新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

パリのパッサージュ巡り⑤ 19世紀前半に脚光を浴びたパッサージュは、200年後の21世紀にどんな変貌を見せるのだろうか

2019-05-31 | パリ・パッサージュ

初回に書いた通り、パリはデモ騒ぎで閉店してしまう店も多かったためパッサージュ内の賑わいもかなり縮小された状態だった。また、いくつかのパッサージュは通りそのものが閉鎖されてしまっていた。

 ギャルリー・ヴェロ・ドダは入口から中をのぞいただけだった。

 黒と白のタイルが敷かれ、重厚なムード。ネオクラシック調だ。

 街灯が連なる一直線の通路は、夜なら一層美しいものになるだろうと思わせた。

 パッサージュ・ショワズール。ここには開設当時2つの劇場があったことから、結構にぎわっていたという。

 また、かつては文学書の著名な書店があり、ヴェルレーヌなどの文学者たちが出入りする通りでもあった。

残念ながらこの通りも閉鎖されていた。

 19世紀前半。1789年のフランス革命を経てフランスは新しい時代へと歩みつつあった。

 そこに、18世紀後半にイギリスで始まった産業革命を受けて資本主義が成長を始め、人々は誰もが未来への希望を語ることが出来た時代だった。 そうした背景の中で生まれ歓迎と共に受け入れられたパッサージュもまた、夢をのせて発展の道をたどった。

 だが、その流れも瞬く間に時代の変化に押し流される。19世紀後半には新しい進化形態としてショッピングと総合娯楽の複合形態であるデパートが出現、これによってパッサージュは衰退への道をたどってゆくことになる。

 21世紀。レトロブームの風に乗って、ある程度の復権を遂げたように見えるパッサージュ。

 それが単に、失われてしまった時代への郷愁と感傷を一時味わうだけの場所に留まり続けるのか。あるいは明日へ向けての新しい価値を生み出す場所として生まれ変わるのかは、予断を許さない。

 いつの日か改めてこれらのパッサージュを訪ねる旅をしてみようと思う。

 

 

 

 

 

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パリのパッサージュ巡り④ ギャルリー・ヴィヴィエンヌの優雅な螺旋階段にうっとり。

2019-05-28 | パリ・パッサージュ

ギャルリー・ヴィヴィエンヌは現在残っているパッサージュの中でも最も美しいといわれる。

 パリの2つの繁華街、パレロワイヤルとグランブールバールの2つを結ぶという好位置にあった。また、通りが単純な直線ではなく入り組んでいたことが、逆に散策を楽しむという観点からの面白さを引き出すことになって、「第3の繁華街」とも称されるようになった。

 入口は開放感のある広さ。すぐ横にはビストロが営業する。クリスマス時期だったのでネオンが飾りつけられていた。本来ならばここのビルトロでパリの友人と夕食の予定だったのだが、デモ騒動で週末は臨時休業。残念!そんなわけで人通りは少なく、普段より相当に寂しい夕方だった。

 以前は中庭だったところを円形の空間として活用している。

 壁面には女性像のレリーフが施されていた。洒落た照明も下がる。

 ガラス天井を通して青空が見える。

 床の模様も美しい。モザイクタイル製造はG・ファッチーナ。

 長い通路は42mもの直線でつながる。

 曲がり角にあるのはジュソーム書店。

 

 ここには多種多様な古書がいろいろ。日本関係では川端康成や鑑真の書物も。

 通り沿いにはクマさん人形も。

このパッサージュで個人的に興味を持ったのは、いくつかの階段の面白さ。

 入り口近くのファッションの店内にあった階段に魅せられて中に入り、お願いすると写真撮影を快く許して下さった。

 次に書店前の住居棟に入る階段。

 ちょうど居住者が階段を上がる所だったので、一緒に上がらせてもらった。

 階段状から見た書店の様子。

 もう1つ別の階段。これも螺旋階段で、書店前よりもたっぷりのスペースを使った優雅な回転が美しい。

 

 

    

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パリのパッサージュ巡り③ 1800年、パリの街の初めて登場した本格的パッサージュ・パノラマ

2019-05-24 | パリ・パッサージュ

 次に入ったのはパッサージュ・パノラマ。ここが開通したのは1800年。現在パッサージュと呼ばれる通りの完成形第1号だ。
 というのは、パッサージュの要件としての3条件は

 ➀道と道を結ぶ、車の入り込まない歩行者専用通路
 ➁屋根がついている
 ➂その屋根が透明なガラス(又はプラスティック)で、空が見えること。
パノラマはこれを満たしてパリの街に新しい大きなブームを呼び起こした場所だ。

 制作者は2人のアメリカ人。ウイリアム・セイヤーとロバート・フルトン。パノラマというのは、円形風景画を見せる見世物のことだが、これを通りの入口、出口に設置、つなぐ道の屋根をガラスで覆って、通りの両側に商店を並べるという新しい通路を作り出した(ただし、今はパノラマは撤去されている)。
 これによって雨風に煩わされることなしに歩けるうえ、並ぶ店をのぞきながら買い物や散歩を楽しめるという、これまでになかった娯楽が誕生した。ウインドウショッピングという形がここから本格的に一般化していった、

 通路は長く続くし、

 ぶら下がる看板さえも楽しい。

 店も多彩だ。切手コレクターが喜ぶ店や、

 懐かしいパリ風景を切り取った写真も飾られる。

 列車の形をしたレストラン。

 浮世絵の店もあった。

 レストランのテーブルは通路にはみ出して店と道が一体化する。

 ワインバー

 リキュールの棚にはボトルがびっしり。

 なぜか、「クマ出没注意」の警告が日本語で!

 そうした通りを、夜には売り物の1つであるガス灯が照らし出す。



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パリのパッサージュ巡り②  パッサージュ・ヴェルドーには、マニアックな店が大集合していた

2019-05-21 | パリ・パッサージュ

 次に入ったのはパッサージュ・ヴェルドー。隣のジュフロワとセットで1846年に完成したパッサージュだ。ただ、ジュフロワが大繁盛したのに対し、こちらはそれほど人気ではなかった。

 というのは、ジュフロワが当時の一大繁華街であるグラングールバールに繋がっていたのに対し、こちらはその1つ奥まった場所にあったから。

 だが、そうしたハンデの影響か、逆にディープな店が集まった。例えば現在はパリ中に存在するバンド・デ・シネ(フランスの漫画本)の専門古書店第1号はここだったし、古いカメラの専門店、ポスターの専門店など、マニアにはたまらない店が集まっていた。

 今もそうした趣味の店が見かけられる。

 ここもコミックなどの古書店のようだ。

 猫のイラスト専門店?

 タイ料理店からは美味しそうなにおいが漂ってきた。

 ガラス屋根が光を取り込んで、通りに程よい明かりをもたらしている。

 格子形の床模様もちゃんと整備されていた。

 どくろマークのイラストの中はマリー・クレールの店のようだ。

 レストランのテーブルが通りにはみ出して並べられている。

 こんな奇抜なデザインで窓を飾った店もあった。

 パッサージュを抜けて次に向かおうとしたら遠くからざわめきが聞こえてきた。見ると大群衆。まさにこれから凱旋門に向かっていこうとするデモ隊の姿だった。

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パリのパッサージュ巡り① パッサージュ・ジュフロワでパリの19世紀にタイムスリップ

2019-05-18 | パリ・パッサージュ

 昨年暮れにパリを訪れた時、ちょうど燃料税値上げに端を発した大規模デモ騒動に直面した。中心部の主な美術館や公共施設、店などが全面休業となり、地下鉄も中心部には止まらないという状態。そんな中で出来ることを検討した結果、パッサージュ巡りを思いついた。
 パリ市内にある多くのパッサージュはそれぞれ独特の雰囲気を持っており、その面白さを探ってみようというのが狙いだ。

 最初に入ったのはパッサージュ・ジェフロワ。中心部に直には行けなかったので、周辺部を回ってグランブールバール側から歩き始めた。

 モンマルトル大通り側の入口を探すと、装飾の付いた派手な入口があり、これかと思ったら実は違う入口だった。こちらはクレヴァン蝋人形館入口だ。

 その隣に人形館のものよりは少し地味目な入口があった。
 
 実は、270年ほど前、1850年代には、ここは連日あふれるほどの人でごった返していた。このパッサージュが出来たのは1847年。パリの主なパッサージュの中では最も遅い時期だ。
 パッサージュは1800年から造り始められていたが、約半世紀を過ぎて建築資材が進化してきた。

 そこでパッサージュの特徴でもあるガラス屋根が、丸みを帯びた広い面積をカバーできるように進歩した。また、道幅も広くなり、新パッサージュはより開放感にあふれる通りとして人気になっていた。
 ここはその当時の姿をほぼそのまま残した数少ないパッサージュだ。

 ここの目玉の1つは先ほども触れたクレヴァン人形館。内部の通りにも場所を示す大きな指の標識。

 奥に進むと人形の群衆のような看板が壁面に大きく掲げられている。ただ、こちらは蝋人形館の出口だそう。1882年から興行を続ける老舗だ。

 手前から見ると階段の上に看板があり、劇場効果が演出されている。

 通路に木馬が置いてあり、少年が乗って遊んでいた。

 この店は「パンデピス」という老舗のおもちゃや子供服の店。

 鹿の角のようなものがぶら下がっている。

 古本屋も多い。古いパリのファッション雑誌が並んでいた。

 ポスターも面白い。

 ギャラリーも健在だ。

 ステッキや万年筆などいろいろな専門店もあって、マニアにはたまらない空間だ。

 ポスターなどを見ていると、パッサージュが繁栄していた頃のざわめきが感じられるような気がしてきた。
 奥まった所にホテルがあった。「ホテル ショパン」。

 いい名前。ショパンも1810年に生まれ、1849年に死亡している。まさにパッサージュの繁栄時代に生きた音楽家だ。
 
 歩き始めて感じることがあった。つまりパッサージュは、19世紀前半の「時代」をそのまま封印した‟タイムスリップ体験”をさせてくれる貴重な場所なのではないだろうか。


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