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フィリピン慰霊巡拝レイテ班 神奈川県の旅

2010年07月13日 15時59分51秒 | レイテ班の旅

                   平成22年6月3日 (木)  ~ 6月4日 (金)  1泊2日の旅
 
           横浜港の見える丘公園にて                        三渓園を見学して

私達は、平成12年度(2000年)フィリピン慰霊友好親善事業訪問団 全国遺児125名の一員として参加をさせていただきました。
多くの慰霊先がありますことに、A班からF班に分かれ、私たちF班はレイテ島内のマハンラグ、タクロバンなどを慰霊巡拝いたしました。
後に「慰霊巡拝レイテ班」と名付け、各県持ち回りで、年一回の親睦の旅を続けております。
今年は神奈川県の女性2名のお方が幹事を努められ に恵まれた横浜に集い、心ゆくまで語り合い、新たな再会の旅を楽しみました。
しかし、戦後父親のいない寂しさを共に過ごしたお仲間3人はすでに鬼籍には入られました。
皆様で心からのご冥福をお祈り申し上げました。 合掌

     身罷りし遺児三人を偲びつつ亡父追慕のレイテ班の旅

   1.集  合 横浜駅東口「そごう」正面入り口 12:30
   2.参加者 11名     
        愛知県 (2名) ・ 埼玉県 (2名) ・ 新潟県 (3名) ・ 福井県 (1名)
        神奈川県(2名) ・ 富山県 (欠席) ・ 山梨県 (欠席) ・ 千葉県 (1名)
   3.物故者 3名 (神奈川県1名)・(山梨県1名)・(千葉県1名) 合掌
   4.宿泊先 メルパルク横浜 (横浜市中区山下町)
   5.行  程      
  一日目 6月3日(木)  

  (1)神奈川県戦没者慰霊堂にて参拝及び祈念館見学
 
        神奈川県戦没者慰霊堂                 かながわ平和祈念館
神奈川県戦没者慰霊堂 (HPより転載)
昭和27年の対日講和条約の発効を機に、明治以降の戦争における戦没者、戦災死者を追悼するとともに、県民の平和愛好の象徴として建設され、戦没者及び戦災死者 5万8千余名の
名簿が納められ、遺族の心のよりどころとなっています。

慰霊堂は、緑に囲まれた見晴らしのよい台地にあり、桜の名所ともなっています。
かながわ平和祈念館 (神奈川県戦没者慰霊堂附属会館の愛称) (HPより転載)
戦後50年の節目にあたる平成7年に従来の附属会館を建て替え、戦争体験を風化させず次世代に伝えるとともに広く県民に親しまれる施設として整備されたものです。

(2)山下公園・港の見える丘公園他市内散策
 
          氷川丸と記念                 赤い靴を履いた女の子像
【山下公園】
関東大震災 (大正12年9月1日 正午) の復興事業として、横浜市助役だった楢岡徹らが、瓦礫などを使って海を埋め立て造成して、1930年 (昭和5年)3月15日に開園した。

【港の見える丘公園】 
山下公園からフランス橋を渡り坂を登るとそこは異国情緒の漂う景勝の地、山手の丘です。
「港の見える丘公園」 の展望台からは 「横浜港」 や 「横浜ベイブリッジ」 の景観が一望できます。
近くには霧笛橋 ・ 神奈川近代美術館 ・ 岩崎博物館 ・ 横浜外国人墓地 ・ 山手資料館等があり、横浜を象徴する散策コースとして人気を博しております。

(3)夜のマリンタワー搭乗   

 
                マリンタワー29階から写した薄暮の横浜港のつもりですが 
【マリンタワー】 
横浜港開港100周年記念行事の流れの中から、横浜港を象徴するモニュメントを建設しようという計画が起こり1961年に建設された。高さ106m。12,000トン。
灯台を意識したデザインとなっており、実際に頭頂部には灯台としての機能も併せ持っていた。
ギネスブックにも最も高い灯台として記録されていたが、実際に近隣を航行する船舶に対し灯台としての重要度はあまり高くなかった。
改装工事の必要もあり、灯台の機能は2008年7月28日未明をもって休止し、9月1日に廃止された。
            
(4)メルパルク横浜にて懇親会
 

            楽しかった懇親会                    出発の朝ホテルにて
二日目 6月4日(金)
横浜市内遊覧バス 横濱ベイサイドライン 午前コースに乗車にもうひとつの横浜を感じる  ノスタルジック横濱 ~    
横浜の歴史にふれ、横浜の昔ながらの食を楽しめるコース。
日本建築物や四季折々に美しい庭園を散歩したあとは、横浜自慢の料理に舌つづみ・・・。

【見学コース】 横浜駅東口出発 9:20 ~ 13:35 終了予定 
  横浜ベイブリッジ大黒ふ頭PA (車窓より) → 三渓園 (自由散策約55分 抹茶サービス) ↓
  → 港の見える丘公園 (下車見学) → 中華街 (お食事約60分)~自由散策 →  横浜三塔 ・ 赤レンガ倉庫 ・みなとみらい地区 ・ 他(車窓見学)
三渓園とは (HPより転載)
  横浜市中区本牧(ほんもく)三之谷にある大庭園。
  横浜の実業家原富太郎(号三渓。1868―1939)が1905年(明治38年)に築造した。
  翌年から一般に公開され、1953年 (昭和28年) からは財団法人三渓園保勝会の手に移され、年末を除いて公開されている。
横浜三塔とは
  神奈川県庁(通称:キング)、横浜税関(通称:クイーン)、横浜市開港記念会館(通称:ジャック)、
  開港以来、横浜のシンボルとなっている3つの歴史的建造物、これが横浜三塔です
          
            乗車券                          三渓園にて
 
        港の見える丘公園散策                大佛次郎記念館見学
大佛次郎 (おさらぎじろう)1897~1973 記念館
展望台の右に広がる公園の沈床花壇の奥にアーチ型の屋根と赤レンガの外観がひと際目立つ瀟洒(しょうしゃ)な館が横浜ゆかりの作家大佛次郎の文筆活動の業績と生涯を紹介する
「大佛次郎記念館」 です。

大佛次郎は、横浜に生まれ、そして横浜を最も多く描いた作家です。
中でも 「霧笛」 「幻燈」 は開化期の横浜を哀惜をこめて描いた名作として今も多くの人々を魅了しつづけています。
また 「鞍馬天狗」 の作者としても親しまれ、半世紀以上にわたる分泌活動は常に旺盛な開拓者精神に溢れていました。
広い視野から時代と人間の光と影をヒューマニスチックにうたいあげた 「パリ燃ゆ」「天皇の世紀」は代表作です。
一方、大の愛猫家として、猫をテーマにした小説や随筆も多く、童話 「スイッチョ猫」 は自ら最も愛おしんだ作品でした。

         
                   見学を終えてバスの前で最後の記念 

お天気に恵まれました2日間、山梨県から始まった 「慰霊巡拝レイテ班」 の旅も、昨年から2周目をスタートして今年は10年目を迎えました。
幼い頃には父のいない寂しさに涙が溢れ、進学を諦めざるを得なかった人、又ある時は父のいないことに口を閉じ、就職時の差別などに耐えながら懸命に生き、今ささやかな幸せを
語り合う事の出来ます再会の旅に感謝をしております。

今回お世話になりました神奈川県の日吉様・成田様大変ありがとうございました。
平成23年度幹事の埼玉県の皆様どうぞ宜しくお願い申し上げます。
それでは皆様、お会いできる日までどうぞお元気でお過ごし下さいますように  しております。

コメント (8)
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