矛盾してないかな?。たしか東京都知事の小池氏もしょっちゅう言っていて、(わたしは都民ではないけれど)こういう事態だからしょうがないよね、とは思うのだけれど。
さらに私の場合、この時期に退職したこととも重なっている。(退職時期はコロナ以前から決まっていたことだ) コロナ、高齢、リタイアである。コロナ禍による外出自粛(友人・知人との交流制限)、退職による仕事の終了、そしてベースに高齢というのがある。
もちろん今までに経験したことのない環境の変化だ。
75年前、小学校(当時は「国民学校」と言った)というところに入ってから、毎日毎日通い、授業を受け、同級生たちと交流し・・・・・という生活が高校卒業まで続き、卒業と同時に就職し、電車で東京に通勤し仕事をした。
多くの人はそういう生活が退職するまで続くのだろうが、私の場合は30歳近くで退職し、そのあと自営業で学習塾を始めた。それが70代半ばまで続き、65歳からは並行して障害者の社会復帰支援の仕事(作業所)を今年の6月まで続けた。
6歳から81歳近くまで常に身近に家族・学校の友達・会社の同僚・塾の生徒、その他生活の必要上多くの人たちとかかわりあいながら生きてきた。ほとんどの人はこうして暮らし、生きているのだと思う。
常に存在していたそのような他者とのかかわりが「コロナ」と「退職」により断ち切れた状態(家族以外)が今のわたし、なんだよね。今まで感じたことのない感じ。不思議な感じだ。
これまでは、朝起きて洗顔、食事、身支度という、一連の「やること」のあと、平日なら学校や仕事に行くという行動があり、休日なら仕事に行かないという一日があった。
それが今年の3月あたりから「コロナ」のために変わってきた。作業所の仕事は年齢のこともあり、週二日勤務になっていたが、4月7日からはコロナの緊急事態宣言もあり、高齢である私は自分の感染・他者への感染両方を防ぐ意味から自宅待機(不要不急の行動自粛)になったわけである。
単に仕事をしないというのでなく、行ってみたいと思うところへ行き、会って話したい友人知人と交流を深め、たまには食べたい外食も・・・・・という「自分のしたいことが自由にできない」状態である。75年間続けてきたことができなくなったということだ。
何か月もたって最近やっと「軟禁状態」という言葉となって意識されるようになったわけである。
ただ、こういう状態が続くと、人はからだに何らかの不調を来すことが少なくないようだ。
本屋やネットで見ると、『コロナうつかな?』とか『1日誰とも話さなくても大丈夫』、『感染を恐れない暮らし方』、『免疫力』、『コロナうつはぷかぷか思考でゆるゆる鎮める』、『パンデミックブルーから心と体と暮らしを守る50の方法』『こんなに怖いアフターコロナ心の病』等々様々な本があるようだ。
自粛生活のため、体調を崩している人が少なくないらしい。わたしだけではない。