散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

筆者と自分の間の対話~自分史余滴(2)

2022年04月30日 | 個人史

先の記事(3月14日付)において、自分史の出版による読者(稀少ではあるが…)の誕生、その読者と筆者との対話が潜在的にでも存在すると考えた。そうであれば、「著者(筆者)」と「自分」(読者としての)との間にも対話が成立するはずだ。いや、それは執筆を決めた時から始まっていたのだ。

『或るベビーブーム世代の生活世界~個人・住民・Citizen~』の「はじめに」は、
 1.「ベビーブーム世代」と「団塊世代」
 2.「個人―生活世界―社会」
 3.時の旅人~筆者が「自分」を探検する
以上の三項目から構成されており、主に『3』がそれに当たる。

実際、原稿はA4版で書いたが、最初に書き上げたものは、「市井人の自分史」としては、類似の出版物と比べて分量が極めて多かった。そこで、自らの軌跡を描くなかでの関連を考慮して、削減せざるを得ないものを選び出した。但し、それは筆者の判断であって、自分としては不満ながらも納得して出版を急ぐようにした。

出版後の献本、感想等の受理・返信等も一段落した現在、改めて削除せざるを得なかった部分を読み直し、筆者に加えて著者の視点からも文章として残したいとの気持ちが盛り上がり、先の「余滴」との表現を借りて本ブログに投稿することにした。

なお、「余滴」との表現は以下の永井陽之助の論文から借用させて頂いた。

「現代史の神話―「冷戦史研究余滴(1)」『歴史と人物』1973年5月号(中央公論社)
「原爆投下の決定―「冷戦史研究余滴(2)」『歴史と人物』1973年8月号(中央公論社)

 


「抑止と同盟」、学ぶべき論稿(2)~露(ロシア)の宇(ウクライナ)侵略

2022年04月03日 | 国際政治

露の侵略に対するNATO諸国の当初の対応は…防衛の義務がないこともあってか、どこか他人事で、もたついていたと筆者には感じられた。

核兵器に関して、露の脅しに有効な反論がなされず、また、宇からポーランドに対するミグ戦闘機譲渡の要望にも、米国を含めて相互連絡にもたつき、結局、ロシアの核兵器使用の脅しに屈した形で出来ず仕舞いに終わる。そのため、宇軍の現場での奮闘で漸く戦線を持ち堪えている状況でいる。
しかし、一般人を含めてその被害は大きく、終結は見通せない。何故?

「抑止と同盟から考えるロシア・ウクライナ戦争」鶴岡路人(慶應義塾大学准教授)の分析が参考になる。問題のキーワードは<抑止>になる。

以下に引用する。
国際問題研究所 欧州研究会 FY2021-8号 研究レポート 2022-03-29  
https://www.jiia.or.jp/research-report/europe-fy2021-08.html

問題は宇がNATO加盟国ではなく、米国を含めたNATO諸国は宇に対する防衛義務を負っていない。そこで対露「抑止」を如何に捉えるか?これに係っている!
そこで鶴岡准教授は次の考え方を示す。

(1)ウクライナ国境地帯への露軍集結に対し、米国は露の宇侵攻を防ぎたかった、つまり抑止したかったことは確かだろう。
(2)但し、そこには明確な限界が存在した。
それは2021年12月の段階でバイデン米大統領は「(防衛)義務はウクライナには至らない」と述べ、「米軍派遣を選択肢に挙げたことはない」と言い切る。
(3)更に、上記の考え方を、行動しない免罪符として使っていた。
(4)しかし、ここで「思考停止」してはいけなかったのだ。

次の様に考えることは可能だった!
(5)防衛義務が存在しないとしても、集団的自衛権の発動は不可能ではない。
(6)国際連合憲章は集団的自衛権を国家固有の権利として認めている。
(7)他国を軍事的に支援することに対し、安全保障条約は不可欠ではない。
(8)実際、湾岸戦争の際、米国とクウェートの同盟関係はない。
(9)「イスラム国」に対する有志連合による空爆作戦は、イラク政府の要請に基づき、米英仏等がそれぞれ集団的自衛権を発動して対処した。

米国あるいはNATOによる宇への軍事的支援は、米国・NATO側による政治判断である。その判断では、(1)宇の重要性―同国を守る価値―と、(2)対峙する相手だ。
一方、二点を完全に分離して考えることはできない。「宇はNATO加盟国ではない」という主張は(1)に該当するが、バイデン大統領が繰り返す「第三次世界大戦になる可能性」は、(2)に係る。仮に(2)が強調される場合、NATO加盟国の防衛にも疑念が生じる。

「ウクライナにおいて」米国がロシアと戦うことがなくても、そのことは、ロシアの行動を抑止することが米国の国益の一部であることを否定するわけではない。ウクライナを防衛することと、(米国の望まない)ロシアの行動を抑止することは、本質において異なり、前者の意思がなくても、後者の必要性は減少しないのである。

米国・NATOの事情は、露の抑止にも大きな影響を与えた。即ち、露の抑止に失敗すると共に、宇への侵攻後も、「エスカレーション・コントロール」の失敗を続けていると評価せざるを得ない。

露は、NATOによる次の措置を封じるための抑止メッセージを繰り返し発してきた。宇上空の飛行禁止区域設定や、ポーランドなどから宇への戦闘機供与、さらには一部NATO加盟国が保有する旧ソ連製の防空システムS-300の宇への供与などに関し、「戦闘への参加」とみなすと警告してきた。これは、露が主導権を確保し、NATOを一方的に抑止している状況に相当する。これは由々しき事態なのだが、NATOからはその問題意識すら聞こえてこない。これはNATOにおける抑止の発想の不足を示している。

即ち、最後に問われるのは、エスカレーションを覚悟したうえで抑止を構築することであり、政治指導者の判断が問われる。

更に、鶴岡論稿では生物兵器、経済問題と議論は続く…参照して頂きたい。


ロシアのウクライナ侵略~学ぶべき論稿から

2022年04月01日 | 国際政治

奇妙な始まりだった。
ニュースでは米国・バイデン大統領が、ロシア(露)によるウクライナ(宇)周辺の軍事演習を示し、露による宇への侵略の可能性を示し、警告を発していた。
それがその通りの結果になる。

本来、奇襲のはずではなかったのか?ゼレンスキー大統領が真珠湾攻撃を引き合いに出して露を批判したという。但し、宇は国境に軍隊を集結できない。どちらとも判らない一発の銃声から戦いが始まることも…盧溝橋事件のように!所詮、露が攻め込み、また、「宇から仕掛けた」とプーチンに言われるだろう。
その後は毎日、露の過酷な攻撃がニュースで流される。

そんな状況の中、一人の個人としてマスメディア、有識者たちが流す様々な情報を処理せざるを得ない。そこで、参考になった論稿を紹介してみよう。

先ず、筑波大・東野篤子准教授「露と欧州 意思疎通欠く…」(読売新聞22/3/9)
氏は「ロシアのどのような言い分を取り上げても、今回のウクライナへの軍事侵攻は正当化できるものではない」と言い切り、歴史的背景を手際よく記載する。

1991年 プーチン発言…
 米国が「北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大はしない」との口約束をした
 ドイツの再統一交渉時、米国のベーカー国務長官らが語った内容を根拠
  →NATOの一部政治指導者の発言、NATOの総意ではない
   口頭での話を理由にした主権国家侵攻は許されない
1997年 ロシア、NATOの基本議定書を結び、互いに敵と見ないこと確認。
  →NATOの東方拡大を事実上黙認。
2002年 「NATOロシア理事会」新設に関するローマ宣言にプーチン署名   →バルト3国のNATO加盟に繋がる
  →ロシアとNATOが二度にわたって文書を交わして協力に合意
  →「欧州の秩序からはじかれた」とのロシアの主張は一方的
2008年 「NATO首脳会議」ジョージアとウクライナの将来加盟が約束
 →ロシアの欧米敵視!
2014年 ロシアは94年のブダペスト覚書(ウクライナ主権を認める)を破棄
 →クリミア併合
 →先進7か国の経済制裁→ロシアの孤立感
 →クリミア併合以降、ウクライナはロシアの脅威に
 →宇・ゼレンスキー大統領が欧米への傾斜を強める(同盟を自由に選ぶ権利)
 →宇、市場経済への移行、司法制度改革等

これまでの露とNATOとの交渉、その結果としての文書への署名、調印等を示す。今回の露の行動が、国際的に認められないことが簡潔に示されている。