自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

街路樹ケヤキの微笑み

2022-12-22 | 随想

「ケヤキの嘆き」の例と雲泥の差と思われる例をご紹介します。

一つは隣市。ここは幹線道路です。交通量はさすがに多め。枝ぶりを一目見て,本来の樹形が尊重されていることがわかります。

 

樹形がわかるかたちで枝が伸びています。よく見ると,かつて枝が大胆に伐採された痕跡が残っています。ただ,その後樹形を大切にした管理がなされているようです。感じからすると,これからの成長を考慮して街路樹としての景観を考え,すっきりした整枝が必要では?  幹から出る太枝は5,6本程度に抑えるのがよいと思います。  

 

 

必要以上の整枝はなされず(最低限度は手入れされています),なかには枯れかけた枝が目立つケヤキもあります。安全対策はもちろん大事ですが,木のいのちを守るという発想が流れているようです。

 

行政のあり方としていったいなにが違うのでしょう。公園や街路で樹木を育てる理念があるか,ないか,暮らしと自然がどれだけつながっているかを慮る素地が培われているかどうか。そうしたことを立ち止まって思う感性が育まれ共有されているか,どうか。ひとことでいえば,そんなことかなあと思います。

 

二つ目は県庁所在地のA市。市HPを見ると,担当部が街路樹の維持管理全般について詳細を解説しています。そして,ビルの谷間にあるケヤキ並木の写真が,これまたみごと! その説明にこうあります。「まちに『彩り』『風格』を与えてくれる街路樹の役割や魅力を紹介します」。風格とは降参です。わがまちづくりへの自負心といったものがずばり窺えます。

そのまちの高木街路樹では本数が第二位。その解説に「美しい緑のトンネルをつくる姿が人気の樹木です。夏にはさわやかな緑陰をつくります。新緑や紅葉も美しく、一年を通して楽しめる樹木です」とあります。写真をご紹介したいところですが,著作権の関係もあり控えておきます。こういうまちの好感度は相当なものでしょう。暮らしよさも一定水準以上のものがありそう。

これらのまちのケヤキはきっと微笑んでいるでしょう。