病気の「おかげ」で今がある

回復に時間のかかる精神障害 絶望したくなる時も… でも今仲間と悩み・喜びを共有できる こんな生活も悪くないか…

今に残る任侠(?)

2021-08-29 | 個人的つぶやき

ネットで、ちょっと衝撃的な文を読んだ。プロ野球界の末期的症状について書かれたものだった。それはネットの「デイリー新潮」に掲載されたもので、プロ野球日本ハムの中田翔選手のことだ。

中田選手は、チームメイトへの暴力が発覚し「無期限出場停止」になったのだが、わずか9日後に巨人への移籍が決まると、「無期限出場停止」はすぐ解除され、試合にもすぐ出場し、(たしか)すぐホームランを打つなどの活躍をした。

ただ、ここでネットの筆者が気にしていることは、「中田翔の巨人移籍」と「無罪放免での即出場」が世間で強い批判にも会わずに放置されていることだという。

わたしもそれはおかしなことだと思う。中田選手はどこかの施設に300万円寄付したようだが、それで帳消しにできるとかいうことではない。

筆者は言う。世間からの強い批判がないのは「野球なんてどうでもいい」「巨人はもとからそんなチームでしょ」という社会認識があるからではないか、「もしそうなら、野球界全体の深刻な末期症状を言表している」と。

筆者自身は「少年野球・中学野球の指導に10年間携わって実感した」とのこと。そして「今も指導者たちは聞くに堪えない罵声や怒声を子どもたちに浴びせている。パワハラ指導が指摘され、だいぶ空気が変わったとはいえ、野球人たちの体質はなかなか変わらない。」「野球のユニフォームこそ着ているが、ニュアンスはどことなく任侠の世界を感じさせる」「今の若い親子はまさにこうした任侠チックな雰囲気を敬遠し、野球と距離をとろうともしている」。

う~ん、そういうことか。この「任侠チックな雰囲気」というのは私にもわかる。上意下達というか、先輩は年上というだけで威張り散らす。年上というだけでエライのである。もうずっと昔の話になるが、わたしは中1のときテニス部に入った。でも1学期もたずにやめてしまった。べつに先輩にいじめられたわけでもないが、「続けたくない」という気持が強くなってしまったのだと思う。なぜなのか、その時の気持は今となっては明確ではないが、部活というものを覆っている独特の空気というか雰囲気というか、そういったものだと言えると思う。

テニスでボールを打つこと、ボールの弾み、打ったときの音、うまくコート内に入ったときの嬉しさ・・・・そういった楽しさを感じて入部したのだが、そこにあったのは何か、それこそ空気としか言えない。もしかすると、何か古臭い昔ながらの人間関係にあるものだったか・・・

わたしは昭和21年に小学校に入学し、戦後の新しい価値観で6年間教育を受けて中学1年生になった。その新感覚が、部活を覆っている昔ながらの空気に反応してしまったのかもしれない。

昔ながらの「空気」、もしかするとその中に「任侠」ということばで表せるものが入っていたのかもしれない。

わたしはテニスをしたかった。うまくなりたかった。それは純粋にスポーツに引かれた気持だと言っていいと思う。でも、それを続けることをはばんだのは、任侠の衣をまとった昔ながらの精神だったのかも。そして現在でもそういう雰囲気・精神は広くスポーツ界に存在していると思う。残念ながら。

 

スクワット(完璧ではありませんが、とりあえず続いています)

7/21(水) ~ 7/27(火) ○○○☓○☓出勤日)○

7/28(水) ~ 8/3(火) ○○○○☓○○

8/4(水) ~ 8/10(火) ○○○○○○○

8/11(水) ~ 8/17(火) ○○○☓○☓☓(病院にて検査)

8/18(水) ~ 8/24(火) ○○○○○☓○