響けブログ

音楽コドモから「音楽コドナ」へちょっと進化。ドラムとバイオリンと小鼓を弾く、ヒビキの音楽遍歴。

秋の陽について語るには、涼しいこのごろ。

2009-09-15 | コレクション


なんだか低気圧な感じで、うっすら肌寒くもある今日このごろ。ウチ猫は、かなり暑い時期からはやばやと夏毛を脱いで、冬支度するのだが、今年ばかりは替えそこなって、うすら寒いらしく、すっかりフキゲンである。

ところで私はテレビをみないせいか、昨日おくればせ『MATRIX』を見たら、すっかり具合が悪くなってしまった。パソコンで文字を打ったり画像を見たりしているのと違って、きれいな動く画像を見るのは、目が疲れるのかもしれん。。

ついでながら、マトリックスとは少し話がずれている気もするが、マトリックスがきっかけとなって思ったことで、よく「夢を持て」とか言うじゃないですか。あれって世の中全体が貧乏なときはよいが──よいが、というのは、夢を持つということがわかりやすいが、という意味です。──みんなひととおり生活できるようになってしまった状況からは、あまりうまくイメージできない。それでよりよいことを目指そうという自己啓発的な文脈で「夢を持つ」が語られたりもするのだろう。そういう「上昇」は、貧乏がリッチマンになるストーリーに比べると、いまひとつドラマに欠ける。

でもって結局忘れられちゃったのは、夢を持つというのはそんなに簡単ではなかったってことなんじゃないか、と思ったのだ。なぜならひどく貧乏な状況で、そうでないところへ行ける、行くんだと思うことは、それが今まったくないわけだから、それなりに大変だったろうと思うのである。

だから、今「夢を持つ」というのもやはり、今あることは全部幻にする、という点で同じでなければならない。たとえば(ぬるま湯的な)習慣を変える、というところに求められて、確かにしかるべきなのだ、と思ったのだ。「習慣を変える」って「夢を持つ」ぐらい大変なことだったんだ、って。