病気の「おかげ」で今がある

回復に時間のかかる精神障害 絶望したくなる時も… でも今仲間と悩み・喜びを共有できる こんな生活も悪くないか…

(やっと)「10周年」を振り返る

2014-10-18 | 「ひな」の日々

 

    

  

「盛況でしたね。みなさん大勢来てくれて!」・・・・・メンバーの家族
 


 
「立派な記念誌ですね。10年の歩みが手に取るようにわかりました」・・・・・関係機関の人
 


「『ひな新聞』、コピーしてみんなで読みました。メンバーさんたちの書いた文にすごく感動しました。ぜひ作業所を見学したいと思います」・・・・・近隣の家族会の人たち

 

イベントが終わって数日経って反響が帰ってきました。(それまでは「終わった~」というただそれだけで、気がつくと数日が過ぎていました)
忙しかったです。

 

あとから思えば欲張りすぎたかな、と思うほどあれもこれもと企画してしまいました。 
 

10年間の歩みを展示・説明するパネル作成(12枚)、当事者を講師にお願いしての講演会、焼きそば、カレー、フランクフルトなどの模擬店販売、10周年記念誌の編集・発行、メンバー版「ひな新聞」の発行・・・・・これらすべて9月21日を目指して準備を進めてきました。6月頃の決定で、7月初めにはパネル作成などとりかかっていました。

 

 準備にかけた時間は3か月。できるだけメンバーに関わってもらうようにしたことで、スタッフだけのイベントにならなかった。それが最大の収穫だったと思います。
 

みんなお疲れさま!

 


本『こんな長寿に誰がした!』ひろさちや著 青春新書

2014-10-16 | マイ ライブラリー


 著者は宗教評論家。わたしより3歳年長である。人生感覚としてはほぼ同年齢と思ってもいい。
書名を見てすぐに買ってしまった。それは、長生きが必ずしも100%喜ぶべきことだとは思わないところが共感できそうだったから。そのほか結論としては私もそう思う、というところも多い。

たとえば、
老人の仕事は若者たちに、若者たちが持っていない知恵を教えることである
などはその一つである。
たとえば、《うまく言えないけど絶対それは間違ってるよ》ということが、70年、80年と人生を経験してきた人ならば言えることがある。それは確かだ。
 

でも、
「で、現代日本の老人たちは、そのような老人の仕事をやっていますか? やっていませんよね。自分の権利ばかり主張し、若い人たちの利益をくすねている。口を開けば若者の悪口を言っている。結局は、若い人たちの足を引っ張っているのです。それを老害といいます」
と言う。 


これを読むと「ほんとにそうか?」 と思う。
マァ、確かにそういう一面はあるだろう。しかし、今の老人は知恵を持っていないと言われると、わたしでも反論したくなる。それは老人の知恵を活用できるような社会のシステムが崩れてしまっているからだ。家庭は核家族が多く、老人だけの世帯あるいは老人のひとり暮らしだって多い。


そういう社会で若者に知恵を授ける「場」というものがあるだろうか? それに、権利を主張することが若い人の利益をくすねることになるのだろうか。多くの老人が若い人たちの悪口を言っているのだろうか。足を引っ張っているのだろうか。


権利を主張することがなぜ悪いのか。それよりも権利を主張するとそれをバッシングする風潮の方が大問題ではないか。だから利用できる支援も利用せず我慢して、自分だけで抱え込み、ひとり寂しく死んでいく老人が多いのだ。

でもマァ実際にそう言われるような老人がいないわけではない。少なからずいるだろう。でもこの本を読むと、多くの老人あるいは老人全体が若い人の邪魔をしているかのように読める。
 

こういう違和感、居心地の悪さ・・・・・いったいこれは何だろう?
そんなことを思いながら読んでいった。


そしてハタと気がついた。


これは、坊さんの説教と同じではないか!? 一方的な価値観・見方を押しつけられる感じなのだ。

 

私はお寺の坊さんの説教は好きではない。ありがたい話だと思えることもない。むしろ早く終わってほしいと言った方がいいかもしれない。(← このバチ当たり!) 

 

そんなわけで、わたしにとってはついうっかり買ってしまった本でした。

 


皆既月食

2014-10-13 | 個人的つぶやき

 

もう一週間過ぎてしまったのだが、その晩は仕事から帰って寝るまで、月食とのお付き合いだった。

夕方のテレビを見ていたら、ぼちぼち欠け始めるというので空を見上げる。下の方が欠けている。時間がたってまた見るともう半分以上欠けている。でも写真に撮ってみると単なる三日月だ。

 


夕食を食べているともうすぐ皆既月食だという。あわてて外を見る。三脚は使いにくいので窓辺で手で支える。カメラはフツーのデジカメ。ただ望遠は30倍になる。目一杯引っ張るので、なかなか視野に入ってくれない。どこだ、どこだ…と空を探し回る。また、どうしてもブレてしまう。
 



でも、こんな感じで収まってくれた。そして皆既の真ん中はコレ。↓
 


赤黒いボールという感じ。

 

さて、カメラに収めた画像は直接 iPhone に転送できると、取扱説明書には書いてあるのでやってみた。アプリをダウンロードして・・・でもイマイチよく分からない。iPhone の画面がマニュアルどおりの表示になっていない。


手当たり次第にいじくっていたら、iPhone の方にカメラ内画像の一覧が出た。必要な写真を選択して(1回10枚まで)転送か何かのボタンを押したら一気に始まって、見事にiPhone に収まった!


ただ、その後ほかの写真を同様にやろうとしたらうまくいかない。

 


本『「食べてはいけない」「食べてもいい」添加物』(渡辺雄二著)

2014-10-11 | マイ ライブラリー

 

最近本を買うことが多くなった。お金に余裕がないのだから図書館で読めば・・・と思うのだが、旬(しゅん)のテーマについて書かれたものは新刊しかない。そういう本は図書館では何十人も予約待ちだから、順番が回ってくるまでには何か月もかかり、「ご用意できました」と連絡があったときには、ハテ何の本だったか?というほどタイミングが遅れるのである。


さてこの本、渡辺雄二著、大和書房。

食品別に
×「食べてはいけない」
「中間」
「食べてもいい」の例があげられている。


まず×「食べてはいけない」から見ていくと・・・・・

コンビニおにぎり   コンビニ弁当   菓子パン   サンドイッチ   カップ麺   インスタントラーメン    ウィンナソーセージ  たらこ・明太子  冷凍エビ  かに缶  オレンジ・レモン(外国産)  グレープフルーツ  ガム  栄養ドリンク  コーラ  炭酸飲料  豆乳  にぼし ・・・・・


「中間」

食パン(一部)  生そば・生うどん  生ラーメン  カレールウ  冷凍食品(とくに揚げ物は要注意)  刺身(加工品)  ちくわ・はんぺん  フルーツ缶詰  スナック菓子  チョコレート  アイスクリーム  あめ・キャンディ  クッキー・ビスケット  せんべい  だんご・大福・どらやき  缶コーヒー  ジュース類  スポーツドリンク  乳酸菌飲料  マーガリン  マヨネーズ  めんつゆ
 

 

「食べてもいい」

 

切り餅  スパゲッティ・マカロニ  うどん・そうめん(乾麺)  そば(乾麺)  豆腐  油揚げ  納豆  海苔・わかめ  バター  プレーンヨーグルト  インスタントコーヒー  醤油  味噌  酢  はちみつ  小麦粉 ・・・・・


これじゃ、安心して食べるものないじゃない? これってホントなの?
わたしは毎日のように昼食はコンビニ弁当、ときにはコンビニおにぎりも食べる。チョコレート、アメ・キャンディが好きで、朝食は高校生のときから食パンと紅茶を60年間食べ・飲み続けている。

困った。
で、考えてみた。 

今の時代は衣食住に事欠かない。わたしのような、戦後の物不足の時代に子どもだった人間にとって、今の時代はまるで天国である。あれが食べたい、これが食べたいと思えば、贅沢を言わないかぎり、すぐにでも腹一杯食べることができる。こんな時代は人類史上かつてなかっただろう。
 

服だって、好みに合わせて買い、季節に合わせて買うことができる。
昔は寒さがしのげるかどうかといった基準だった。好みやサイズや季節感など二の次・三の次。特に子どもは成長が早いから、(めったになかったことだが)新しい服を着るときはたいていダブダブの大きさのものだった。何年か着ているうちに合ってくるのだ。
 

今は、「生存する」(飢えや寒さ、病気などで簡単には死なない)という意味では、いい時代である。上の食品でも集中的に長期間食べ続けなければ、「今すぐ危険というわけではない」(どこかで聞いた言い回しだ)。
 

とくにわたしは後期高齢者である。危険な食品を食べたために寿命が縮まったとしてもわずかなものだろう。上の食品の中には奇形児が生まれる可能性のあるものも入っているそうだが、わたしはもう子作り、子育ては終わった。
でも、今子育て中の人、これから子育てする人、まだ働き盛りの若い人はどうだろう? 問題はそこだ。

 

私たちは安穏な生活と引き替えに、将来の危険性を甘受しなければならないのかもしれない。安全な食物だけを選んで食べる余地はない。そういう時代、そういう経済構造の中に生きているのだから。