ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

「梵音」までは、聴こえなくとも。

2017-02-22 06:35:23 | 日記
保育事業に関わっている知人の女性が、こんなことを話してくれました。
  『これって、自分の子育ての時にも言えたことなんですけど、
   保育園であれ学校であれ、我が子が周囲の子ども達と群れて遊んでいる姿を
   目にすると安心するものなんですよね。
   集団生活ができないということは、生き難いことですから、
   〈とにかく他者と交わることが出来た〉、ということからくる保護者としての
   安堵感なんでしょうね。
   でも、周囲のみんなが楽しそうに遊んでいたとしても、
   一人ぼっちでいることが好きな子もいます。
   そうした子に問題があるわけではないと思うんです。
   イジメにあって仲間外れにされている、と言うのであれば問題ですが。』
そして、知人は続けます。
  『〈一人ぼっち〉には、
   〈さびしい一人ぼっち〉と〈豊かな一人ぼっち〉があるのではないでしょうか。
   〈豊かな一人ぼっち〉を過ごすひと時は、きっと自然とか宇宙とかの息吹や
   メッセージを味わっているんじゃないでしょうか。
   そんな「時」を、周囲の大人たちは大切に見守ってあげるべきだと思うんです。
   元気に群れて遊ぶ子も良し、
   〈豊かな一人ぼっち〉も良し、
と、双方の居場所をたいせつにしたいと……………。』

なるほどと、思いました。
私自身は、人間嫌いではありません。
友人知人との それなりのお付き合いは出来ますが、
〈一人で居る・在る〉ことが無かったら、窒息してしまうことでしょう。
ぼんやり過ごす「ひと時」は、知人の言う〈豊かな一人ぼっち〉ですから。

新聞を広げましたら、
『粟一粒秋三界を蔵しけり』
という寺田虎彦の句が紹介されていました。
           (毎日新聞2月21日 「余禄」欄)
小さな粟粒も驚きに満ちた宇宙を宿している、ということですが、「余禄」の記者は、
  《この世界が投げかける豊かな謎に気づかぬままの子どもも、
   大人も、ますます増えていくのだろうか。
   ちょっと背筋がぞくっとする》
と、結んでいます。

知人の「豊かな一人ぼっち」の話を聞いたばかりでしたので、
「余禄」記者が述べる「豊かな謎」についても、ストンと納得できました。

世界や宇宙の持つ「謎」に、
私たちは、もっと耳を澄まさなければいけないのかもしれません。
「梵音」までは、聴こえなくとも。
                          〈ゴマメのばーば〉
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2 コメント

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一人ぼっち! (Cafe の宿六)
2017-02-22 07:07:56
ゴマメのばーば様

おはようございます。
「豊かな一人ぼっち」いい言葉ですね!
一番大切なことを忘れているような気がします。
こんにちは。 (ゴマメのばーば)
2017-02-22 14:03:31
 (Cafe の宿六)さま。
世知辛い世情ではありますが、周囲のちいさな事象も、見つめ、耳をすませば「豊かなもの」が伝わってくるのでしょうね、きっと。

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