散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

時間の稀少性の増大から「成熟時間」の侵食へ」

2022年02月28日 | 永井陽之助

自由と効率の現代的追求が「時間の稀少性」を招き、ベビーシッター不足を招いていることを前回(1月30日)に指摘した。その際、この事象が永井陽之助による指摘であることを書かずにいた。直ぐに本稿を書く予定であったが、自分史「或るベビーブーム世代の生活世界」の配布とその後の対応に忙しく、時間を消費したことによる…。

『経済秩序における成熟時間』(「時間の政治学」所収、中央公論社(1979年))は74年12月に発表され、三木内閣から大平内閣へと繋がる「成長から成熟へ」の政策転換期に注目されることになった。一方、永井はアイデンティティの危機の時代に生きるモラトリアム人間の行方に注目していたのかも知れない。エリクソンは青年期に関しては『青年ルッター』、老年期は『ガンジーの真理』を描き精神的危機を乗り超える姿を描く。しかし、子育てに関しては集中的な考察が示されていなかった。

当時の状況では、女性は仕事をしていても、結婚後は退職して家庭で出産・育児に専念する方が多かったと思う。一方、育児は幼児に寄り添って世話をする。この過程は成熟時間であるから(子どもだけでなく、両親も)、手間がかかり、人手・時間の稀少性に関しては効果のある方法に乏しい。結局、金によって他人の手を入手することになる。

現状、保育待機児童問題がベビーシッター問題へと発展、ここでも収入格差の問題が浮上しているようだ。取り敢えずは育児に長けたベテランの方を活用する方向へと舵を切る必要がありそうだ。