散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

本書の構成~四部、二十三章~自分史完成(5)

2021年04月24日 | 個人史

第一部・成長期から発展期、転換期、統合期の四部、全二十三章の構成。

記憶を中心に、手元の記録・写真・雑多な資料・スクラップ等並びに関連文献を参照して構成されたイメージを基に記述する。なお、最後に参考文献と年表を添付する。

第一部・成長期:父母の軌跡の中で「個」が芽生え、社会と対峙から内へ

母の「空襲体験の話」と自分の「余波体験」から物語は始まり、最後に父の死、俳句に心象風景を託す母の生き様を描く。
その間、自分の黄金期・個独期・現実注視期を辿る。個の在り方、将来像に関わる選択及び生涯の趣味としての読書、スポーツ(野球・サッカー)、囲碁との係わりを中心に、「生活世界」の広がり、変動する「社会」も描写する。

第二部・発展期:「文理両道」の志を生きる

東工大へ入学(67年)。材料科学に関心を持ち、卒研では指導教官の理論的仮説に沿った実験結果を得る。東芝入社・研究所配属(71年)。二つの国家プロジェクトに従事、また、その間にブレークスルー技術も開発。発表論文は教科書的専門書等にも引用される。

永井陽之助教授のゼミ形式授業を受講、「自己認識の学」に注目、卒業後も「贋学生」として聴講。また、山崎正和、山口昌男等の著作及び映画・演劇・芸能等、社会的関心と趣味的世界をパッチワーク的に結びつける。その中で「地方の時代」に注目する。

大学夜学生の彼女と卒業後に結婚(84年)、子どもの誕生と共に地域活動へ目が向く。

第三部・転換期:業務と共に地域住民としての「岐路」に立つ

企画部へ配置転換(88年)、「新拠点建設計画」を担当、竣工後、管理運営に追われる。

地域活動の準備に放送大学「発達と教育」を受講(90-96年)。少年サッカークラブのコーチに就任(97年)。退職・再就職(02年)では単身赴任を断り、地域活動の両立を図る。

第四部・統合期:地域住民にして川崎市民、更に「Citizen」へ

市民として公平性の視点から少年サッカー施設の充実を市へ提起(02年)、行政計画に載せる(05年)。更に住民投票条例を巡っての市民活動から「Citizen」との認識へ(08年)。

市民有志で議会質疑の研究を始め、識者から「議会批評」との評価を得る(07年)。更に市民に開かれた議会へ、活動の幅を広げる。その改革活動が選挙前に新聞に注目され(11年)、気運を盛り上げるが…急転換(同年3月)!

活動記録をまとめ『市議会白書』として出版(10,11年)。また、故永井陽之助に関する出版の企画に協力、インタビューを受け、手元の資料を提供する(13年)。
最後に今後を展望する。

 


「筆者」と「自分」の関係~自分史完成(4)

2021年04月02日 | 個人史

 執筆にあたり、筆者の考えと当時の「自分」の考えを区別することを思い立つ。

 そこで、筆者は「自分」を探検する「時の旅人」となる。旅人が「自分」の活動と心的風景を描写する方法だ。その旅において、幼少の頃からの様々な、契機、経験、選択があって自己が形成されていくことを改めて知る。それぞれ新たな「自己発見」も含まれる。

 しかし、それ以上に、その「繋がり」あるいは「変化」の中に、自らの人生を丸ごと再発見できたと感じとる。

 但し、このアプローチは<記憶>が純粋の記憶なのか?との問いを伴う。

 筆者が自分を対象化した時、それは観察者から見た自分にデフォルメされたのではないか?従って記憶は純粋な当時の自分と異なるものを含んだものではないか?
 これはプルーストが『スワン家の方へ』で表現した有名な挿話、「紅茶に浸したマドレーヌ」から現れる過去の問題かもしれない。