新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

ケルン大聖堂⑦ バイエルン窓。東方三博士を皮切りに洗礼者ヨハネ、ピエタ、聖ステファノ、最後の晩餐など聖書の名場面やスターたちが総出演!

2019-06-29 | ドイツ・ケルン

 大聖堂内部で一際目を引くのは、ゴシック特有の高い身廊によって広大なスペースを与えられた壁を利用したステンドグラスだ。 中でも入ってすぐの右側に並ぶ「バイエルン窓」と呼ばれる5枚の巨大なステンドグラスは秀逸。

 バイエルン王ルードヴィヒ1世から寄贈されたもので、1846年から3年間にわたってミュンヘンで造られた作品。火災によって失われた大聖堂の再建が始まってから600年を記念して取り付けられた。

 向かって1番右のステンドグラスのシーンは、荒れ野で説教する洗礼者ヨハネ。キリストに洗礼を施した聖人だ。

 その下にはカール大帝ら歴代の皇帝らの顔が並ぶ。

 それぞれのステンドグラスの下には、バイエルン候から寄贈されたものであることを示す紋章と文字が載っている。

 2番目のステンドは、この教会の建設理由ともなった東方3博士の礼拝。聖母子を中心に鮮やかな色彩でその光景が描写されている。

 下部には予言者イザヤ、エレシャ、エゼキエル、ダニエルの姿。

 3番目は十字架から降ろされるキリストの姿=ピエタ。キリストを抱く母マリアを始めとして多くの人達が悲しみと共にその光景を見守っている。

 その下には4人の福音書記者。左からマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネと、福音書を記した順に並んでいる。

 一番上の部分には最後の晩餐と思われる情景があるのがわかる。

 4番目は聖霊降臨。すべての人に救いの手を差し伸べようと神が降りて来る場面だ。

 下部にはアウグスティヌスら4人の聖人像。

 最後、5番目は聖ステファノの殉教。聖ステファノはキリスト教を信仰したという理由で殺害された最初の殉教者。石打ちの刑にされたその場面が描かれた。

 下部には司教や教皇たちの姿。この1番下にもバイエルンの紋章と文字があるのがわかる。

 バイエルン窓以外にもこんなステンドグラスを見つけた。「聖パウロの回心」。パウロは元々反キリスト教の立場で、先ほどの聖ステファノの石打ちの刑にも加担していたといわれるが、ある日天の声を聴いて改心し、キリスト教の伝道師になった人だ。

 この絵はその天の声の瞬間だ。キリストが天から登場し、驚いて落馬したパウロがキリストを見上げている。

となると、隣りにある絵は聖ペテロに違いない。

 カトリックの総本山であるバチカンのサンピエトロ大聖堂は、このペテロを祀った教会だ。

 

 

 

 

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ケルン大聖堂⑥  堂内各所に様々な像や装飾があふれ、来場者をカソリックの世界に誘い込む。

2019-06-25 | ドイツ・ケルン

 世界的に有名な大聖堂だけに、この日も沢山の訪問客でにぎわっていた。神父さんたちも堂内のあちこちで待機し、来場者たちの案内をしたりしている。背後の絵はキリスト磔刑図。

 様々な像やステンドグラスを見つめ、あるいは写真に収める人たち。

 床にも19世紀の作家がデザインしたという模様が描かれていた。

 沢山の装飾品に彩られた不思議な像が見つかった。

こちらは金属製の僧侶像。一身に祈りを捧げている。

 見上げると頭上にも聖母と祈る人々の姿が。

 そんな場所にあったロウソク台の前でたたずむ少女。どんな願い事をしているのだろう。

 アギロルフス礼拝堂には黄金の衝立がある。ベルギー・アントワープで制作されたものだという。

 十字架に架けられたキリストを中心に、無数の聖人らが配置され、聖書の物語が展開されている。

 一部をアップしてみよう。本当に細かい細工が施され、その技術に圧倒されてしまう。

 

 

 

 

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ケルン大聖堂⑤ キリストが十字架にかけられ処刑される場面のとなりに、ほっと心の和む一角を見つけた。

2019-06-22 | ドイツ・ケルン

カトリックの教会で必ずと言っていいほど見かけるのは、ピエタ像だ。十字架にかけられたキリストの遺体を前に、悲しみにくれる人々の姿を捉えた像だ。ここにもピエタ像があった。

 ただ、この像の異なった点は、死せるキリストの下に聖人像があること。書簡を開いているのは、キリストの死後その教えを広めた福音書記者を想定しているのだろうか。

 もう1つのピエタ像。これはまさに十字架からキリストが下ろされる場面を再現したものだ。

 一方、こちらは十字架にかけられている場面。976年に大司教ゲロから寄贈された木製の像で187cmと大きく、十字架のキリスト像としては現存するヨーロッパ最古のものと言われる。従ってこれも大聖堂にある聖遺物の1つとなっている。

 左側廊を歩いていると、中ほどに変わった雰囲気の絵を見つけた。ゲロの十字架像に比べると圧倒的に現代的なイラストだ。そんな絵が何枚か並んでいた。

 天を仰ぎ見るキリスト。

 こちらは聖母マリアだろうか。

 サンタクロース?

 なんか、緊張度の高い作品ばかりがずらりと揃った堂内だが、この一角だけは肩の力を抜いて気持ちの和む感じで歩けた場所だった。

 

 

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ケルン大聖堂④ 大聖堂は東方三博士の遺骨譲渡をきっかけとし、600余年をかけてようやく完成した。

2019-06-18 | ドイツ・ケルン

 大聖堂の一番奥に黄金色に輝く物が置いてある。側廊を通って近くまで行ってみた。

 そこにあったのは、聖遺物を納めた金の箱だった。

 そもそもケルン大聖堂はこの聖遺物から物語がスタートしていた。

 1164年、神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒはミラノから東方三博士の遺骨を譲り受けた。東方三博士というのは、キリストが誕生した時に聖母の下にお祝いに駆け付けた人たち。聖書に登場する重要人物だ。

 そうなると、この遺骨を納める入れ物が必要になる。技術者を呼び集めて黄金細工の聖遺物箱が制作され、さらにその箱を納めるのにふさわしい大規模な教会が造られることになった。

 1248年着工、1322年に内陣が完成したのが、このケルン大聖堂だった。ただ、現在のような荘厳な全体像が出来たわけではなかった。あまりに巨大な建設計画の上財政難も加わって、16世紀になっても未完成のまま。以後3世紀にわたって工事は中断されたままだった。

 それが動き出したのは1814年。中世の図面の一部が発見されたことで機運が高まり、歴史学者やゲーテが工事再開を働きかけた。当時ナポレオン支配からの解放、分断されていた祖国の統一といった動きの象徴として大聖堂建設促進が実現、ついに1880年に現在の姿の大聖堂が全貌を現した。

 こうしたいきさつは、この聖遺物をきっかけとして始まったものだった。箱の側面にはきらびやかな人物像が彫り込まれており、黄金細工としては世界最大のものだという。

 右身廊の聖マリア礼拝堂にも、東方三博士にちなんだ絵画がある。シュテファン・ロホナーの三連画だ。

 その中央に描かれた絵が「東方三博士の礼拝」。聖母子の両脇にひざまづいた2人と右後方で帽子を持つ男性の3人が東方三博士とのことだ。

 1440年ころの作品で、柔らかいタッチ、豊かな色使いで描かれた名品だ。

 こちらはクラーレン祭壇画。14世紀の作品。キラキラしている。

 

 

 

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ケルン大聖堂③ 陸上競技が出来そうな広大な空間に、ミラノのマドンナがほほ笑む

2019-06-15 | ドイツ・ケルン

 ケルン大聖堂の中へ入ってみた。さすがに天井が高い。そして奥行きも。入口から一番奥まで実に144m。百メートル競走が楽々出来る長さだ。

 横幅も86m。重さを感じさせない飾り柱が施され、軽快な空間が広がる。

 身廊の高さが43・5m。天井もリズミックな線が繰り返されて、いつまでも見上げていて飽きない。

 そして、柱の旋律がワルツのようにダンサブル。

 密な縦の線とアーチを描く横の線がうまい具合にハーモニーを奏でる。

 長く続く列柱。

 そして、各所に聖人たちの像が架けられて、豊かな空間を形成している。

 彫像も様々だ。こちらは聖クリストフォルス。幼子を背負って川を渡るシーンだ。彼は旅人の守護聖人。旅の安全をお祈りしよう。

 こちらは聖母子。

 そのすぐ近くに、もう1体の聖母子像がある。こちらは「ミラノのマドンナ像」と呼ばれている。

 1164年に、時の大司教がミラノから持ち帰った像で、奇蹟の力があるとされ聖遺物の1つに加えられている。

 床にほぼ等身大の聖人像が4体置かれていた。その姿から見て、外壁の像を修理のために取り外して一時的に置いているのかもしれない。

 

 

 

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