散歩から探検へ~政治を動かすもの

自己認識の学・永井陽之助の政治学を支柱に、自由人による主体的浮動層の形成を目指し、政治状況の認識・評価・態度を語ります。

仮説・インテリジェンスの勝利~前回W杯予選・日本~

2014年07月30日 | スポーツ
今回のブラジルW杯の個々の試合に対するコメントは都度記事にした。残るは総括だが、その前に、別の処で書いた前回W杯の総括を再考してからにしようと考えた。それはJFAによる総括が「調整の失敗」で止まっているためだ。

確か前回は調整の成功が予選突破の要因のように言われていたと思う。しかし、調整でサッカーの結果が左右されるのであれば、誰がサッカーを見にくるの?と半畳を入れたくなる。

以下、表題の記事はメルマガ2010/7/3に掲載したものに、筆者が本日、所々にコメントを入れたものだ。

仮説・インテリジェンスの勝利~W杯予選・日本~
1.問題の所在
2.「ノーチョイス」と「インテリジェンスの効果」
3.「リズムの作り方」と「不要となるシュンスケ」
4.「創造的プレーの封じ込め」と「日本人の魂」

1.問題の所在

W杯の日本チームは前評判(不評)を覆す予選突破であった。「決トナ」で直ぐに敗退したが…。それでも良くやった、惜しかったと岡田監督と選手たちを褒め称える雰囲気に満ち溢れ、その評判は蘇った。岡田監督もこの雰囲気に安心してか、「脈々とつながってきている日本人の魂…」と生真面目に反応した。

筆者は高校、大学(一般的な弱いチーム)のサッカー部で活動し、この十数年は地域の少年サッカークラブ(一般的な…)のコーチをつとめ、最近は地域のスポーツクラブで「大人のサッカー」(一般的な…)の仲間入りをして楽しんでいる。
(筆者:この4年間、続けている)。

単に、普通の生活のなかでサッカーの情報に接しているだけである。しかし、時としてその情報をサッカーの枠に閉じこめないで考えるクセがある。今回の表題はそこから発想したもので、客観性?は乏しい。
(筆者:サッカーこそはグロ-バル化していく、スポーツビジネスの真っ只中にいて、世界の様々な活動の影響を受けている)。

2.「ノーチョイス」と「インテリジェンスの効果」

直前の強化試合(5/24)で「日本 0─2 韓国」と完敗した。韓国はヨーロッパ標準に近いチームに仕上り、その中でのパクチソンの得点はプレミアリーグの水準を見せつけた。おそらく、この衝撃が日本を「ノーチョイス」に追い詰めた。次のイングランド戦からW杯に続く“New”日本チームが登場したからだ。

しかし、「ノーチョイス」は逆に戦略「専守防衛」の確定を意味する。情報収集・分析は緻密化、それに基づく戦術構築のインテリジェンス活動、W杯開始前の試合、練習で試し、精度を上げる。
(筆者:今回のブラジル大会では、日本は攻撃を仕掛けるチームとの触れ込み、マスコミ・ファンも同調!)。

更に開始後、現実の敵の試合に対する情報戦は徹底されたはずである。弱小チームが勝ち上がる道はこれしかない。試合毎にチームの守備戦術は磨かれ、結束力も強くなった。ここが他国チームと比べ日本チームの傑出した特徴であったと想像する(実は比べるものはないのだが…)。

なお、インテリジェンス活動の中心はNHKニュースに登場した小野剛氏であろう。氏は98年・フランス大会で岡田監督のもと、コーチを勤めた。その一方で、オランダの方法を取り入れ、育成年代の技術・指導体系を「指導教本」としてまとめた。これも98年度に発行され、日本全国の少年サッカー指導のバイブルになっている(著書「クリエーティブ サッカー・コーチング」(大修館))。

3.「リズムの作り方」と「不要となるシュンスケ」

専守防衛の戦術を具体化し選手に徹底するには、互いに関連する動きでリズムを作ることが必要である。先ずは守備、続いて攻撃への切り替えに関して、お互いが“同一”の意図でプレーを継続することが不可欠である。ここにシュンスケを外す意味が出てくる。創造的なプレーは単純な意図の「遮断」が含まれるからである。簡単なプレーでOKな場合でも、彼はボールを持ちすぎる場面がある。周りの味方は一瞬、彼の意図に?を抱く。リズムが継続しづらくなる。

やれることをやるだけとの状況認識を共有して、初めて日本チームは戦術を確定し、作戦を立て、メンバーも決め、その力を発揮した。だが、少しステップが上がると行き詰まり、パラグアイ戦ではその弱点を露呈した。しかし、作戦は一貫し、PK戦まで遅延できたのは大きな成果、負けなかったという意味では良くやったのである。一方で勝てなかったとの意識は希薄になる。これが脈々とつながる魂か?…。

戦略的にはノーチョイスの切羽詰まった状況で「戦術」を立てる。これは太平洋戦争末期・硫黄島での日本軍の徹底抗戦・玉砕作戦を想到させる。
 「やれる限り抵抗(戦術)→敵攻撃遅延(目標)→秩序維持→集団的力の発揮」
 特に戦略的創造性と選択の判断を必要としない。司令官・栗林中将は名将か?
 硫黄島では戦術的に成功して玉砕、しかし、戦略的には失敗の過程に過ぎず、最後は沖縄戦の悲劇につながる。
(筆者:今回のブラジル大会でも「硫黄島」を想い起こした。しかし、この記事は頭に想い浮かばなかった。)

4.「創造的プレーの封じ込め」と「日本人の魂」

日本は弱小チームとしてインテリジェンス活動に基づいた作戦を徹底した。しかし、守備を中心とした組織的プレーと守備から攻撃への創造性の含んだプレーのトレードオフは避けがたい。今回は前者へ傾けざるを得なかったことで、思い切り良く切り替えることができ、戦術的成功である。しかし、戦略的評価は定まっていない。
(筆者:結局、その場限りの戦術に終わってしまった。4年ごとのW-Cupに合わせて、監督を替え、スタイルも変えるのは良いことか?)

戦術、戦略については新聞、雑誌等でこれからも論じ続けられるであろう。しかし、大切な問題は表面的な議論ではない。情報の入手、分析、なかんずく戦術の策定はそれを実行する具体的メンバーとの相互作用で成り立つ。

バックヤードでのインテリジェンス活動と短期にそれを試合に表現した日本チームの成功のカギは何か?一方、どこに隘路があるのか?一致団結の中で創造的プレーをどう織込むか?それを考えることは我々自身の活動に多くの示唆を与えると思われる。

サッカーだけから言えば、攻撃に向けたプレーのなかに少数であるが創造的なプレーが含まれているはずである。どの世界でも先端的な少数の例こそが大切である。それを取り出し、広げていくこと。これが今後の戦略へ向けた第一歩あり、インテリジェンス活動としてすでに始めているであろう。

その意味で本稿はオランダがブラジルに逆転勝ちした試合、反転してブラジルを圧倒したオランダ、をみながら書いたことも偶然ではないかもしれない。勝ち負けはともかく、日本の試合で面白い…内容を含む試合を見たいものである。

初出:メルマガ 探検!地方自治体へ(第129号 2010/7/3)
 
仮説・インテリジェンスの勝利~前回W杯予選・日本~』
 

      
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建設中の理研「笹井ビル」が象徴するもの~Nスペ「STAP細胞 不正の深層」

2014年07月29日 | 現代社会
副題は一昨日のNHK放映番組。最後にカメラが神戸ポートアイランドの医療産業都市構想において建設が進む理研の研究拠点「融合連携イノベーション推進棟」(通称 笹井ビル)を捉えた時、理研の煮え切らない態度の意味が了解できた。



それはまた、今回のSTAP細胞事件とそれを取り巻く諸般の事情の全貌を象徴するかの様な装いを見せる。NHKは何故、放映開始直後の導入部で理研の命運を賭けたこの建屋、「笹井ビル」の建設中の姿を出さなかったのか。これこそが、STAP細胞事件の背景にある意味を示すものだ。

上記の模型図は絵に描いた餅だが、NHKの放映でみられた上空からの建設中のエリアはとてつもなく大きな全体像を想像させる。

理研の研究組織として、iPS細胞を使った再生医療、スーパーコンピューターを活用した医薬品の研究開発などを進める発生・再生科学総合研究センター以外にも、スパコン「京」を運営する計算科学研究機構、陽電子放射断層撮影装置などを使って認知症などを研究するライフサイエンス技術基盤研究センター、細胞の相互作用などを研究する生命システム研究センターなどが集積され、医療産業都市構想の中核的な役割を担っている。

2015/3末に建屋は完成、6月頃の研究開始を目指すという。iPS細胞だけでなく、STAP細胞も含めた世界に冠たる研究部隊を擁し、応用研究部隊も協力企業を集めて飛躍的に拡大され、研究成果を次から次への発表できる。その夢のストーリーを具現化したのが、細胞をイメージして五―六角形をパズルのように組み合わせた奇妙な外観になるようにと。

だから、改革委員会は発生・再生科学総合研究センター(CDB)の解体を提起したのだ。岸輝雄委員長がその理由について、「STAP問題と縁を切り、他の研究者が本来目的とする研究ができる環境に戻すべきだ」と述べている。

即ち、「任期制職員の雇用を確保し、組織の名前を変え、センター長らを交代させ、現在のCDBと違う組織に変える。新組織のトップはSTAP問題への対応から離れ、他の研究を進めることができる」。

以上に述べた背景を考えながら、不正の部分を振り返ろう。
小保方氏がSTAP細胞として若山氏に渡したのは、若山研究室に保管されていたES細胞だった。そのES細胞が小保方研究室の冷凍庫から出てきた。新たな情報としては、小保方氏は若山氏が山梨大に移転したときに、若山研究室から譲渡されたと云うが、それを管理していた若山研の元留学生は小保方氏に渡したことを電話インタビューで否定した。

筆者の疑問は若山氏が山梨大に移転したことだ。
当然、小保方氏をその後釜のユニットリーダーにするためのはずだ。これは理研内での竹市―笹井ラインでしかできないことだ。改革委も指摘する様に、小保方採用の過程自身もインチキ臭い手を使っているからだ。

従って、若山氏には共同研究を山梨大で続けることを保障して、移転を呑んで貰い、笹井直属のSTAP研究ラインを造ったのだ。これによって、STAP細胞不正の芽は捲かれたことになる。

ここで笹井氏が“壮大な野心”を燃やしたと推察する。
それは「笹井ビル」において、iPS細胞だけでなく、理研のオリジナルとしてのSTAP細胞の研究開発に取組み、iPS細胞を凌ぐ成果を築きたいということだ。

しかし、笹井氏にとって、小保方氏は単なる実験オペレータであった。その程度であることは見抜いていたはずだ。従って、実験結果に関与し、STAP細胞論文に仕上げたのだ。NHKに集って論文の詳細検討をした研究者たちの言葉からは、言外に、笹井氏は不正の内容を意図的に確かめることはしなかった、と言っているかのようだった。

       
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社会保障制度のサービス水準低下は不可避~改革会議がスタート

2014年07月27日 | 現代社会
一般の国民にとって、いよいよ招かれざる客がやって来る。「ニュースの教科書」によれば、そんなトーンの報道だ。しかし、この手の改革は今後共、あらゆる分野で起こりそうだ。以下、上記の記事内容だ。

この会議は、昨年12月に成立した社会保障改革プログラム法に基づいて設置されたもので、改革の推進状況の確認や、2025年をメドにした中長期的な展望の取りまとめを行う。

先にも述べた様に、公的施策の給付は下がり、料金は値上がりする仕組みは着々と進行するだろう。年金が唯一の頼りの老人にとって、年と共に資金の給付は細くなる一方だ。ジワジワと生活が苦しくなるのは避けられない。
 『デフレ脱却、だが賃金は実質横這い20140706』

2013年の国民会議報告書をベースに社会保障改革プログラム法が成立し、少子化対策、医療制度、介護保険制度、公的年金制度に関する制度改革の手順やスケジュールがその中に開示されている。

具体的には、年金制度の現状維持と財政検証、医療介護分野における自己負担比率の増加、高額所得者の負担増加などが予定されている。2025年をメドにした中長期的な展望についても議論する。

中長期的に受益と負担の均衡がとれた持続可能な社会保障制度の確立を図ることが目的だが、現実的には厳しい財政事情を反映し、給付水準の削減やサービス水準の低下について具体策を議論することになる由、そこで焦点となるのは、年金の減額と医療サービス水準の見直しだ。

特に、年金の減額と医療サービス水準の見直しが焦点。
日本の年金は賦課方式、個人積立年金を受け取るのではなく、現役世代が高齢者世代を負担するシステムだ。このため、現役世代が減少すると、年金財政が当然の如く悪化する。
現役世代にとって強制として存在する制度だ。

年金は物価水準に合わせて上昇する。マクロ経済スライド制という仕組みで、現役世代の減少や寿命の伸びに合わせて給付水準を抑制する。将来的にはこの制度をさらに変更し、物価動向に関わらず、年金給付額を何らかの形で減額していくことになる可能性が高い。
というか、それ以外に方法はない。招かれざる客の所以だ。

一方、2011年の国民医療費の総額は38兆6000億円。その伸びは年金を上回っており、医療保険財政の方が年金よりも深刻である。

日本は、従来型の医療保険制度によるものと、後期高齢者医療制度によるものに大別される。後期高齢者医療制度は 65歳以上の高齢者に適用、給付額の割合は32%に達している。日本は高齢化がさらに進むので、これが医療費を膨張させる最大の要因となる。短期的には高齢者の自己負担率の増加が、長期的には保険適用医療サービスの水準低下に関する議論が不可避である。

医療に関しては、安倍内閣の成長戦略の柱になっており、首相は「健康・長寿社会の実現は、我が国の急務だ。国内外の市場開拓に向けた取り組みを促進する」と述べた。これは何を言っているのか良く判らない。健康・長寿社会と市場開拓が直接にはリンクしないからだ。

リンクの無さは次のことにも表われるが、それでも、段々と判ってくる。健康・長寿をダシに産業を育成することだ。
20年までの達成目標には、日常的な介護を受けずに自立して暮らせる「健康寿命」を1歳以上延ばすことを掲げる。また、iPS細胞を使った新薬の臨床応用、健康増進関連産業の市場を2.5倍の10兆円に広げることも盛り込んだ。

      
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政令市での区長権限の範囲~川崎市議会での「区長」答弁(2)

2014年07月26日 | 地方自治
市長との直接的な対話集会における筆者の意見(市長と区選出議員の会議実施)に対する市長のコメント(市議会での質疑で議論しているので不要)から、実際の議事録を調べた。
 『政令市での地域課題とは何か140726』

しかし、区長の答弁が求められることも少なく、十分な議論ができているとは云えない。更に、その結果も整理されていないのが現状だ。そこで、区長の答弁の中から、彼らの与えられた権限がどの程度なのか、探ってみた。

「H26/3川崎市予算委員会」での質疑から区長が答弁したのは全190項目の中で、9項目。更にその中で、区長権限に触れられている内容は1項目であった。それは民主党・織田勝久議員の「都市内分権と区役所機能」である。会派代表質問でも「区機能強化」に関し、市長と質疑応答を交わしているので合せて紹介する。

区別予算として、従来の予備費を改め、26年度予算として新たに「新課題即応事業500万円」が設けられた。これに対する織田議員の質問に対して、福田市長は次の様に答える。

「区役所機能強化の第一歩」、
「区長が自らの裁量により新課題に迅速対応が可能」、
「予算額は従来の緊急対応経費を上回る」、
「区役所が年度途中に把握した案件」。

更に、市長の答弁として、全体像の描写不足を感じてか、付け加えるが、以下、特に内容はない。
「補完性の原則(身近な課題はその場所で解決する)に基づく区の権限強化は、国の地方自治法改正の動向も注視、区役所のあり方として取りまとめる」。

一方、織田議員は予算委員会で、区長に対して宮前区の事業に関して具体的に切り込みながら、市長へ区機能強化への道筋に焦点を当て、質問する。
「宮前区予算―宮前区スポーツ推進事業費3,700万円」、
「建設緑政費ではなく、区役所費・局区連携事業にした理由?」
「包括的な子ども・子育て支援事業500万円」
「区独自事業と局区連携事業に分けた理由?」
「以上の例から宮前区の課題を事業化、予算化をする際の課題?」
「総合調整規則の運用、改善の必要性?」

具体例が提起され、判りやすい質問だ。石澤区長の答弁は以下である。
「スポーツ推進事業」について、
「鷲ヶ峰けやき公園多目的広場を新たに整備」、
「区の課題(屋外スポーツ環境整備)に対応、関係局の協力が必要」、
「区が主体となって取組む必要があって局区連携事業費に計上」。

「包括的な子ども・子育て支援事業」について、
「小学校を利用した区独自の子育て支援拠点の運営継続のため、独自予算」。
「一方、不登校、ひきこもりなどの課題を持つ子どもの居場所づくり」、
「市の共通課題、関係機関との連携が必要、局区連携事業費」、
最後にこれも形式的に以下の差し障りの無い答弁となる。
「区の地域課題に的確に対応するには区主体に解決を図ることが必要。総合行政推進規則に基づき、円滑な調整が重要」。

区役所費に「区独自事業」と「局区連携事業」があること、
総合行政推進規則により、局区連携事業は区が主体となること、
区権限強化は上記の運用による総合行政になること、
以上が川崎市における区を中心とした地域自治の基本的な姿なのだ。

そこで、織田議員は「区長権限強化と並行して、議会は区行政のチェック機能を強化する仕組みを整えることが必要」との見解を述べる。当然のことながら重要な指摘である。

これは筆者が世話人を務める「川崎市議会を語る会」の提案“準区議会”の設置につながるものだ。即ち、その主要な機能であり、市長へ提案した「市長と区選出議員の会議」もその準区議会の中に含まれる。

最後に織田議員は、市長の云う「補完性の原則」に関して釘を刺す。
「補完性の原則という言葉を市長が云うときの問題は」、
「公助で何をするのか?共助、自助での対応範囲?」
「これまでは一方的に行政が決め、行政責任の免罪符になり得る」。

      
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政令市での地域課題とは何か~川崎市議会での「区長」答弁(1)

2014年07月25日 | 地方自治
川崎市政に対する市民の声を福田市長が直接、各区の住民から聴く「区民車座集会」(高津区6/29)に筆者も応募し、幸か不幸か、定員30名に応募が未達で、20名の参加者に必然的に入ることが」できた。
 『川崎市第6回区民車座集会に参加140629』

筆者の意見を項目で云えば、「地域自治」に属する。内容は、
1)各区固有の課題を「市長と各区議員団とで討論する」会議を開催する。
2)「区事業評価」での評価者として区民が参加する。

これに対して市長からのコメントは、
1)「市議会で議論」しており、それを参考にして欲しい。
2)コメントなし(意味が良く判らなかったと推測する)。

川崎市は人口145万人の政令市、行政区は北から麻生、多摩、宮前、高津、中原、幸、川崎の7区、それぞれの人口は多少のバラツキがあるが20万人前後で比較的揃っている。

従って、各区「特例市」並の人口だ。ここから、各区を行政区から「市」ないし「特別区」として独立させ、政令市を廃止する発想がでてくる。他の政令市を例にとれば、大阪市(人口270万人)の橋下市長による大阪都構想の一環をなす考え方だ。

一方で、横浜市(人口370万人)は大都市構想を掲げ、行政区を残し、県から独立する。地域自治に対しては、区を更に、例えば中学校区に小分けしてその地域で適当に自治を与える発想だ。但し、これで何を自治するのか?判然としない。しかし、これを都市内分権と呼んでいる。」

更に、最近の地方自治法改定では、政令市に総合区導入が可能となった。ところで、総合区とは何か?これも判然としないのだ。直ぐに云えることは、区長を副市長並に各上げし、議会の承認事項とすることだ。すると、川崎市は副市長を現状の3名から一気に10名にするようなものだ。当然、内容は別にして、市から区への権限委譲も進むはずだ。

以上のように、政令市のあり方も議論の最中であるが、100万を超える人口の場合、何らかの形で地域自治を推進する必要があることだけは、多くの関係者に認識されていることは確かなのだ。

そこで、筆者の提案と福田市長のコメントを発展させるために、現状の市議会で、具体的に区の問題をどの程度議論しているのか、議事録を整理してみることにした。例として、今年3月の予算特別委員会(形式は議員一般質問と同じ)での議員の質問をまとめた。先ずは最低限で「区長答弁」を区の問題としてみた。

 「H26―予算特別委 52名190項目 地域質問―区長答弁9項目」
1)都市内分権と区役所機能―宮前区長
2)横浜市地下鉄延伸とまちづくり―麻生区長
3)区内の交通改善―宮前区長 4)区内の公園整備―宮前区長
5)区の「木」の決定方法―中原区長 6)自主防災訓練の広がり―高津区長
7)区内の県官舎跡地活用―川崎区長 8)商業振興事業―多摩区長
9)地域の住所表示―高津、宮前区長

以上の9項目が、区長答弁が入る質問項目だ。190項目のなかで9項目だけで、少し寂しい気がする。即ち、各区1項目程度の質問で、それぞれの区固有の政策課題を理解できるわけではない。但し、一方では、「○○駅周辺の区画整理事業」とあって、答弁はまちづくり局長であったりする。

また、「保育待機児童」問題は、市全体の課題でもあるし、地域ごとの課題でもある。それでいて、その年代の子どもの親に採っては、身近な問題でもあるのだ。地域を限らず、全国的でかつ、身近な問題が多くある。児童の交通事故がマスメディアで報道されれば、日本全国の地方議会で直ぐに、具体的な地域の問題として議会で質問されるのだ。

以上のように考えると、個別具体的に190項目を全部読んで、その中から拾い集める必要がでてくる。では、それを誰が行うのか?各区に担当者をおいて、まとめるのか。こう考えると、議会での質疑応答とは、市政にとってどの様に役に立っているのか、実証できていないことが理解できる。

従って、筆者は改めて、福田市長に「議会の質疑からその内容を抽出してまとめる」のは、市政の仕事ではないかと質問すべきと感じた次第である。

      
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伝習的知識と少人数学習、1970年~移動大学か、八ヶ岳型大学か

2014年07月23日 | 永井陽之助
移動大学は、川喜田二郎(文化人類学)が東工大を1969年に辞め、少人数で世界各地を回りながらフィールドワークで学習する新たな試みとして始めたものだ。如何にも川喜田らしい発想で、教育手法として当時、注目を集めた。これは、学生が教師を選んで、大学を移ってゆくドイツ等のヨーロッパでの方法と似ていなくもない。今でも、その制度の考え方は残っているようだ。


 「移動大学の実験」(著作集第8巻 中央公論社)

一方、八ヶ岳大学は、後に三木内閣の文部大臣となった永井道雄(教育社会学)が、東工大紛争当時1969年に発表した「大学の可能性」(中央公論社)で提案したもので、東大に代表される最高峰の大学を各地に構築するものだ。

永井道雄氏もまた、東工大を辞して、朝日新聞論説委員へと転出した。筆者は当時、社会学の講義を受けていたので、川喜田と一緒に恒例として行われた「最終講義」を聞いた。また、その後、本当の最終講義も受けて、その講義の最後に、近代日本の自叙伝的歴史書のなかで、石光真清の四部作を冷静に、正直に書かれた最高峰の作品として評価し、学生たちに一読を勧めていたのを覚えている。

さて、ここで表題の「あれか、これか」に戻る。
4年生のとき、永井陽之助氏の総合講義第二の授業での座談が終わって、話がふたりと二つの大学に及んで、どちらを評価するのかとの話になった際、氏は「移動大学の方を評価する」と、明快に断言した。

何故なら、「八ヶ岳大学は既存の東大を単に増やすだけだ。これが解とは思えない。」「移動大学は少人数による新しい試みで、時代の先を切り開くのはこのような少数例だ」と指摘された。確かに4年生での授業は、10名程度の少人数で、永井教授を囲む様にソファに座って話をする形式で行われていた。

「現代の開かれた社会は、情報が自由に交換される社会であり、人間は互いに摸倣し合い、同調し、容易く画一化された生活形態になりやすい」「反面、学歴というパスポート取得の争奪戦は、青春期を閉鎖状態に追いやる」。
 (『柔構造社会における学生の反逆』初出1968,「柔構造社会と暴力」所収)

上記の、約50年前における永井の認識は当時の大学生を想定したものだが、今日、大学院生あるいはポスドク群を想定しても当てはまるだろう。当時の東大紛争は医学部・大学病院での万年助手、医局員なども含めた参加者があったことを改めて想い起こすべきなのだ。

そして、この状況下において、永井の川喜田評価と少人数の座談形式の授業は、彼自身が到達した大学教育の方法論に沿っているのだ。

続けて氏は、「“教える”ということは、政治、芸術と同じで専門技術ではない。ひとつの“わざ”であり、もって生まれた人間の資質と、伝習的な英知のちくせきから生まれてくるものである」。「現代における“教育”の崩壊は“政治”の解体と同じ様に、伝習的英知に対する専門技術の優位と圧制から生じた一般的風潮に他ならないのである」と云う。

従って、「大学教育の改革は…小クラスのゼミを中心に、専門研究者、教授が現在取っ組んでいる生の問題を学生にぶつけて、具体的な問題解決を共同で志向していく、新しい実戦教育の確立にある」。このような、教授と学生の人間的な接触の回復が、技術的知識と伝習的知識を統合していくものなのだ。

翻って、現在の小保方・博士論文が提供した早大の実態は、教授が学生を全く指導せず、人間的接触もない中を「論文の引用の仕方」を学ぼうとせずにスイスイと、泳ぎ渡ってきた象徴的な人物の姿をシルエットとして浮かび上がらせる。勿論、これは早大においてもごく一部であると考える。しかし、日本の大学の現状を象徴する姿でもあることを否定できないはずだ。

      
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方法としての「例外研究」~永井政治学における社会動向の予測

2014年07月21日 | 永井陽之助
20代のシングルマザーがマッチングサイトを使い、ベビーシッター(BS)に泊まりがけ保育を依頼したが、預けた2歳の幼児がそのBSの保育室で殺害されたという痛ましい事件が起きたのは3月であった。その時、筆者はその事件から40年ほど前の子殺し事件を冒頭にとりあげた永井論文を直ぐに想い起こした。
 『「成長から成熟へ」の先駆け、1975年頃140321』

その後、その論文、『経済秩序と成熟時間』(中央公論1974/12,「時間の政治学」所収)の内容を紹介した際に、「方法としての「例外研究」」に関して特に触れることなくそのままにしておいた。
 『「成熟時間とその腐蝕」の発見1974年140624』

これは永井の方法論に係わる部分なので、判る範囲において、改めて内容を確認しておこう。「例外」とあるが、例えば、そこで取り上げた「子殺し」という現象は、云うまでもなく、「例外事象」であって、ごく普通の子育てを行っている人たちが圧倒的に多いことは言うまでもない。

しかし、永井はその事件を変わりゆく日本社会の行方を先取りする少数の先端事象として捉えたのだ。ここに例外の意味があるのであって、先端を鋭く認知する感覚と日頃の問題意識のあり方が問われるのだ。

その意味で、BS事件もまた、先端事件の様に筆者は感じるのだ。
普通のイメージでは、BSとは大学生が勉学の合間に、小遣いを稼ぎながら、幼児の行動を知り、その世話に慣れる機会とするアルバイトに見える。しかし、上記の場合、親にとってもBSにとっても、もっと切迫したもので、互いに未知の間であっても時間と金銭との交換だけで、成り立つものなのだ。

そこでBSにとって幼児が扱いかねると、それは容易く、「人」から「もの」の様に扱うしかなくなるのかも知れない。格差社会が拡大し、特に若い世代で非正規雇用、不規則労働が拡大される中で、人間関係の経験不足が直接的に響く仕事に自由主義経済の原則が貫徹されるのだ。

論文の中で永井は「各個人は、個人の生活時間すら、改めて効率と経済合理性の視点から…眺めるようになった」と述べるが、40年後の今、更に余裕は無くなり、生活自体が経済合理性の末端に位置する階層がでてきたと思われる。

永井が紹介した例外事例は、ヴェブレン「有閑階級の理論」における「婦人のコルセット」の関する機能分析だ。コルセットの本質は「不快さ」であり、夫は妻の有閑性を許す余裕がある階級に属することを示し、婦人は夫に従順で有ること示す。

しかし、一方でコルセットから開放された階級が存在した。それは、コルセットを休日に付けるような貧困層が出始め、また、コルセットでの誇示が不要になるほどの富裕層が形成されるようになったことによる。

それは、文化人類学が、未開社会での例外事象を、我々の社会では当たり前の事象として見出すことによって、新鮮なショックを与えること、また、ホッブス、マキャベリ、カール・シュミットなどの独創的な政治思想家が戦争、革命の例外事象から、政治秩序の本質に迫ったこと、と同じなのだ。

そこで、永井は「真の社会科学は個性的な認識と深い経験知の積み重ねに有る」と強調する。従って、変動する社会の行方を予測するには、その社会のマジョリティではなく、少数例を集中的に研究する必要がでてくる。

従って、「精密科学に範をとり、ユニークで、例外的事象を捨象し、統計的平均値としての一般法則を求める社会科学の殆どが不毛に帰し「真実であって、しかも自明の理ではない」定理を殆ど見出すことが出来ない」との結論になる。

ここから判る様に、マルクスを信じる気にはなれないと云うサムエルソンよりは、「資本主義体制の長期的傾向についてのマルクスの見事な分析と卓越した予言」を高く評価するレオンチェフに永井は共感する。

特に、「予言の正しさにみられるマルクスの実績を説明するものは、彼の分析能力でもなければ、いわゆる方法上の優越でもない。彼の強みは資本主義体制についての現実的で経験的な知識の深さにある。…マルクスは資本主義の偉大な性格判断家であった。」(レオンチェフ「経済学の世界」邦訳104-110(日経新聞社)1974)

今、ピケティ氏「21世紀の資本論」が米国を始めとした先進諸国で話題になっているそうだ。これはマルクスの再評価なのだろうか。再評価だとすれば、レオンチェフのマルクス評価は先見の明を示すものだろうか。

       
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公共制度の見直し負担増が目白押し~右肩下がりの可処分所得

2014年07月20日 | 経済
デフレ脱却が声高に叫ばれる中、「今後も一般商品の値上げ傾向は続くであろうし、公共福祉料金も虎視眈々と値上げを狙っているようなので、家計は厳しくなると予測できる。では、頼りの「給与」はどうだろうか。結論的には依然として芳しくない」と、先の記事で統計を読みながら述べた。
 『物価インフレの本格化、賃上げは追いつかず140709』

その公共負担増であるが、日経のファイナンシャルプラン(FP)系の記事「負担増の時代14/04/26」では、経済・金融系の記事と違って、一般世帯である年金受給世帯(年収250万円程度)、会社員世帯(年収500―1,000万円程度)に対して警告と対策を発している。

 

先ず、上記の表Aに記載されているように、家計にとって「今年は胸突き八丁の局面」。FP専門家が指摘するように、負担増につながる公的制度の見直しが4月以降、目白押しだ。既に、税金面では消費税率の8%への引き上げがあった。

他にも一定所得以上の人に一律にかかる住民税の均等割が、復興増税により年額1000円アップ、今後10年間続く。社会保障関連では保険料の支払負担が増す。健康保険の介護保険料率が上昇。会社員の加入する厚生年金の保険料率は毎年0.354%ずつ引上げられ、今年も9月から17.474%(労使折半)になる。

医療費の自己負担割合は新たに70歳になった人から、従来の1割から2割に上がった。「3月までに70歳に達した人は対象外」だが、消費増税に伴い医療費自体が高くなったため負担増は避けられない。

 
 
当然の様に、グラフBに示す如く、公的負担の増加に伴い、今年は大半の世帯で可処分所得が減りそうだ。大和総研によると、給与年収500万円の会社員で5万円強、年収1000万円で約13万円減る。「物価上昇の影響もあり、たとえ昇給しても負担感は重い」という。

そこで対策だが、先ず、子育て世帯などに向けて政府が導入した制度。但し、所得制限等の細かい制限があり、手続も面倒で、ともかく、役所に聞くことだ。
1)子育て世帯臨時特例給付金…中学生以下の子供を持つ親へ
2)「育児休業給付金」拡充…休業前賃金の原則50%が67%へ
3)出産時に適用の社会保険料一時免除…出産前42日間、産後56日間相当分
4)高齢者を含む低所得層への臨時給付金…

しかし、手を尽くしても「収入の目減りを多少挽回するだけ」、生活防衛には「節約志向を強める」との専門家の言とあるが、特に専門家でなくても、こんなことは云える。但し、専門家と役所の窓口を駆使して貰えるものを探し出すことに骨惜しみしない人は存外少ない。即ち、それでも豊かな時代が続いているのだ。

      
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小保方氏の得意技「過失」と認定~首なし人形の早大学位論文調査委

2014年07月18日 | 現代社会
17日に公表された報告書を中心に、この奇妙な結論にコメントを付けてみる。
早大・博士学位論文に関する調査委員会の構成メンバーは以下の5名。しかし、名前が公表されているのは、委員長1名である。

委員長 小林英明(弁護士、長島・大野・常松法律事務所)
委員 国立大学名誉教授 医学博士
   東京大学名誉教授 医学博士
   早稲田大学教授 医学博士
   早稲田大学教授 政治学博士

肩書だけで名無しの権兵衛4名を、筆者は「首なし人形」とみる。会議の席は、のっぺらぼうの人形が席に座らせられている状態だとイメージするしかない。名前を伏せる位なら委員を断れば良いのだ。委員長も含めて日本のトップリーダーと覚しき人たちのだらしのなさを示して余り有る。

当然、委員長が報告の中味をすべて決めたと推測する。
先ず、本件博士論文について、次の様に認定する。
(1)著作権侵害行為であり、かつ創作者誤認惹起行為といえる箇所は11
 <主な箇所> 序章、リファレンス(過失)、Fig.10(過失)
(2)以下は記載省略(筆者)

「本件博士論文には、上記のとおり多数の問題箇所があり、内容の信憑性及び妥当性は著しく低い。そのため、仮に博士論文の審査体制等に重大な欠陥、不備がなければ、本件博士論文が博士論文として合格し、小保方氏に対して博士学位が授与されることは到底考えられなかった。」

ここは小保方氏のレベルの低さを認めしつつ、最終評価の逆転のために、審査体制等に重大な欠陥、不備があると指摘する。それは、「本件博士論文は、公聴会時前の段階の博士論文草稿である。」との小保方氏の主張をそのまま、「最終的な完成版博士論文を製本すべきところ、誤って公聴会時前の段階の博士論文草稿を製本し、大学へ提出した。」と認定し、帳尻を合わせている。

色々な形でバージョンアップしていく博士論文の最終版を最初の段階のもの取り違えることなどは、先ず、起こりようがないことだ。それは、stap細胞事件でも同じはずだ。では委員長はどのように、それを取り繕ったのか。

その認定の根拠が極めて判り難い。
「小保方氏は、本委員会に最終版博士論文を呈示した。それにはの多くの問題箇所が未だ残っているが、リファレンスには著作権侵害行為等はなく、またFig. 10は存在しなかった。本委員会は…小保方氏の呈示した最終版博士論文が、真に提出しようとしていた博士論文と全く同一であるとの認定をするには、証拠が足りないと判断した。」

それにも係わらず、Fig.10に関する次のことを委員長は論拠にしている。
1)H22/11博士論文検討会ではFig.10に二つの図(本件博士論文と同じ)
2)H23/01博士論文公聴会ではFig.10に三つの図(本来は三つ必要)
3)H26/05最終版博士論文ではFig.10は無

ここで問題は最終版博士論文ではFig.10が無いことだ。検討会の指摘を受けてFig.10を三つにしたのなら、その図はそのまま最後まで維持されるのが妥当だ。不都合がなければ…。Fig.10を三つにして出したとしてもFig.10の疑いが晴れるわけではない。そこで、Fig.10を消去する改竄の疑いがぬぐい切れない。

この博士論文が問題にされたのは今年3月頃だ。小保方氏が最終版博士論文を郵送で送ってきたのは5/27、電子ファイルでは6/24だという。だが、メールが送信された時刻の1時間前にデータ更新履歴が記録されていたとのことだ。

日本分子生物学会副理事長、九州大学・中山敬一教授は「最近になってファイルを更新した記録が残っているなら、疑惑の指摘を受けて論文を書き直した可能性を疑って調べるべきで、不十分な調査だ」と指摘した。

中山教授は「数百字ほどの盗用でも、不正と認定されて責任を問われるのが科学界の常識、20頁もの文章をそのまま使う今回のケースで責任を問わないという判断は考えられない。早大は教育機関の責任を放棄している」と話す。

基本に戻ってみよう。草稿段階であっても著作権侵害行為、創作者誤認惹起行為が多数あるのだ。この常軌を逸した行動が、結局、今日まで続いているのが小保方氏の本質なのだ。それを自己の都合で許しているのがそれを取り巻く指導者層なのだ。彼らは教育・科学技術の衰退を導いているのだ。

      

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フランスの社会を変えた事実婚~出生率は2以上

2014年07月17日 | 現代社会
日本の出生率(特殊出生率)は少し上がって、1.43になった。しかし、このままの状態では、人口は2060年に8,600万人までにまで減少する。
 『減少を続ける日本の子ども人口~大きく外れた人口予測140505』



しかし、上記の記事の図3(下に再掲)を見れば、1981年から出生数は減少を始めているのであるから、2000年代に入れば、先の予測もついていたはずだ。それにも係わらず、政府は考え方を変えることを真剣に考えた形跡が全くない。
 
それは、今回、政府の専門調査会が、出産・子育て支援への予算を倍増し、50年後も1億人程度の人口維持を目指すとの数値目標を示したことでも良く判る。社会の考え方が変わっていかなければ、このまま惰性が続くだろう。現在の出生率を2030年までに、2.08程度にまで上げる必要があるからだ。先ず、政府の社会に対するイメージを変える必要があるのだ。

雑誌「MUGENDAI」がタイミング良く、日本で活躍するフランス女性、ドラ・ドーザンへのインタビュー記事を載せている。フランスが出生率を上げた理由が、社会における変革と政府の大胆な政策の導入の相乗効果によって得られたことを良く示している。日本社会及び日本人に対して、示唆に富む話が満載だが、簡単にはマネのできないことばかりの様だ。先ずは紹介する。

「人を幸せにするフレンチ・パラドックス」―トーザン氏
フランス人は脂肪の多い料理を食べているが、心臓疾患は少ない。赤ワインに含まれるポリフェノールの働きという説から生まれた言葉、「結婚が減少、しかし、出生率は伸び続け、子どもができても女性は仕事を辞めない」が最大のパラドックス。1994年に1.65まで下がった出生率を2011年に2.03まで回復。

安心して出産・育児ができるよう環境を整備した。
出産奨励手当から子育て手当まで、種々の手当が充実、育児休暇の手当は父母どちらの休暇でも支給される。子どもが増えると共に手当が増額、税金は安く。充実した社会保障が、出産への大きなモチベーション。また、仕事と子育てが両立できる種々の支援がある。また、大学まで教育費は無料だ。

フランスの税金は高いけれど、教育と家族計画について良い使い方をしていると国民は考えている。また、子育ての負担を軽くするうえでもう一つ大きいのは、ベビーシッターのような社会環境が充実していること。
ここで、政府の施策から、社会環境に話を展開する。

「フランスの社会を変えた事実婚」―トーザン氏
世の中が多様化し、結婚がすべてではなくなり、減少した。フェミニズムの影響もあり、五月革命の後、女性も自立して、充実した生き方をする様になってきた。女性が社会へ進出し、経済的に自立すると、結婚の必要性が低くなった。

男女が恋愛をすれば、親や周りの知人・友人に相手を紹介する「ユニオン・リーブル」(自由でありながら結ばれている関係、事実婚)、あるいは「ヴィーヴル・アンサンブル」(一緒に暮らす関係)と呼ぶ関係を結ぶ。若い世代に好まれ、現在ではユニオン・リーブルが結婚より多く、新生児の半分以上が婚外子になる。
フランスには戸籍がなく、社会保障が充実している。法制化も進み、結婚と同等の扱いを受け、婚外子にも嫡出子と同じ権利が与えられている。

フランスでは離婚率が50%以上。しかし、我慢しながら自分の人生を無駄にしていいのか、仲の悪い両親のもとにいて子どもは幸せだろうか、とフランス人は考え、離婚することに、日本ほどためらいはない。

「ファミーユ・ルコンポゼ」(複合家族)と呼び、新しい連れ合いの子どもなどが交流する新しい家族関係が生まれている。社会の変化に応じて法律や制度をどんどん変える試みを柔軟に行うのがフランスの特徴だ。

日本は社会基盤を変革し、また、大胆な「子ども・教育政策」を展開していけるだろうか。大きな疑問符が付く処だ。

      

      
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