病気の「おかげ」で今がある

回復に時間のかかる精神障害 絶望したくなる時も… でも今仲間と悩み・喜びを共有できる こんな生活も悪くないか…

人生の意味

2012-08-28 | 所長のひとりごと 

  8月26日の夕陽です。

すっかりご無沙汰してしまいました。あっという間に8月も終わりに近づいています。

NHK Eテレでやっている「100分de名著」という番組で、V.フランクルの『夜と霧』を取り上げていました。

今から70年も前の話・・・と言ったら現実感がないでしょうか。実話です。

ユダヤ人であるというだけで強制収容所に入れられて、いつガス室に送られ殺されるかわからないという状況下に置かれた人間。自由を完全に奪われ、自分の命もいつ奪われるかわからないという極限状態の中で、それでも夕日を美しいと感じる力、外から聞こえてくる音楽に、あれは何という曲だっけと関心を持つ力、それが生きる力となるのだ、とわたしは受け止めました。

そういえば昨年の3・11当日、浦和の市民会館で講演会を聞いていた私たち(作業所のメンバー数名とスタッフたち)は、不通になった電車で帰ることができず、何時間も待ったあと、大渋滞の道路を満員のバスでいつもの3倍の時間をかけて岩槻から3~4キロ手前の「宮下」停留所までたどりつき、そこから1時間ほど岩槻駅に向かって歩いていました。

ふと気がつくとほのかに梅の香りが・・・・・「ほら、梅の花が咲いてるよ」と懐中電灯で上を照らしても、頭を上に向けた人はどれだけいただろうか、と思い出しました。(あとから聞いたら帰りたい一心で、梅の香りどころじゃなかったそうです)

そうなんですよね~。それどころじゃないんですよね。

でもそこで、「ああいい香り」と思えるかどうか。そのあたりを考えることに意味があるように思ったのでした。


6日間完走 !

2012-08-16 | 所長のひとりごと 

(きのう8/15の写真です)

 

(きのう、こう書いていた)

きょうでスロージョギング5日目。土日を含めたお盆休みもあと一日を残すのみ。はたして6日間毎日走ることはできるか?

 

(そしてきょう、今)

 まぁ、‘完走’ ですね。もう、‘くせ’ になっちゃった感じで、走らないと忘れ物をしたみたいです。
でも、休暇はきょうまで。明日からはまた日常が戻ってきます。(すぐまた週末ではないかって?) 土曜日は別の仕事があるし、午後はボランティアの月例会。日曜は法事。(母親が1月になくなったので「新盆」にあたる) そして月曜へと続くのです。 

十分休んだので、仕事モードに切り替えるのにふさわしいでしょう。
きょうは一日中何だか落ち着かない感じがしていました。それでクルマに乗りあてもなく走ってみました。あ、何か感覚が違う。すっかり休みモードになっているためか、スピード感覚とかいつもと違う。バイパスでオービスがあったのでスピードメーターを初めて意識したらたぶん80キロくらい? 60キロくらいのつもりだったのでイヤな感じがしました。いつもと違う、自重しようと思いました。

どこへ行くという当てもないので、家に戻りました。

これはもう‘仕事期待モード’かな?

 

 

 


休むこと、休みすぎること

2012-08-15 | 所長のひとりごと 

作業所の方は、お盆休みをもらっています。土日を含めて今日で4連休。あと明日と明後日もあるので6連休になります。一年に盆と正月にしかない貴重な長期休暇です。

別に仕事が嫌いなわけじゃないけれど、ゆっくりできて自分を取り戻せる感じが何物にも代えがたいです。

休みに入る前は、あれもやろうこれもやろうとやりたいことが次から次へと出てくるのですが、ほとんど手につかないうちに残り2日になってしまいました。

でも、何と言っても「気まま」に過ごせているのが最高だと思います。気ままとは気分のまま、気分次第ということでしょうか。
ふだんの仕事中はとてもそんなことできません。むしろ自分の気持に反して行動せざるを得ないことがほとんどです。


疲れ気味でも休んでいられない、運動不足気味だからと言って外に出てジョギングするわけにもいかない。作業室でみんなと世間話をしていたくても、役所への報告が迫っていれば書類を作成しなければならない・・・・・・

それが積もり積もってくるとストレスになるのでしょうね。

しかし今は、自分の体が「ちょっと休みなよ」と合図してくれば、即休めます。また、夕方4時過ぎになると、そろそろ走る時間だよという「信号」がきます。それでこの四日間休まず走っています。ほとんど、いや、四日間とも30度を越えた暑さの中でしたが、風があるし爽快感があります。

こういう過ごし方をしているとストレスが溜まるということはないのでしょう。このままずっと休みが続けば・・・。(^^)/

しかし、本当に休みが続いたら、こんどは仕事をしないということがストレスになりそうです。人間、勝手なもので、仕事が続けば楽をしたくなる、楽が続けば仕事がしたくなる。
つまりそのバランスということでしょうか。

だから、「ひな」やほかの作業所のメンバーのように、通って仕事(やること)がある人はいいのですが、どこへも行かず、とくに何もせずに長い時間「気まま」に過ごしている人は、このバランスが崩れているというか、そういう状態なのかな、と思います。

仕事で苦労することも大事、休んで気ままに過ごすことも大事。

精神障害をもつ人の中には、毎日毎日気ままに・・・というか気分に振り回されて(?)、決めたこともせずに過ごしている人がいます。

そういう人は気ままなことしかできない、というか、気ままと仕事(決められたことをする)とのバランスが取れない、そういう部分が病気の中心なのかもしれない・・・・・などと、とりとめもなく思ってしまいました。

いけない、いけない。事実に基づかず思いだけをどんどん広げていくと、妄想になってしまいます。この辺で。

明日と明後日どう過ごせるか、有意義に過ごしたいと思います。

皆さんもよい夏を! (^_^)v

 


そうだったのか!

2012-08-12 | 個人的つぶやき

お盆をふるさとや海外で過ごす人たちの移動ラッシュの光景をテレビで報じていた。それを見ながら、自分は海外旅行に興味がないことを、あらためて思った。

もちろん若いときは興味津々。高校に入ったときから山に興味をもち、友人たちと20歳代を通じて15~6年間日本の山を登った。ゆくゆくはアルプスとかヒマラヤに行きたいねと話していた。

しかし当時は旅券の発行が制限されていて、一般の人が観光旅行でパスポートをとることは許されなかったし、許されても外貨は500ドル(当時の1ドル360円で換算すると18万円)までしか割り当てがなかった。

当時はヒマラヤの8000メートル峰(たしか8座あると思う)をどこの国の登山隊が最初に「征服」するかが焦点だった。

最高峰のエベレスト(チョモランマ)をはじめ、ローツェ、K2、カンチェンジュンガ、ダウラギリ、そして日本隊が初登頂したマナスルなど、今その名前を思い出して書いているだけでわくわくする。

しかし前述のように、海外に出て行くにはそれなりの名目が必要だった。たとえば学術探検などのように。
それをやったのが京都大学の山岳部(あるいは探検部)だった。桑原武雄、川喜多二郎、西堀栄三郎、今西錦司、その他そうそうたる(日本の学術部門の)先達が揃っている。登山のみならず、学術の面でも超一流だったのだ。

当時はそういうところにしか外貨の割り当てがなかった。無名の私たちはただ指をくわえて見ているほかなかったのである。

そして世界の8000メートル級の山々は次々と登頂されていった。最高峰エヴェレスト(チョモランマ)が登頂されたのは、今のイギリスのエリザベス女王の戴冠式の直前だったというのも、よくできた偶然だった。

 

ところがきょう、新聞を読んでいたら「天声人語」の中に次のような一節があった。

  2012年8月12日(日)付

 大志を抱け、と言うわりには「青年の向こう見ず」に世間は寛大ではない。堀江謙一さんがヨットで太平洋単独横断を成したときもそうだった。日本では快挙を讃(たた)えるより、無謀だの密航だのと難じる声が目立った。いつの時代も、出る杭は打たれる▼正規の出国に手を尽くしたが、冒険航海にパスポートは出なかった。やむなく夜の港からこっそり出航する。94日の航海ののち、米サンフランシスコに到着して、きょうで50年になる▼米国では密航扱いどころか大歓迎された。つられるように国内の空気も変わる。一躍、時の人になったのは戦後昭和史の伝説だ。冒険や探検を大学などの権威筋が牛耳っていた時代それとは無縁な一青年の「大志」は、新しい挑戦となって羽ばたいた▼『太平洋ひとりぼっち』を読み直すと、ミッドウェーあたりの記述が印象深い。「夕陽(ゆうひ)がからだをいっぱいに包む。長い黙祷(もくとう)を捧げました。……多くの海の先輩たちが散っていったところなのだ。……ぼくはいま花束を持っていない。許してください」。戦争の記憶はまだ色濃かった▼振り返るとその年には、国産旅客機YS11が初飛行し、世界最大のタンカー日章丸が進水している。高度成長の矛盾を抱えながらも青年期の勢いがこの国にあった▼73歳になった堀江さんは、4年前にもハワイ―日本を単独で航海した。なお現役の冒険家は、特別なことはせずに記念日を過ごすそうだ。青年の気を忘れぬ人である。懐旧に浸るのはまだ早いらしい。

 

冒険や探検を大学などの権威筋が牛耳っていた時代・・・・そうだったのか。


やっぱり、飲むために走る

2012-08-12 | 個人的つぶやき

今、スロージョギングから戻ったところだ。
昨夜土砂降りの雨が降ったためかきょうは湿気が多い。風はあるものの湿度が高いから、汗の量は増える。

昨日走ったあとの爽快感が忘れられず、調子に乗ってきょうはいつもの30分を45分に延ばした。

夕方4時半、まだ気温30度を越えている中を走り出す。 今頃お盆近くもなると、陽の影がずいぶんと長く伸びているので、コースの取り方によってはほとんど直射日光を受けず、日陰だけを走れる。
 

このスロージョギングは、おしゃべりをしながら、あるいは歌を歌いながら、歩く速度と同じくらいの速さで走るというものである。わたしは1人だからおしゃべりはできないが、歌いながら走ることはできる。

「五番~街へ~行った~ならば、マリーの家~へ行き~~、どんな~暮らし~してい~るのか、見てき~てほしい~~・・・・」

また、新聞を読みながら走ることもできる。いや、マジで。

 

帰ったあとシャワーを浴び、冷えたビールをグィッと・・・ 
あゝ、やっぱり飲むために走っている。


XP → Vista → 7 → 8   (その2)

2012-08-09 | 所長のひとりごと 

先日、パソコンのOS、Windows の様変わりについて憤慨したことを書きましたが、このことはわたしだけでなく相当多くの人が感じているようだと、あらためて実感しました。

作業所で大変お世話になっている会計事務所の代表の方にこの話をしたら、実はその方も同様の思いを抱えていて、腹が立つと言っておられたのです。

その方もXPを離せないとのことでした。Windowsの早すぎるバージョンアップは何とも罪作りな話です。

人間の頭脳の情報処理能力から考えて、少なくとも10年間は基本的に up-grade のないOSというものをどこかのメーカーが考えてほしいものです。

その前に、XPモードのメニューバー表示ができるフリーソフトがどこかにないでしょうか? 32ビット版にはあるというのですが、64ビット版にはまだないようなので・・・

どなたかご存じならば、ご教示いただけるとありがたいです。

 


灼熱のメール便配達(8/9更新)

2012-08-07 | 「ひな」の日々

暦の上では立秋だそうである。だけど太陽はカーッと照りつけ、ジリジリと焼かれるような暑さだ。きょうも34度を超えた。その中で今週のメール便配達が始まった(毎週、火・水・木に配達を行っている)。

配送センターから持ち込まれた荷物はいつもと同じくらい、30~40冊くらいかなと思いながら受け渡しの確認をする。(メール便は1通、2通と言わず、1冊、2冊と言う)

30や40冊くらい、なんてことないじゃない、と思われるかもしれないが、初めて配達をするときは結構大変なのだ。

①まず住宅地図上で配達先の家を見つけ印をつける。
②全部つけ終わったら配達の道順を考えてコースを決める。
③配達順にメール便を揃える。
この仕分け作業が30分から1時間かかる。それも30~50冊の場合だ。

きょうは何冊だろう? え! なに? 90冊    (これまでは最多でも58冊だった) 

どうする? 
どうするって、やるっきゃない。数量に関係なく、その日に持ち込まれたメール便はその日のうちに配達すること、という契約がある。緊急事態(?)発生。

まず、きょうの配達担当SさんとOさん(女性メンバー2人)に確認する。あせらずにやろう。暑いので無理せず体のコンディションを優先させよう。午前中だけでは終わらないので、体力的に無理でなければ午後も配達しよう。無理ならスタッフに任せることもできるから・・・と。

住宅地図上に配達先の家のマークがいつもよりずっと密集して付いていく。
荷物を受け取って1時間あまり、準備を終え、スタッフ1人と共に自転車で炎天下へ。

予定どおり午前中に46冊を終え、正午過ぎには作業所にもどる。

食事をして休息をとり、1時過ぎに再開。気温はさらに上昇している。ただ、蒸し蒸しする暑さでなく、風もあるので不快な暑さではない。SさんもOさんも午前中から続けているのにかなり元気。会話が弾んでいる! 
次から次へとどんどん配達していく。ジリジリ焼かれる暑さにもかかわらず、2人とも体調の変化(悪化)はないようだ。

ただ、元気そうに見えても精神障害をもつ人は常時服薬をしており、体調管理には注意を要する。とくにOさんはギラギラする光線が苦手ということもある。また2人とも平均的な人よりも少々体重が・・・

でも、どんどん配達は進み、1時間もしないうちに先が見えてきた。
配達区域内にある公園で休息をとったあと、最後の2冊を終え、帰途につくことができた。

お疲れさま! がんばったね! 

 


「苦労」について

2012-08-05 | 所長のひとりごと 

苦労なんて、自分から進んでしたくないと、だれだって思う。だけど、生きている限り苦労は切り離せない。いつでもついてまわる。自分の影のように・・・・・。

「人生とは苦労することである」とか、「人生とは悩むことである」と明言する人もいる。

う~む。

苦労なんてせずに、自分の気の向くままに過ごせればなんといいことか。食べたいものを食べ、見たいものを見て、したいことをして過ごせれば、人生バラ色だろうと思う。

だけど、実際そういう生活ができる人って、どれだけいるのだろう。よほどの大金持ち? そんな人、1%もいないのでは?

 

実は、苦労というものをあまりしないで日々暮らしている(ように見える)人たちがいる。

働かなくてもお金は毎月6~7万から12~3万円、自分の口座に振り込まれる。それをとくに計画的にでもなく、あればあるだけ下ろして使ってしまう人がいる。自由に使うことができる。なくなったらなくなったで我慢するか家族にせびる。

病気になったら無料で医者にかかれる。税金もない。

一見うらやましい生活のように見える。だけど本人たちはあまり人生をエンジョイしているようでもない。いや、むしろ、入ってくるお金を入ってくるまま、気の向くままに使い、日々を過ごしている・・・・・ただそれだけのようにも見える。そこにあるのは何だろう?

仕事をしていない人たち、仕事ができない人たち。でも、できそうな人はいる。でも、なんで仕事をしないんだろう。

もちろん今のご時世、そう簡単に仕事が見つかるはずもない。ましてや障害をもっているとなると門戸がグンと狭まる。

それは決定的なことだ。でも全く可能性がないわけではない。

彼らは仕事を求めないのだ。そこには何か決定的なものが欠けているように思える。

何だろう。

 「仕事がしたい」という強い思い・・・それが感じられない・・・のかな。

あきらめてしまっている? 生きる意欲を削がれてしまっている?
(とりあえず日々暮らしていけるお金が入ってくれば)

「仕事がしたい」と声を上げる意欲を削がれてしまっている?
(だったらそこがわれわれの支援のポイントになるのでは?)

仕事ができるようになると何が変わる?
まずなんと言っても生活の糧(お金)が得られる。要するに自分でお金が稼げるということ。経済的に独立できる(それに近づける)。「一人前」という評価がつく。自信がつき、プライドをもつこともできる。

お金がもらえるということは、「ありがとう」を感じ取れること。人から、自分の存在を認められたということ。「あなたには存在する意味(価値)がありますよ」という実感が得られること。

一人前、大人、仲間、として認められた実感・・・・・これは何とも言いようのない充実感、生きるエネルギーの源泉だろう。

だから人は働いてきた。働くことに疑問を持たず・・・みんな働いているから、と。

仕事をしていると様々な「苦労」がある。大小様々な苦労を一つひとつクリアしていく。そうして人は成長する。そう、苦労が人を育てるのだ。消費行動(欲望の充足)だけでは人は成長しない。お金を稼ぐためにする苦労が必要なのだ。

一日2時間でも3時間でもという条件付きでも、働こうと思えば働けるのに働かない人は、苦労することを取り上げられてしまった人、と言えるかもしれない。

彼らをそうさせてしまったのは、福祉という制度に原因があるようにわたしは最近感じることがある。そして、もしかすると、その制度に安閑と乗っているとしたら、そこで飯を食っているわたし(たち)にも責任がありはしないだろうか。

セーフティネットとしての福祉制度そのものは絶対に必要だ。人間、生きていくうちには何が起きるかわからない。運悪く回復に長時間かかる病気になってしまうことだってある。そのことで本人には何の責任もないのだ。

そういうときには、運よくそういう病気にかからなかった私たちが支援する(福祉制度)が欠かせない。これはそういう病気にかからなかった人たちの義務であろう。

だけど急性期を過ぎ回復期を迎えてから、いつまでもいつまでも、何年も何年もそういう制度の中で過ごすことは、人間の成長という意味からも不自然のように思う。

声を上げることの困難な精神障害者。そのニーズをどうとらえていくのか、われわれ支援者にとって日々の実践にかかっている。