散歩から探検へ~政治を動かすもの

自己認識の学・永井陽之助の政治学を支柱に、自由人による主体的浮動層の形成を目指し、政治状況の認識・評価・態度を語ります。

凋落した日本の電子産業(1)~成長戦略は可能か?

2014年09月30日 | 経済
報道によれば、安倍首相は29日に召集された通常国会における所信表明において、今国会を「地方創生国会」と位置づけ、「地方の個性を活かす」、「女性が輝く」ことによって成長戦略を進めると表明した。

「地方と女性」を主役にするのも悪くはないが、「都会と男性」は脇役か、それでグローバル化の環境のなかで打ち勝っていけるとの甘い見込みなのかと、半畳を入れるのも野暮かも知れない。

知人が安倍首相の云う“地域”の中に、この辺り(川崎市内の住宅地域)は入っているのかと聞くから、「どこも入っていないよ。首相が頭の中に描く幻想の社会の話だよ」と、答えておいた。冗談ではなく、経済の主体は企業であり、特に牽引役を務める大企業の役割は大きいことは論を待たない。

なかで、日本の主要産業・電子産業の衰退が目立つ。今年の正月に「ニッポン半導体、なぜつまずいた 巨艦日立の教訓」が日経に掲載された。10年前に5兆円あった電子産業の貿易黒字が昨年1-9月に赤字に転落した。
そこで、何故か?を問いかけている。以下、引用する。

先ず、半導体企業の売上高順位の歴史的推移を示す。
順位 1990年(540億$) 2000年(2330億$)  2013年(3200億$)
 1 NEC      インテル(米)    インテル(米)
 2 東芝       東芝        サムソン(韓)
 3 モトローラ(米) NEC       クアルコム(米)
 4 日立       サムソン(韓)   SKハイニックス(韓)
 5 インテル(米)  TI(米)     マイクロン(米)
 6 富士通      STマイクロ(ス)   東芝
 7 TI(米)    モトローラ(米)  TI(米)
 8 三菱       日立        STマイクロ(ス)
 9 フィリップス(蘭)インフィニオン(独)    ブロードコム(米)
10 松下       マイクロン(米)  ルネサス

世界全体での売上高は2000年で10年前の4倍強、2013年ではそれ程の伸びはないが、50%弱の伸びを示す。日本勢は2000年での売上げは伸ばしているが、順位は下降し、それが2013年で東芝は横這い、日立と三菱の半導体部門が合体したルネサスは下降、更に、NECと日立のDRAM部門が合体したエルピーダはマイクロン傘下に入った。

以上のことを背景に、日経の記事では次の様に云う。
「円高、貿易摩擦あるいはアジア企業への技術流出が重なり、それが失速を招いたというのが外的要因主犯説」。しかし、「組織内部に問題の根っこが隠れていることが多い。外からの逆風が加わり、日の丸半導体の没落が現実になった」。

「会社の文化は歴史が育む。日立の社風の大きな特徴が予算主義だ…電力会社は長期の投資計画をつくる。そこに設備を納める日立の重電部門も先の見通しが立ちやすい。得意先は財務の安定した大手電力に限られる」。

「一方、半導体が想定通りに進むのは、むしろ例外。受注の取消し、ライバルの安値攻勢が日常茶飯…その時々の情勢変化に応じて迅速に動くことが重要。でも、それが理解してもらえない」。

「急成長したサムスン電子は市況が低迷している時にあえて巨額の投資をする逆張りの発想で成功した…半導体事業に求められるダイナミズムを経営陣がどこまで理解したかが、彼我の格差を生んだ大きな要因だ」。

「日立の半導体事業を通じて見えてくるのは製品サイクルが短く、技術革新の時間軸が速い事業分野で日本勢の劣勢が目立つことだ。半導体産業の興亡史が示す教訓をどう生かすか、日本の電子産業の将来を左右する」。

2000年はインテルの存在感が際立つ。日本勢に代わったのが韓台勢だ。サムスンは圧倒的な資金力で大規模投資を続け、後にメモリー分野で首位に立つ。台湾ではTSMCがファウンドリー事業モデルを確立した。

設計・開発に専念する「ファブレス」企業も存在感を高め、2013年には通信用半導体のクアルコム、ブロードコムが10位内に入った。現在、技術開発のハードルは高く、開発費が巨額で資金力のあるインテル、サムスン、TSMCの「ビッグ3」とその他企業の差が拡大している。

以上は素描であって、原因も内幕情報でしかない。それにしても成長戦略を遂行するには、産業・教育の行方にもっと関心を持つ必要がある様に思う。

      

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政務活動費は闇の奥、議員の懐へ~クロ現・揺れる地方議会(2)

2014年09月28日 | 地方自治
議員の“議会活動”が低調な様子は、昨日の記事で確かめた様に、議決機関として条例提案が全体の1%以下と推定されることから良く判る。その議員に給料、ボーナス以外に政務活動費(旧名・政務調査費)が多くの議会で議員に配布されるのは、経営原則からの違反なのだ。
 『認識の甘さを露呈する「NHKと北川教授」140928』

不祥事が相次ぎ厳しい視線が注がれる地方議会。兵庫県議による「政務活動費」の不自然な支出。実際は、私的な用途などに使われ“第二の議員報酬”となっている実態が浮かび上がってきた、とのナレーションで始まる「クロ現」。しかし、何を今更の感がある。

川崎市・阿部市長に対して「政務調査費」に関する住民訴訟が提起されたのは、2007年12月であった。内容は「03-06年間」の約13.6億円の内、既に外部監査によって目的外支出を指摘され、返却されたもの以外に、違法支出に当たる額を返還することであり、2012年1月に横浜地裁より、約1億2千万円を返還するように命じる判決が下った。

既に、その頃は各地の住民団体による返還訴訟があり、その影響もあって、自治体側での外部監査が強化されていた。例えば、大阪府議会では3.4億円、京都市議会では1.3億円の返還勧告が出され、議員の甘い認識が批判されていた。

川崎市の場合は外部監査により4年間での目的外支出が認定されたが、監査側が前半2年間での目的外案件(約1.2億円)に関しては、「返還に及ばず」とのとの見解を打ち出し、阿部市長もそれに倣っての措置であったため、住民団体が返還訴訟に踏み切った経緯があった。

その後、2012年8月に地方自治法の政務調査費条項の改正案が可決成立し、政務活動費と改称された。この改正案は交付の目的に「その他の活動」が付加され、「議員の調査研究と関係のなく目的外とされるものを、目的化できる余地を広範に与える」との批判を受けていた。

その一方、自治体側においても「政務活動費使途基準マニュアル」等の整備を進め、具体的な使い方の説明書を議会(事務)局が整備する等の改善措置をとるようになった。領収書の添付も徐々に各自治体は取り入れる様になり、情報の透明化も進んでいる。

従って、今回の兵庫県議会の元議員の不正支出の類いは、最低のレベルでの問題で有り、マスメディアが報道する様な問題ではない。また、全ての使用経費に対して領収証を付けるのは、当然だが、それで済むわけではない。北川教授は成果を示すと言ったが、議員個人の成果とは何だろうか。それを誰が認知するのだろうか。そこには誰もいない。

この考え方こそが公金を議員個人の懐へ、その闇の奥へ、追いやってしまうものだ。問題にすべきは、政務活動費と議会活動との関連性であって、議員個人の活動との関連性ではない。

例えば、放送で問題とした「会議費」だ。


「何処まで政務?あいまいな境界」として例示されている。論外であり、これらこそ、公金が議員個人から闇の奥へ導かれた格好の例に他ならない。教授は説明責任と言うが、公金であることにもっと問題意識を持つべきだ。

例えば、住民あるい地域との意見交換会はどうだろうか。それには「会議録」を添付し、その後のフォローも含めて、公開し、議会HPにも掲載することを義務づける必要がある。プロトタイプを議会報告会におくのだ。

更に、政務活動費は委員会管理にする。意見交換会は基本的に政策に係わるから常任委員会に割り振りできる。あるいは、常任委員会の中で各委員(複数でも良い)に割り振りしても良い。政策一般であれば、議会運営委の管轄にできる。住民の参加の基本は自由にする。議員個人が主催する場合は、年間の回数の上限を決めておく。ともかく、公金を使用する以上は、議会活動であって、議員個人の活動ではない。議会(委員会)が管理すべきなのだ。

      
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認識の甘さを露呈する「NHKと北川教授」~クロ現・揺れる地方議会

2014年09月27日 | 地方自治
一言で言えば、全く期待外れの内容だった。
「不祥事」と「不正支出」、この二つの「不」は地方議会の代名詞みたいなものだ。但し、前者は出来損ないの議員の行為、後者は制度自体の問題だ。議会の本質からずれる。最初のこのナレーションが語られたとき「こりゃ、ダメかな」と思ったのだが、予想以上に旧くから指摘事項だけの提起だった。

その中で、最後に提示された「議案」に関する議会の実態が問題の本質の一端を突いていた。しかし、時間の関係もあってか、番組の中の取扱いが粗雑であり、北川教授の説明も実態を具体的に把握していない様子であった。


  
筆者には、首長提案議案に対する原案可決90%は低いようにみえ、一方、議員提案議案5%は高い様に感じられた。ただ、議案であって、条例案ではない。議員提案の中には「意見書」(主に国に対する要望書)も含まれている。これは行政とは関係なく議会だけで出すものだ。条例案・予算案とは同列に扱えない。

最近の報道によれば、自民党中央が全国の地方組織に対して「憲法改正」の意見書を出すように指導しており、議決された地方議会もあるようだ。

さて、上記のデータの出所が明らかでないため、少し調べた処、市に関して全国市長会の調査・研究があった。全国の市議会のデータをまとめたものであり、都道府県、町村は抜けるが、傾向をみるのには使える。条例を比較しよう。

「市長提案議案」     「議会提案議案」
 条例  その他 計    条例  意見書 その他 計
 32,573 61,743 94,316  1,308  5,451  2,319  9,078
 (A)議会提案議案/議案総数  =8.8%
 (B)議会提案条例案/条例案総数=3.8%

ところが、これは議会だけではなく、条例全般に係わることであるが、議員提案条例案には、議員報酬、期末手当、費用弁償などの金銭に係わる条例、法の改正に関連して改正すべき条例、委員会設置等の議会運営に係わる条例等、市民生活には関係なく、形式的あるいは運営上での改正条例が含まれる。

そこで川崎市議会平成24年の議員提案(委員会提案を含む)を調べると、全体で5件、その中で、「虐待から子どもを守る条例」が唯一、行政に関連する通常の条例であった(因みに川崎市では(A)=11.6% 比較的大)。

一例だけでは十分ではないが、ゼロではないため(ゼロの処が多いと考えられる)、5件に1件を先に(B)に適用すると、実質的な議会提案条例案は、
 (議会提案条例案/条例案総数)×1/5=0.7% となる。

放送で掲げた議員提案議案の数値5%に関して、北川教授と国谷キャスターとの間で以下のやり取りがあった。
「私(北川)、ずっと…追求して…やっと5%きた…」、「議員提案が?」
「…ゼロだったんです…これを10,20%にしていく…民意の代表として…」
「地方はみずから考えて政策立案、実行するタイミングでは?」
「…ピンチをチャンスで切り替える機会だと…議会が捉えて頂けたら…」
「議会不要論が6割…」「…どう答えを出すか…今こそ議会に求められる…」

先に示したように、議会のミッションから「5%」は意見書を含み、実質的には大きすぎる数値であり、“実質1%以下”程度が妥当な数値であることは、議会に関する研究者であれば、直観的に察知して欲しい。また、クロ現スタッフも数値には厳しくチェックを入れるべきだ。尤も、5%では少ないと思っていた?

問題は議会のミッションが何で、現状の質的問題は何か、という問題意識だ。
北川が指摘するように、最近は、議員提案の数値は上がっていると思われるが、その内容を地方自治体の研究者群が調査・分析をどこまで行っているのか。それが学問の世界で先ず、共有され、更に実務レベル、先端市民レベルにまで情報が循環されるべきなのだ。

情報が脈絡に欠けて浮遊し、それが「事件」という磁場が発生することで、引き寄せられ、ゴミ情報の集まりとなる。それをより分けるマスメディアの視点が「不祥事」と「不正」では、先を切り開く展望は得られない。


      
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原体験、フロイド流の自己分析~永井陽之助の思考方法(3)

2014年09月26日 | 永井陽之助
永井陽之助はマスコミ的には、国際政治学専攻とみられているが、政治学者としての出発点は政治意識論、特に、ナチスドイツに顕れた大衆社会における政治現象の社会心理的学分析であった。処女作『政治を動かすもの』(「政治意識の研究」P1,1970岩波書店(初出1955))では、次の様に述べられている。
 『現代政治における権力と心理の相互作用120908』

「人間心理の外殻を破って浸透する権力は、逆にその深層に潜むエネルギーを政治の世界へと解放するに至った。こうして、権力と心理は相互に媒介しあい、権力の安定は心理に依存し、心理の安定もまた権力の安定を前提とするに至った」。

この政治心理学の基盤にあるのはフロイトの精神分析学だ。東大法学部政治学研究室に助手として残ってからの永井は、以下の人たちの著作に親しんだ。
1)政治学の主流、マックス・ウェーバーからカール・マンハイム、
2)精神分析学の基礎のフロイト、政治へ応用のH・ラスウェル、
3)フロイト左派と呼ばれる一群の社会心理学、
  エーリッヒ・フロム、セバスティアン・デ・グレージアなど、
  (エリック・エリクソンもこの頃に読んでいる)
4)大衆社会論、H・アーレント、D・リースマン
(「遺産」P31、「再建」P53をまとめた、以下も同じ部分)

「…その理論的基礎にたって、心理学的な政治学を専攻し、…その研究の過程で、私自身が、十代の青春期に、なぜナチズム、特に反セミティズムの歴史陰謀説の魔力に取り憑かれていったのか、その深層心理学的な理由を自分の育った家庭環境や人格形成の内面から了解し、自己認識を深めることができた」。

フロイト流の自己分析が永井の学問に染み込んでいった過程が簡潔に述べられている。こう読むと、比較的にすんなりと進展が図られた様に見えるが、何と言ってもナチズムに取り憑かれ、台湾での入院中に譫言をいって、周囲をあわてさせたのだから、簡単ではない。屈折したその悩みを引用しよう。
 『原体験、台湾での軍隊経験=入院140926』

「…フロイトをやり、H・Dラスウェルの政治心理学をやり、エリック・フロムの『自由からの逃走』などで、ほぼ、自分社会科学の方法が定まったように思えた。」
「だが、一方で、前からの論理実証学的な哲学がぼくを強く捕らえていた。東大の政治学研究室では圧倒的にマックス・ウェーバーの影響が強く、歴史主義的な傾向も強かった」。

「…論理実証学的な傾向が次第に崩壊してきた。…リアルな、内容のある政治学を自分で、建設しようと思うと、分析哲学的なものが果たして、動力になるかどうか、疑わしくなってきた。簡単に言うと、行き詰まってしまった」。

「一方で、フロイトに親しむことで、自分のパーソナリティや家庭環境、自分の成長過程、性の欲望と人間関係の問題など、自己分析を通じて、自己の体系が崩壊してくる。」「方法論のための方法論に陥ることの不安と、その内面の苦悩とが重なり合って、行き詰まりは深刻となった。一時、ノイローゼみたいになって、電気ショック療法もやりました」。

ここで語られているのは、若き日に身につけた論理実証学的なるものと、自ら築こうとする政治学との葛藤だ。それが、歴史陰謀説の魔力に取り憑かれた青春期を、家庭環境、人格形成を含めて深層心理学的に了解する過程と、内面においてパラレルに進行したのだ。厳しかったものと推察する。

「電気ショック療法」をうけた話は学生時代に聞いた。授業での雑談のときだと思うが、華麗なレトリックを駆使し、人を魅了する話をする教授が、精神治療を受けたことがあるとの話を聞いた当時、学生たちは体が固まってしまったのではないかと思う。まあ、筆者自身はそこまでは良く覚えていないのだが。

結局、「デビッド・リースマンの「孤独な群衆」に文字通り、心を奪われ…政治学とは、要するに人間の学であり、自己認識の学にほかならないことを悟った…ようやく、いままでの悩みが解消」となったのだ。

これまで、「旧制二高での自由、台湾での軍隊経験=入院、自己分析」を、永井の思考方法を形成した原体験と考えきた。

戦時下の緊迫したなか、社会的圧力から自由な旧制二高で、集中的な勉学と思考を重ねるクセを身につけ、台湾では真逆の庶民的英知に圧倒され、戦後、哲学的な悩みのなかで、自己分析に至ったのは稀有な経験と云える。その中から生み出された方法論は、その後の永井政治学の中で大いに発揮されているはずだ。

      
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原体験、台湾での軍隊経験=入院~永井陽之助の思考方法(2)

2014年09月24日 | 永井陽之助
旧制高校で学生生活に関しては、多くの知識人が語っており、昨日の記事での永井の話は特に例外的なものではない。続いて、戦争体験の話に入るのだが、入院体験になってしまい、拍子抜けの処がある。

粕谷一希は『永井政治学の思想的性格』(「二十世紀の遺産」所収)において、「戦争で陸軍(速射砲隊)に召集されながら、台湾に赴いて直ぐに病気になり、終戦までを病院で過ごしたことは、永井の例外的強運を物語るエピソード」と云う。

それでも永井は「日本社会に直に触れた初体験」と次の様に云う。
「逞しい生活力をもった人たちに圧倒され」、「庶民のかしこさ、要領の良さなどの我々には全然ない能力をそこに見出した」。

何だ、ボンボンだったのか、と思うが、それでも一高寮歌に唱われる「治安の夢に耽りたる栄華の巷低くみて」の様な、エリート意識は感じられず、庶民の生活力、賢さに感じ入っているのは、注目すべき処だ。
永井の感受性、素直さ、率直さを表しているように思える。

終戦後の坂口安吾「堕落論」を高く評価したことは、今では多くの人の知る処になっているが、先の粕谷論文によれば、中央公論(1964/10)において、戦後日本を「創った代表論文」を選考した際、永井が「堕落論」を強く推して、臼井吉見、江藤淳などの文学者の意表を突いたそうだ。この永井の態度に台湾での経験が反映しているのではないかと、筆者は想像を逞しくしている。

更に、『女房的リアリズム』(「多極世界の構造」P206(中央公論社1973))、即ち、イデオロギーに対して免疫性を持ち、良心のうずきの曇らされない生活者の眼、をもつ主婦たちを、永井が評価する基底には、台湾経験があると感じる。

筆者が東工大の4年生のとき、何かの雑談のおりに、多くの知識人は執筆、講演等で忙しく、勉強しているのかとの学生の投げかけに、永井は「(自分の場合は)女房が、だいたい断っちゃう、必要なものまで断ってしまうんだよ」と云って、苦笑していたことを想い起こす。庶民的な知恵をもった方なのだろう。ここでも台湾経験の影響というのは、野暮だろうが。

入院の話に移ろう。
「陸軍病院で何度か、死ぬような目にあい、絶えず死ぬことの意味を考えざるを得なかった…他方で、半年以上入院生活をしていると、内地送還を考えたりして、エゴイズムの存在を否定できなくなった」。入院生活で死に直面し、内面での「大義対エゴイズム」という闘いになったようだ。

更に、「科学的思想と神秘的思想」という形でも、永井の内面の中に葛藤があったと云う。この分裂症のような状況は、永井の思考方法を考えるうえで大切なことだ。ここでは、対立の矛盾を永井は直視していることを指摘しておく。

ところで、それは大変だったろうが、筆者が学生の時に聞いた台湾経験の話はもっとくだけていた。例えば、熱にうなされて、二高時代に夢中になったドイツ神秘主義の思想を譫言でしゃべって回りの人たちをあわてさせたとか、兄の成男氏が分析哲学の話で「記号」による手紙を送ってきて、スパイではないかと疑われたとか、面白そうに話していた。
 『原体験、旧制二高時代の厳しくも自由な生活140923』

それにしても、この台湾体験について、運が良かったとの感覚は永井にも強くあった様に思える。それが政治学者としての思考にどのように影響しているのか、窺い知ることはできない。しかし、内部に対立する矛盾を抱えて思考するという方法が、そこでの生活の中から生み出されたことは確かだと感じる。

      
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原体験、旧制二高時代の自由な生活~永井陽之助の思考方法(1)

2014年09月23日 | 永井陽之助
何処まで辿れば原体験に出っくわすか?良く判らない。
しかし、“永井政治学”をより良く理解するには、先ずは、ここから始めなければ、と思うようになった。

勿論、本人から話を聞くことは誰も出来ないし、関係者から口述史を取材することも現実にはできない。従って、永井の書いたものから推測を含めて理解する以外にない。そこで参考にするのは、以下の二点だ。
1)『座談会・哲学の再建』(中央公論1966/10)
2)『二十世紀と共に生きて』(「二十世紀の遺産」所収、文藝春秋社1985)

そこから抽出したのは、以下の三点だ。本記事では、1)について述べる。
1)旧制二高―社会的圧力からの自由
2)台湾での軍隊経験=病院での入院
3)自己分析~フロイド流の精神分析

旧制二高での世間から隔離された生活、社会的圧力から自由だった学生生活を、自らの関心事に対して集中して過ごしていけたことが、後の永井の学問に取り組む姿勢を決定づけたと考えられる。

あらゆる日本の公的な隔離生活のなかで自由が与えられたのは、おそらく、旧制高校と一部の幼稚園・保育所だけと、筆者には思われる。そこで永井は、「外からの強制と生命の脅威の中で、内面からの生命感を充実」を感じたと云う。

それは社会的圧力からの自由だ。
「最近、東大駒場の寮で、バーを開いたという事件があったが、あれは戦後学生生活の持つ一種の社会的圧力を象徴」「寮は一種の城みたいなもので、一般の社会から隔絶された特権を亭受」(哲学の再建)と云う。

この社会的圧力は、戦後の教育でのキーワードになる。
戦後は高校、大学と受験体制に組み込まれ、模擬試験から偏差値、内申書から一芸へと変化するなかで、受験生達は親、教師を始めとした社会からの圧力を感じて生活を送っていたからだ。

それと比較し、永井の世代の旧制高校生は、死の影の中での自由であり、本人の自覚次第で、厳しくも集中して勉学に励むことができ、それが原体験となって、後の人生に習慣として引き継ぐことが出来た様に見える。

永井は、その間の状況を次のように描写する。
「戦後は自由で戦前は不自由で圧迫されていたと、よく言うけれども、ぼくの実感では、旧制高校時代の寮生活が、ある意味で一番自由で、生命の充実感があった気がする」。

「軍事教練はあり、…しかし、配属将校も、ものわかりが良く、リベラルなところもあり、勝手なことをだべって、戦争中でも結構自由はあった。」「軍国主義イデオロギーや右翼の思想は寮生活に浸透し、その影響から逃れることはできなかった…けれど、自分でものを考える余裕はあった。友人仲間の間でも、道を求めるという気持ちが強かった」。

「台湾の速射砲隊に入隊する1年半くらい前の学生生活ほど、良く本を読んだことがないような気がします」。この雰囲気が、日本の旧制高校のすべてに渡り、覆っていたとも思えないが、二高の雰囲気は、集中して勉学するには、良好な環境であったことは確かであろう。

大学紛争時代おいて、『柔構造社会』との表現を車窓から見えた霞ヶ関ビルから捻り出し、若者に存在証明を与えない社会と論じるとき、永井の自由に対する原体験が映し出されているのかもしれない。
 『柔構造社会、霞ヶ関ビルからの発想140525』

しかし、この雰囲気の中で、後に述べる様に、永井は若きドイツ語教師の影響を受けて、ドイツ神秘主義のイデオロギーに染まってゆくのだ。

      
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切迫するジャパン・プロブレム、1987年~不透明社会・日本

2014年09月21日 | 現代史
日米間の経済的地位が相対的に変化し、互いのイメージに誤解をもたらす点に関して、永井陽之助の指摘を昨日の記事で紹介した。このとき、カレル・ヴァン・ウォルフレン「ジャパン・プロブレム」を引合いに出したが、内容は触れなかった。概要が検索で得られたので、ここで紹介する。
 『屈折する米国の日本観(3)140920』

ウォルフレンはアメリカの外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ」1987年冬号に「ジャパン・プロブレム」を掲載し、思わぬ反響を得た。即ち、各国のメディアやジャパノロジストから好評が寄せられる一方、日本の外交筋や高官から猛烈な反発が来たとのことだ。

ここでは、「米国の友人に送る手紙」(文藝春秋1987/5))から永井のコメントを先ず示し、次にウォルフレン論文に移る。
1)日本は戦前からハッキリと自己主張をしてこなかった。
2)ウォルフレン論文は問題の所在を突いている
3)日本は「透過革命」の敵とみなされている。

次に「ジャパン・プロブレム」の概要だ(「松岡正剛の千夜千冊」2006/4/3)。

「日本は世界を当惑させている。
大国となった日本は、世界が期待しているような大国にふさわしい態度をとっていない。それなら、国際社会の一員になりたくないのかといえばそうでもなく、国際的なプレステージを気にしている。欧米のゲームに参加して、80年代の初期からたいそうな勝ちを収めているのに、そのルールを守らない。」

「この時期は日本が主にアメリカによってジャパン・バッシングされていた時期である。自動車をはじめとする日本の輸出品がアメリカの"怒り"を買って、各地で壊されたり焼かれたりしていた。しかし、日本からすると困った実情であるはずなのに、日本はその基本姿勢を改めなかったばかりか、なぜ日本はそのような姿勢をとりつづけるのか、説明しようともしなかった。」

「ふつうなら、これは日本に国益を守るべき明確な意志や意図があるからだと想定されるところだった。そういうものがあってもかまわない。国家というものはどこだって国益のために動くものである。しかし、アメリカをはじめとする各国がそのような日本の意志や意図を分析しようとしてみると、あるいは当事者間で交渉してみると、日本側にそのような明確な方針があるとは思えなくなってくる。失礼しました、改善するように努力しましょうと言うばかりなのだ。」

「そこでウォルフレンは次のように推理せざるをえないと書いたのだ。
なぜ日本がこのような態度をとるかというのに、おそらく3つほどの虚構があたかも現実のように動いていて、日本を“変な国”にさせているからではないか。」

「1)日本は主権国家として最善の国益を選択すると諸外国からは思われているが、実はそれができない国。
2)日本は自由市場経済を徹底していると主張するが、ごまかしているか、内の顔と外の顔を使い分けている。
3)日本は世界中がまだ定義していない体制の国で、その自覚もない。」

「その観察に基づき、彼は日本を「柔軟」「曖昧」「独自」と弁護あるいは非難せず、日本は権力の行使を見えなくする「システム」があると見るべきだと述べた」。

日本国憲法のもと、日本は民主主義国だ。表面上は米国と同じだ。しかし、実態は異なり、日本に開かれた民主主義は根付いていない。これがウォルフレンの主張であり、私たちも思い当たるフシはあるのだ。

      
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屈折する米国の日本観(3)~日米間の地位変動とイメージギャップ

2014年09月20日 | 現代史
「半年のうちに世相は変わった」、これは「堕落論」冒頭の坂口安吾の言葉だ。しかし、直ぐに「人間が変わったのではない。人間は元来そういうものであり、変わったのは世相の上皮だけのことだ」と言い放つ。安吾の言うとおり、人間は敗戦前後で簡単に変わるものでもない。

しかし、慰安婦問題に関連し、冷泉彰彦氏は「JMM2013/8/10」で次の様に云う。
『米国の政府も世論も、かつての日本は「敵」であったが、それは「古い日本」であって、戦後の「新しい日本」は、アメリカにとって最も近く、最も親しみのある友好国だとの共通理解を持つ。』

「悪しき古い日本」と「親しみのある新しい日本」を米国の政府と世論は明確に区別する。それは米国が日本を変えたということではなく、戦後日本の平和志向の行動パターン、ソフトパワーのためだ。』

政治体制に対して時代的に区別は出来る。しかし、人間に関してそう簡単に区別が出来るだろうか。岸信介は良く知られている様に、戦前は商工相、戦後は首相だ。それを含めて公職追放と復帰の劇もあった。安吾が言うように、人間は変わりもするし、変わらないでもいるのだ。また、時代的に区別をしたとしても、その時代の全てが悪、全てが善というわけでもない。

先の2回の記事で、米国のヒット作品であるテレビドラマ「将軍」、ミュージカル「太平洋序曲」、についての永井陽之助の分析を紹介しつつ、慰安婦問題に関連して考察した。当然これらは、米国の一般人の考えを知るためだ。
 『屈折する米国の日本観(1)140918』
 『屈折する米国の日本観(2)140919』

「将軍」では、欧米人の思考の基底に古代ペルシャに由来する東洋イメージがあり、慰安婦問題での性奴隷との表現の中に、性と専制の世界を再確認する発想があること、また、「太平洋序曲」では、日本を近代国家に育てた米国の功績とのの視点があり、性奴隷との表現が、啓蒙主義的な負のユートピア思想として政治問題化されたことを指摘した。

これらは、意識の底に潜んでおり、表層での「親しみのある新しい日本」と矛盾無く共存し、社会状況によって、励起される。従って、冷泉の指摘だけでは不十分であり、例えば、日米経済摩擦のおりに出てくる「サプライズアタックを掛ける日本」とのイメージはでてこない。

この点について、経済的地位の相対的変化に起因する互いのイメージの違いが誤解をもたらすと永井は次の様に述べる。
「日本は圧倒的な米国経済に対して未だ対等な競争は無理と考え、米国は官民一体の日本株式会社が、安全保障にタダ乗りし、米国に挑戦しているとみる」。
 『イメージギャップの中の日本1972年140614』

更に、1985年頃のジャパンプロブレムに関して、戦前から続く日本の社会の不透明性について、「貿易摩擦とは、グローバルな経済とローカルな政治との松涛から生じるもので、政治は人間や文化という、元来不透明で、ドロドロしたものと係わる、しかし、米国は建国の精神からこの世界から不透明性を除去する開かれた社会を目指す」と指摘している。

ここでは、「親しみのある新しい日本」が、米国とは異質の価値観と生活習慣を有し、それ故に米国とぶつかることを明確にしている。それが国際政治であり、外交を必要とする所以だからだ。冷泉説は余りにも世界を単純化し、アメリカ的価値を押し付けることになる。

また、慰安婦問題に関しては、冷泉の指摘する「古い日本」の名誉回復を志向しているわけではない。その問題はすでに韓国と日本の政府同士で決着済であるし、日本は基金を設立して補償に対応している。虚偽をベースにした誇張した表現に抗議しているだけだ。その意味で朝日新聞の記事抹消と謝罪は、基本的に国内問題である。

しかし、大切なことは、一年以上も前の記事に書いた様に、沈黙文化・黙殺文化を打破することだ。おそらく、日米経済摩擦の問題においても、日本の主張を理解させることが不足で米国流のロイヤー的論理に押されていたのではないか。東アジアにおける近隣外交もまた、基本的に同じ問題を抱えている。
 『外国に対する「黙殺文化」と直截な翻訳表現130618』


      

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屈折する米国の日本観(2)~慰安婦問題で日韓は同じイメージの中に

2014年09月19日 | 現代史
テレビドラマ「将軍」に表れた米国の日本観を分析して、その根源に古代ペルシャがあるのと永井陽之助の指摘(「誤解」E・ウィルキンソン(中央公論)からの引用)を、昨日の記事において紹介した。それは、野蛮な専制と放恣な性の世界から構成され、ギリシャと対比される「東」と「西」の原型として固定化されている。東は中国、日本に至るまで入る。
 『屈折する米国の日本観(1)140918』

「性奴隷」とは、上記の「野蛮な専制と放恣な性の世界」のイメージを戦争に投射させて造り上げた造語のように感じる。「奴隷」という言葉を我々日本人が使うことは多くない。冗談まじりの比喩として「奴隷のような生活」などと云うことはあっても、貧しい境遇の人びとを直接的に「奴隷」とは呼ばない。また、「性」という言葉を露骨には使わない。

一方、米国は奴隷制度を創設し、黒人奴隷は400万人までに達した。おそらく、奴隷のイメージは一般の米国人には旧有されたイメージがあるに違いない。それに「性」を付けることによって、ただそれだけのために酷使されている女性のイメージを造り出したのだ。

勿論、通常の生活で、特にこの種の情報に接しなければ、「性奴隷」との言葉に無縁な人たちも、一旦、マスメディア等でその言葉が流布され、事情が説明されれば、気持ちが“励起”されることになる。そこで、日本人の原型と照らし合わせが行われ、そのイメージが確認されると共に、イメージに合うように新たな情報が固定化される。

ここで注意すべき重要なポイントは、上記の日本人イメージは、ペルシャから、インド、中国から連なるものだ。従って、韓国もその中に入るのだ。簡単に言えば、日本と韓国は区別されずに東洋の一角としての国々の一つなのだ。

従って、慰安婦問題も東アジアのペルシャ的世界として米国人の固定観念を再確認させるものとして働くのだ。それは長期的にみて、米国人の基底にあるイメージを更に固定化させる作用をもたらす。日本と韓国は同じイメージの中におかれ、それは現代の国際関係の中にじわじわと染み込んでいくであろう。両国共に得ることは少ないはずだ。

その一方で、米国の対日イメージの中に、日本を「民主主義国・経済大国」に育てたとの視点がある。これもブロードウェイミュージカル「太平洋序曲」のヒットからの永井の連想だ(「時間の政治学」(中公叢書P193)。

これを「マイ・フェア・レディのアジア版」と永井は呼んだ。
粗野で無教養の開発途上の生娘を、時間をかけて貴婦人に育てあげていく、という筋書きだ。戦後日本はマッカーサー元帥からライシャワー大使まで、ヒギンズ教授型の後見人に恵まれてきたと、皮肉を込めて云う。

その現在版がケネディ大使と云って良い。その近代化の旗手で、父親・ケネディ大統領の神話が今でも通用する唯一の国とも云われる日本への赴任を考えたのはオバマ政権の誰であろうか。その第一の使命は、日本における女性の地位向上への啓蒙活動であろう。

しかし、そこで永井が「民主主義も共産主義も、人類の経験する唯一の精神革命である啓蒙思潮が生んだ異母兄弟であって、伝統的秩序を否定する「負のユートピア思想」を共有するが「正の行動規範」については何も語っていない」と云うとき、その「負のユートピア思想」的発想の中に性奴隷との表現が含まれるとは、考えていなかっただろう。

性奴隷との表現が、啓蒙主義的な負のユートピア思想として政治問題化された。それが直接の被害者を越えて、国連を含めて世界に多くの利用関係者を含む利害関係者を生み出し、報道機関を通し、センセーショナルなニュースとして世界に伝えられた。それが世界の20ヶ国以上の議会で慰安婦非難決議が採択されたことに跳ね返っている。ここに慰安婦問題の性格が表れている。

今回の従軍慰安婦問題における直接の被害者に対して、日本はアジア女性基金制度を作って対応した。第二次世界大戦以降の歴史において、日本は戦後の進駐軍に対する慰安所設置と運営の問題があり、韓国にも朝鮮戦争、ベトナム戦争での慰安婦問題を抱えているはずだ。今後、同じ様な問題になるなら、同じ対応をとる以外にない。

さもなければ、永井の指摘する「再確認」の繰り返しという進展のない結果になるだけであろう。


      
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屈折する米国の日本観(1)~慰安婦問題の底に潜むもの

2014年09月18日 | 現代史
朝日新聞が「慰安婦の強制連行」という証言が虚偽であったことを認め、その記事(初出1982/9/2)を取り消した(2014/8/5)。慰安婦問題は、既に日韓で決着済の問題を上記の記事がもとで、韓国側が再び取り上げ、米国をも巻き込み、政治問題にしたものだ。

特に、英語で性奴隷と訳され、米国議会下院で謝罪要求決議が可決され、なおかつ、慰安婦像なるものが、いくつかの地方都市で設置されていることだ。これに対して、日本政府・外務省は有効な手立てが出来ず、また、国内で朝日新聞に同調する政治集団が反日本政府活動をすることで、日本の立場を悪くした。

米国の下院といえば、デフォルト問題でオバマ大統領を追い込んだことで地方自治の何たるかを、世界に示した強者議員の集まりだ。これは米国の地方レベルで慰安婦問題が奇異の眼で見られ、簡単に反日感情に火を付けられる可能性を含むことを示唆している。日本に対してどのようなイメージがその基底にあるのか。
 『米国議会の「騒動」からの教訓131019』

30年前のことになるが、永井陽之助は『日本にこだわらない日本論を』(中央公論1984/5)の中で、「欧米の理想モデルに比較して日本の文化的・社会的な特異性を強調する議論の時代は終わった」と述べ、その中で、ステレオタイプ化した日本イメージの問題を提起した。そこのは“性愛”に絡むイメージも存在する。

永井は当時、米国のテレビで大当たりした番組『将軍』の再放映を見て、「この東洋エキゾティシズムに満ちた二流の番組が、何故、あれほどまでに米国人視聴者にうけたのか、理由の一端が漸く判った」と述べる。以下、更に引用する。

最初の導入部、磔、切腹、釜ゆでなどの残酷な処刑あるいは東洋的な抑圧と専制のシーン。後半になると、島田陽子が扮する東洋的美女があられもなく男の寝所に忍び入るという、エロティックな場面。
これは欧米人のステレオタイプ化した「東洋」イメージの二重性を再確認させるものだ。その起源は古代ペルシャだという。

一方で、想像を絶する残虐な拷問と処刑、野蛮と抑圧、
他方でハーレム内部の、神秘的で、あらゆる禁忌と抑圧から解放された放恣な性、女性の美とエロティシズム、これがギリシャと対比され、「東」と「西」の固定イメージの原型となって今日まで生きている。
「オリエント」「イースト」のステレオタイプはペルシャ、アラビア、インド、中国、最果ての「極東・日本」にまで及んで完成される。

従って、欧米のメディアが日本特集を組むときは、この二重性のイメージを必要とする。ホンダのオートバイに乗るサムライ、ロボットに配する芸者、である。

そこで筆者が思いつくのは上下を着けて、安倍首相が三本の矢を射る姿で、アベノミクスを象徴させるやり方だ。これで、欧米人は、日本「変われば変わるほど元のまま」だと、心から納得して、安心するのだ。


なるほど、そういうことか。
この論文を読んで、慰安婦が「性奴隷」と米国で呼ばれたことが、性と専制の両面に渡る日本人のステレオタイプ化されたイメージを、米国人が再確認していることに他ならないと理解できた。
それに対して、自分たち米国人はキリスト教のもと、性を昇華し、人権が行きわたる民主国家なのだと!自らの奴隷制度を棚に上げてだ。


      

      
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