散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

市井人としての意義~自分史(3)

2021年03月30日 | 個人史

 「市井人」と称したのは日経『私の履歴書』に対峙させる意味だ。それは世に知られた立派な業績を含む個人の「経歴」の沿った話を中心に組立てられている。当然、「社会的価値」の大きな活動の記録であり、注目される内容を必ず含むものだ。

 一方、市井人の自分史では、日常生活、趣味、グループ活動、社会貢献活動等、様々なことが取り上げられる。当然、拙稿も同様である。しかし、それだけでなく、生活の背景にある当時の社会史(時代史)も文献等を参考にして描く。その雰囲気の中での事象、心理も表現を試みた。それは当時の社会を描く資料としても有用と考える。更に、多くの自分史を積分していけば、これまでにない社会の側面を描くことができるカモ!

 タイトルは『或るベビーブーマーの生活世界~個人・住民・市民』にした。
 生活世界は即ち日常生活と言っても良い。しかし、ダイナミックな社会変動の中での生活を描くにはどこか物足りない気がする。また、の主観的意識から出発する個人が、他者と分ち合う相互主観性の場を表現する言葉としても「生活世界」が相応しいと考えた。フッサールの現象学からシュッツの社会学へと流れる発想だ。

 家族の世界、地域の世界での生活から、社会も「自分」の生活に直接影響を与える存在だと感覚的に理解したのは、中学生になって内申書の存在を知ったときだった。それは社会もまた、自分の生活世界の一部として認識したことを意味すると筆者は考える。


 「ベビーブーム(BB)世代」と「団塊世代」~自分史完成(2)

2021年03月12日 | 個人史

 成長期にはBB世代(~)、70年代後半以降は団塊世代(堺屋太一)と呼ばれる世代に筆者は属する。近年は世間に倣って後者を使っていた。しかし、本稿を書く過程で、どちらを使うのか?別に「団塊」は否定しない、しかし、筆者はためらわず「BB」を選ぶ。
 「誕生・始まり」を連想させる「BB現象」が、生活再建へ向かう終戦直後に起きたことに筆者は改めて感慨を持つ。また、混乱期の中で子どもを生み育てた親世代が、その成長を精神的支えにしたことも想像できる。また、「ひとつの世代は、ひとつの解釈と、ひとつの実験を試みることを許されているに過ぎない。これが歴史の挑戦であり、その悲劇なのである」(ヘンリー・キッシンジャー)との言葉もある。

 


「市井人」の自分史として~自分史完成(1)

2021年03月11日 | 個人史

 修正を加えていた自分史を漸く書き上げた。これまで何度か完成させ、都度、見直しが思い浮かび修正を加えてきた。今でもここをもっと調べて書き直そうとか思い浮かぶ箇所もある。しかし、頃合も大切だ。踏ん切りをつける気持ちになる。

 タイトル=『或るベビーブーマーの生活世界~個人・住民・市民』

 これには迷いがあった。「ベビーブーマー」?あるいは「ベビーブーム世代」?
 世代を英語にすると、generation、これでは個人がボケる。また、世代を論じるわけでもない。『或るベビーブーム世代…』では同名の世代が幾つもあるようだ。
 そこで欧米では通用している「ベビーブーマー」を使うことにした。

 「生活世界」はフッサール及びシュッツの言葉を借りてきた。日常生活でも良いが、社会(他者)への広がりを表現するには適切な用語と考えた。
 副題に添えた「個人・住民・市民」は振り返って自らの社会的姿勢を格好よく表したものだ。但し、その三様の在り方を「国民」が覆いかぶさっていることも確かだ。

 現在、自分で編集作業を行っている。「A5版」、220頁程度になる予定。
 起承転結の四部(成長期、発展期、転換期、統合期)、二十三章の構成、統合期は市民活動について書いている。

 

 面白そうな部分?執筆中及びその前後で考えた事などを紹介していきますので、閲覧方、宜しくお願いします。
 また、200部ほど印刷する予定です。ご希望の方は郵送させて頂きます。