指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

ろくでもない日

2016年07月08日 | その他

昨日はひどい一日だった。

朝起きて、玄関を開けようとすると鍵が空回りして開かない。管理会社に電話して、11時前に来てもらって直してもらう。原因は不明。

昼の食事を買いに行こうとエレベーターに行くと、定期点検を始めるところで、止めてラーメンを食べる。

猛暑の中鎌倉に行き、小学生の原宿の小町通りを抜けて、鎌倉市川喜多記念映画館にやっとたどり着くが、『愛情の決算』は完売で入れず。

喫茶店で休んだのち、鎌倉駅から江の電に乗って藤沢に行き、そこから自宅に戻り、近所で食事して戻る。

                  

3連敗だと思っていたら、アンダースローの青柳の好投に巨人に6-0で阪神が勝つ。

最後は救われた。


選挙はお祭りである!

2016年07月08日 | 政治

選挙は本来お祭りであるべきで、日本はどんどんお祭り性を減らしている。アメリカの大統領選挙は、完全なお祭りで、そうやって多くの人々の政治への参画を作り出している。

だが、日本では全く逆で、どんどん選挙をつまらなくしている。どうしてか、理由は簡単で現職が有利だからである。

それは与党も野党も同じで、選挙、特に参議院は新しい変な連中が出てきて、大騒ぎになって投票率が上がるのを怖がっている。

選挙は、民主主義のお祭りであり、それは自主映画の製作と公開、芝居の準備と上演のようなものだと言えばわかりやすいだろうか。

要は、「無から有を作り出すこと」である。昔、横浜で主婦の運動の横浜ネットワーク運動が市会議員選挙で勝利した時、彼女たちの一人が言った。

「選挙ってこんなに楽しいものとは知らなかった、男たちに独占させておくことはない、自分たちも楽しむんだ!」と。

                            

 

今は選挙ポスターも公営掲示板だが、いつ最近まで選挙ポスターは、各候補が勝手に自分の支持者宅に貼ってもらうものだった。

それが、ある時、企業選挙と公明党のどぶ板作戦で、道路脇や工場の塀等に多量に貼られたことがあり、「見苦しい」として公営掲示板になった。

これも、実は絶対ではなく、地方の議員の選挙では、そのたびに議会が議決して決めることなのだが、誰も知らず、公営掲示板が当然だとみな思っている。

今回は、「国民怒りの声」以外に目立つ新党がなかったのも大変に残念なことである。

かつては、選挙の度にいろんな政党が出て、また有名人も出た。今回は、ほとんどいなくて、東京選挙区のバレー選手くらいだろう。

月亭可朝、中平康の娘の中平まみ、投手の小林繁、小説家の高橋三千綱なども出て、みな落ちたが、にぎやかで結構だった。

有名人について批判があるが、蜷川幸雄の若手タレント擁護説ではないが、有名になるにはそれなりに努力をしているものであり、有名人の出馬は大いに結構である。

今回出ている「変な」党に「支持政党なし」というのがあり、「あれっ」と思ったが、政党名なのである。

大田区で学習塾を始めて成功した人のようだが、アンケートには「支持政党なし」と答えるにしても、実際の投票で書くだろうか。

昔、横浜の議員に聞いたことがあるが「投票用紙に名前を有権者書いてもらうのは大変なことなんだよ」だからである。

今は、久しぶりの脚光の小池百合子と元秘書中田宏のテレビでのはしゃぎぶりが見苦しいが、うれしくて仕方がないのだろう。

中田宏は、小池が都知事になったら特別秘書にしてもらうか。彼は空手の有段者なので、ボディーガードはできる。

因みに猪瀬直樹、舛添要一も格闘技の有段者だそうで、その点は共通している。