「ひとつの世代は、ひとつの解釈と、ひとつの実験を試みることを許されているに過ぎない。これが歴史の挑戦であり、その悲劇なのである」 。
これはフランス革命後の欧州秩序の復興期、メッテルニッヒ(オーストリア)を中心に、欧州指導者たちの秩序回復への構想と活動を描いた『復興された世界』(ヘンリー・キッシンジャー著、永井陽之助訳)での著者の言葉だ。
この言葉に出会ったのは、永井論文「キッシンジャー外交の構造」(『中央公論』1972年12月号)であった(論文集『多極世界の構造』(中央公論社刊1973年6月)所収。
71年の夏、ニクソンによるダブルショック、特にニクソン訪中のニュースは晴天の霹靂であった。その後のベトナム和平交渉も含め、この時期の米国外交を担ったのが、キッシンジャー特別補佐官、その外交哲学は学位論文でもある上述の書籍にまとめられ、それを簡潔に分析したのが永井論文であった。なお、その書物は後に『回復された世界平和』(伊藤幸雄訳、原書房、1979年)として邦訳出版される。
それを読んだとき、知識人的名文で、覚え易いと思ったかもしれない…。また、「団塊の世代」との言葉を知った時、「今更、団子の塊と呼ばれても」と思ったのだが、世の中の趨勢に従って、その言葉を使う様になった…。
しかし、改めて自分史執筆を志し、その構想を練る段階になって、自らの世代の誕生を考え直す。先ずは第二次世界大戦によって崩壊した「秩序」、その中での「生活」を含めた復興期との思いが浮かぶ。それが長い歴史の中での位置づけと考えた。一方、「団子の塊」との表現は20数年後の人口構成からの発想であって、「生誕」のインパクトにはとても及ばない命名との思いに至る。
そこで「ベビーブーム世代」との言葉とその時代の意味を考え直し、父母の時代も含め、自らの時代の一片を描く執筆の旅に向かう気持ちになる。
そう考えると、以前に読んだ70年代に読んだキッシンジャーのややペシミスティックな言葉が蘇る。私たちの世代の解釈と実験がどのようなものであり、それがどのような挑戦と悲劇であったのか?後世の判断を待つ必要があるが、ここでは世代が生んだ二人の首相を取り上げてみよう。
ベビーブーム世代で自民党から首相になった菅義偉は、秋田県から東京方面へ出てきた。民族大移動と言われた時代を将に象徴する存在だ。しかし、それは裏側からだ。一方、表側から首相になった鳩山由紀夫は万年野党だった民主党の所属、当時の世相のブームに乗っての就任であった。
この両者の対称性に、「ベビーブーム/団塊」世代の『挑戦と悲劇』が示されているように思われる。