病気の「おかげ」で今がある

回復に時間のかかる精神障害 絶望したくなる時も… でも今仲間と悩み・喜びを共有できる こんな生活も悪くないか…

やっぱり人としゃべらなきゃ、ね。

2020-09-29 | 個人的つぶやき

利用者さんの支援という仕事がなくなったため、他人と接する、話をするということがぱったりとなくなった。ただ、法人の代表理事という役目はなくならず、毎月一回顔を出すということだけは残っている。昨日(9/28)はその日だった。

まず地主さんと契約の話で先方のお宅に出かけた。ご主人と、奥さんも同席のうえ、契約の話はすぐ終わり、2~30分で帰るつもりがあっという間に1時間過ぎ、2時間も過ぎてしまったと思う。ご主人も奥さんもそして私も、とにかく話したくてしょうがないという感じで、話は途切れることなく続いた。

作業所に戻ればこの一か月間の様子、休みがちな利用者のAさんはどうだったか、新しく入ったBさんと他の利用者さんたちとはうまくやっているだろうか、野菜の生育状況・売り上げ状況は?などの話。気がつけば外は暗くなっていた。

ひと月ぶりに「話をした!」という実感。ホント、何と言ったらいいのだろう。人間というものは、人と接することで生きられる、言葉を交わすことで生きられると言っていいのだろうか。これまで実感したことがなかった。(コロナの「おかげ」という言い方はしたくないが・・・・・)

(すみません。書きかけのまま upload が遅くなってしまいました)

 


権現堂のコスモスは「準備中」?

2020-09-23 | 個人的つぶやき

肩のリハビリが終わった後、いつものようにこれからどこへ行こうかなと思い巡らせていたところ、オレンジ色のコスモスの花が咲いている景色が浮かんだ。クルマで走っていると最近よくお目にかかる。そうか、今はコスモスの時期か! じゃ、権現堂へ行こう。

単純な短絡思考。桜、菜の花、彼岸花、アジサイなど、管理の行き届いた美しさと豪華さで、行くたびにすごいなぁ、きれいだなぁと楽しませてくれる「権現堂堤公園」(埼玉県北東部、幸手市)。

岩槻からの日光御成街道は連休明けのためか交通量が多い。台風が近づいているため、ときどき雨が吹きつける。40分ほどかかって到着。ちょうど昼頃。駐車場は空いていた。

でも、パーッと目にオレンジ色のコスモス畑の広がりが入ってこない。
堤の上に上がってあたりをぐるりと見回してみたけれど、曼珠沙華(彼岸花)やアジサイの時のような「うわー、すごい!」という言葉も出てこない。

新しい案内板が立っている。お店も開店している。この辺りが中心だと思う。近くを歩いてみるが、これから咲き誇る曼珠沙華がちらほら咲き始めているだけというところだ。案内板をよく見てみるが、コスモスのことは書かれていないようだ。

もしかすると、(その時初めて思ったのだが)、コスモスは(まだ)アジサイ、曼珠沙華などのようには「花畑」としての管理になっていないのかもしれない。わたしの思い込みが先走ったようだ。 


自粛によるリスク

2020-09-08 | 個人的つぶやき

8月27日に買った「60代と70代心と体の整え方』という本(初版令和2年6月27日)、著者は精神科医の和田秀樹氏。まだしっかりと読んでなかったなぁと思い、ぱらぱらとページをめくっていたら、あとがき(5月)の中でコロナにふれている部分があった。日頃わたしが感じていることと重なるところが多いので、引用してみたい。(少し長めですが)

「本稿の執筆が終わりに近づいてきた三月、突然中国の武漢で新型コロナウィルスが発生しました。当初、このように全世界を巻き込んだパンデミック(大流行)につながるとは誰しも想像していなかったと思われます。(中略)現在のところ、対コロナウィルスのワクチンはありません。したがって、各国の主要な防疫策は古典的な隔離政策です。
 ただ、日本を例にとると2020年(令和2年)5月20日現在、死亡者数は約700人です(9月6日現在約1300人・・・小林)。今後増えることも予想され予断は許されませんが、インフルエンザによる死亡者数は年間3000人以上、交通事故による死亡者数も年間3000人以上、年間自殺者数は3万人以上、といったデータと比べると圧倒的に死亡者数は少ないのです。こうしたデータは知っておくべきでしょう。つまり、顰蹙を買うことを恐れずに言えば、今回の新型コロナウィルスによる肺炎も、その程度の病気だとという言い方もできます。
 現在、流行語ともなっている経済活動や移動の「自粛」と、自宅に籠って外に出るなという「ステイホーム」、こうした政府や自治体の要請は日本社会固有の同調圧力と相まって感染の抑止に一定の効果を上げているようです。半面、このような状況は高年者にとって鬱病や認知症の発症、歩行能力の衰退などのリスクを生じさせる最悪の環境でもあります。極めて低い確率の「死」と、緩やかに進行する多くの「死」は、果たしてどちらがより深刻であるか考えてみる必要があるように思われます。
 もちろん感染の抑制は重要ですが、「自粛によるリスク」の軽減も同じように重要なのです。」(下線 小林)

わたしとしては「よく言ってくれた」というところだ。特に高年者(高齢者)にとっては自粛の要請をコトバ通りに受けとって生真面目に守り、人と会わず、行きたいところへ行くのも我慢し、たまに外食でうまい焼肉でも・・・と思っても同調圧力を感じ取りぐっとこらえてしまう。そういうことを繰り返していたら、気持はどんどん内面を向いていってしまう。

だから著者も忘れず付け加えている(下記)

 「人が極度に密集する場所を避ける、マスクをつける、外出から戻ったら手を洗うといった基本を淡々とこなしながらも、毎日一度は外に出て陽の光を浴びるように自分の頭で考えて」

そうだ自分の頭でしっかりと考えて行動することだ。基本は意識しながらも。
ボーッと生きてるんじゃねーよ! とチコちゃんに叱られないように。