新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

会津への旅 上  建築巡り 野口英世が手術を受けた病院は今喫茶店に。

2018-04-18 | 会津への旅

 先日久しぶりに会津若松に行き、満開の桜を見てきました。

 会津は生まれ育った故郷。でも大学から上京してしまったため、実際には郷里の歴史などほとんど学ばないままに今日まで来てしまった。

 それで、少しだけ学習を兼ねての街歩きを実践してみた。

 まずは七日町通りの建築散歩。ここは高校時代親友の家があったため、しょっちゅう遊びに行き来したところだが、当時とは大きく様変わりしてしまっていた。でも、昔からの老舗の建物は健在だ。

 駅を出てすぐにあるのが渋川問屋。明治初年創業の老舗料理店。

 少し歩くと鶴乃江酒造。1794年創業という造り酒屋だ。建物は大正初期のものがそのまま残っている。この酒屋は母娘の杜氏が女性らしい繊細な銘酒「ゆり」を発売したことでも評判をとった。

 造り酒屋といえば七日町通りから大和町通りに曲がった所にある末広酒造も、江戸時代1850年創業という老舗だ。今の建物は明治期。黒板壁と白漆喰壁のコントラストが美しい。

 造り酒屋独特の杉玉が下がっていた。この杉玉は、吊るされたばかりはまだ青いが、次第に枯れて茶色がかってくる。その変化が新酒の熟成具合を伝えることになるのだという。

 もう1つ東側の桂林寺通りには、味噌田楽が売りの満田屋などの店が並ぶ。

 七日町通りに戻って、白木屋の洋館が見えてきた。創業300年という大老舗の漆器店だ。会津塗は会津藩の主要産業だった。

 となりの滝谷建設工業ビルは円柱が堂々とそそり立つ。

 大町四つ角に到着。この四つ角は、交差する道が微妙にずれて造られている。江戸時代、敵軍が攻め込んできたとき、馬などが一旦スピードを緩めなければならないようにわざとずらして造ったものだ。

 その四つ角を南に曲がると、ここは野口英世青春通りと名付けられた道になっている。昔はこんな名称は全くなかった。

 南に進むと、ほどなく左手に黒い蔵造りの洋館が見えてくる。

 会津一番館。ここは明治期には会陽病院という病院だった。そこに左手にやけどを負った野口英世少年が運ばれ、手術を受けた。やがて英世少年はここに書生として勤めることになった場所でもある。

 そこが今2階が野口英世青春館としてゆかりの品が陳列される記念館になっている。

 1階は自家焙煎のコーヒーが飲める喫茶店。ここで一休みしよう。

 そこからほどなく英世青春広場。英世の銅像が春の陽を浴びていた。

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