ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

「千の風」に。

2019-03-22 06:29:29 | 日記
知人が骨折をして入院しましたので、お見舞いに行って来ました。
「痛かった」
と、言って顔をしかめていらっしゃいましたが しっかりとなさっている様子。
病室の出口で、ご主人と娘さん、孫さん達と出会いましたので、ご挨拶を交わして
戻って来ました。
悪性の疾病とかではなく、リハビリをして、と言っても84歳という年齢からすれば、
若い人の様な早い回復は望めないでしょうが、また元気な姿のKさんに会えることは
確かですので、安らいだ気持ちで帰途についた私でした。

途中、友人のTちゃんが、バスに乗り込んできました。
「あら しばらく」
「ほんと 元気?」
と、挨拶を交わし、旧友知人たちの消息等の他愛のない会話をしていたのですが、
悲しい寂しい消息も聞いてしまったのです。
かつて職場で何十年も仕事を共にした旧友が亡くなっていた事でした。
ご主人は、昨年12月の初めころ亡くなられています。
その事を、年末に知り、友人に電話をしたのですが、娘さんが電話に出て、
「母は体調を崩して、休んでいるので電話に出られない」
とのことだったのです。
おしどり夫婦とも言われた睦まじいご夫婦でした。
ご主人を亡くされ、さぞや心身が悲しみに捉えられていることであろうと推測し、
そのうち本人から私に電話がかかってくるかもしれない、それまで待つことに
しようと、心待ちの日を過ごしていただけに、私もショックを受けました。
ご主人が亡くなられた昨年の12月、友人はすでに悪性の病に罹っていて、体調も
悪かったのことでした。
2か月後に、友人はご主人の後を追った、ということになります。

バスを降りて、穏やかな空を見上げました。
「逝ってしまったんだね」
と、小さな声で呟きました。
〈「千の風」に おなりなさいよ〉
そう呼びかけてみました。

昨今は、お葬式も、「家族葬」という内輪だけで済まされる方も多くなりましたので、
逝去については、後日、友人等からの情報に依ることも多くなりました。
淋しくはありますが、これも時代の変化なのでしょう。

家に着いて、
「ただ今」
「〇〇ちゃん、死んじゃった」
と、玄関先に荷物をドサリと置きました。

    『すべてをゆだねる祈り』
                   晴佐久昌英
     すべてを満たす天の父よ
     あなたは何も欠けたところのない
     まことの安らぎです
     あなたの愛を信じる者には
     何ひとつ足りないものはありません

     すべての人は生まれたときから
     あなたのみ手の上で生かされています
     波ひとつない湖に浮かんで
     永遠の光に包まれている小舟のように
     わたしのすべてをおゆだねします
         (晴佐久昌英 著 『おさなごのように』 女子パウロ会刊 より)
コメント
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