「市井人」と称したのは日経『私の履歴書』に対峙させる意味だ。それは世に知られた立派な業績を含む個人の「経歴」の沿った話を中心に組立てられている。当然、「社会的価値」の大きな活動の記録であり、注目される内容を必ず含むものだ。
一方、市井人の自分史では、日常生活、趣味、グループ活動、社会貢献活動等、様々なことが取り上げられる。当然、拙稿も同様である。しかし、それだけでなく、生活の背景にある当時の社会史(時代史)も文献等を参考にして描く。その雰囲気の中での事象、心理も表現を試みた。それは当時の社会を描く資料としても有用と考える。更に、多くの自分史を積分していけば、これまでにない社会の側面を描くことができるカモ!
タイトルは『或るベビーブーマーの生活世界~個人・住民・市民』にした。
生活世界は即ち日常生活と言っても良い。しかし、ダイナミックな社会変動の中での生活を描くにはどこか物足りない気がする。また、の主観的意識から出発する個人が、他者と分ち合う相互主観性の場を表現する言葉としても「生活世界」が相応しいと考えた。フッサールの現象学からシュッツの社会学へと流れる発想だ。
家族の世界、地域の世界での生活から、社会も「自分」の生活に直接影響を与える存在だと感覚的に理解したのは、中学生になって内申書の存在を知ったときだった。それは社会もまた、自分の生活世界の一部として認識したことを意味すると筆者は考える。