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株式会社 ハウスショップ 東京都町田市

人間の数だけ違う世界が存在する

2016年10月13日 | 人生一般
私にとっては社員と家族 
 
この二つの大切な集団がありますが 
 
しかし面白い事に 
 
見方によっては社員も家族も他人と同じ 
 
そうも言えるのです。 
 
この事を理解すると 
 
割と人間社会の出来事が見えたり 
 
あるいは自分自身が楽になったりします。 
 
この世に個人を識別する方法は無数にあります。 
 
日本人とアメリカ人とか 
 
公務員とか商社マンとか 
 
しかしどれも人間を区別するには不十分です。 
 
仕事を辞めてしまえば公務員ではありませんし 
 
離婚してしまえば家族も崩れます。 
 
この世に人間を区別する絶対的な方法は一つだけです。 
 
それは 
 
自分と自分以外 
 
これで分けると 
 
先ほど言った社員や家族も 
 
赤の他人と同じ立場に存在する訳です。 
 
見方を変えれば他人も家族も同じって訳です。 
 
私たちは 
 
自分自身と自分以外の人では 
 
全てにおいて決定的な違いがあります。 
 
この世界は 
 
私たちの想像の中では広く存在しますが 
 
実際に目で確認できる世界は 
 
自分の視覚の範囲だけです。 
 
つまり 
 
私たちは世界は一つだと信じていますが 
 
実際には 
 
個人個人すべてに独自の世界があり 
 
逆に言えば 
 
例え親子であっても 
 
完全に一致する世界は存在しないって事です。 
 
私の人生にとって 
 
幼少期を長く過ごした祖母の存在は大きいのですが 
 
しかし私の息子達はその祖母を見た事がありません 
 
つまり 
 
私が出来上がった世界と 
 
全く違う世界で子ども達は育った訳です。 
 
であれば 
 
当然価値観は違う訳です。 
 
そんな訳で 
 
世界は人それぞれに独自に存在する 
 
こんな風に考えると 
 
他人と自分との違い 
 
これは当然だと思う事ができます。 
 
ここまで理解できると 
 
自分が苦しみから解放されます。 
 
特に私たちの仕事では 
 
トラブルになったときに 
 
相手に対する憎しみ 
 
これが大きく薄れます 
 
人を憎むことは苦しむ事ですから 
 
憎まなければ自分も楽になる 
 
私自身は経験的にこれを確信しています。 
 
自分自身は他人の世界を体験する事はできませんが 
 
想像する事はできます。 
 
そしてその想像を働かして相手の視野から世界を見ると 
 
トラブルメーカーの人でも 
 
もしかしたら自分もその環境では同じになるしかない? 
 
そんな風に思った事も何度かあります。 
 
そして 
 
そんな経験を積む内 
 
人はそれぞれの世界を背負って生きていて 
 
その背負ってる世界は 
 
決して私が理解する事はできないし 
 
また変える事も出来ない 
 
そんな思いに至ります。 
 
この歳になると 
 
親しかった人たちが 
 
自ら友人達との接触を断つ 
 
こんなケースを目にします 
 
そしてそれは 
 
加齢とともに増えていきます。 
 
どうしてそうなるかと言うと 
 
その人の世界と私の世界が離れていくからです。 
 
私たちは視覚的に近い人しか見えません 
 
逆に言えば視覚の範囲内であれば 
 
その人の世界は少し見えます。 
 
ところが視界から消えると 
 
例えば 
 
奥さんが浮気していても 
 
自分がその世界を見る事はありません。 
 
つまり 
 
自分の世界が見られたくないのであれば 
 
相手の視界に入らなければ良い訳です。 
 
ですから 
 
昔 
 
同じ経営者仲間で 
 
酒を酌み交わして色んな事を語った人でも 
 
その人の世界は会社がつぶれて奥さんも逃げた 
 
なんて事になれば 
 
もう私には自分の世界は見て欲しくない訳ですから 
 
私が視界に入ると 
 
背を背けて逃げてく訳です。 
 
そんな人に対して 
 
追いかけてくのはお節介です。 
 
去る人は自分の世界を見られたくない訳ですから 
 
見ようとするのは失礼です。 
 
逆に目を背けてあげるのが友情 
 
私はそんな考えです。 
 
まぁそんな訳で 
 
私は私だけの世界を生きる訳で 
 
そしてそれを堪能してますが 
 
しかし 
 
私の世界は私の寿命と共に消滅するんですよね 
 
そうやって考えると 
 
死は 
 
自分の世界に満足してる人には好ましくないのかも知れませんが 
 
厳しい世界を背負わされる人には 
 
これがとても救われるんでしょうね 
 
自らの世界を自分で消滅させる選択をする人たち 
 
私自身はその事を批判する気持ちにはなれなせんね。 
 
存在する世界が違う以上 
 
それを生かすも殺すもその人の勝手 
 
私はどちらかと言うとそんな考えです。 
 
与えらた世界は平等ではありませんが 
 
その世界から解放されば平等ですからね 
 
生きてるほんの僅かの間だけ不平等 
 
厳しい人生を歩んでる人たちは 
 
そんな風に考えた方が良いかも知れません 
 
 
コメント
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