新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

ストラスブール街歩き② クレベール広場。30mの巨大ツリーや、しゃれたデザインの書店も 

2019-01-30 | フランス・ストラスブール

 11月22日通りを進んで行くと、クレベール広場に到着する。この広場ではクリスマスマーケットが盛大に開かれていた。

 ここで見つけた書店。とてもしゃれたデザインの店になっていた。

 ここのトラム停留所「homme de fer」は円形の屋根付きで分かりやすい。

 広場の一角にはデパート ギャラリー・ラファイエットがあり、夜はピンクのイルミネーションで目立っている。

 広場中心の市庁舎も夜はライトアップ。

 屋根の上には彫像も飾られていた。

 広場の名前は、ナポレオン時代の名将クレベール将軍の名前をとって付けられている。将軍はこの像の下に眠っているとか。

 何といっても目立つのは広場中央に飾られたクリスマスツリー。30mもの高さがある。アルザスはツリー発祥の地で、ストラスブールのクリスマスマーケットには1570年からこうしたツリーをたてる催しが続いているという。

 同広場から南に下ると、間もなくグーテンベルグ広場に達する。

 グーテンベルグといえば活版印刷の発明者。ドイツ・マインツ出身だが、ストラスブールに亡命しており、その時期に活版印刷の基本技術を発明したとされる。

 グーテンベルグの像は大聖堂の尖塔を見る角度に立っていた。

 ここから左に曲がるとカテドラル通りに入る。赤黒い威容を誇る大聖堂は目の前だ。

 正面の大聖堂が圧倒的な迫力で迫ってくる。

 ここから右の横町の先は子豚市広場と呼ばれる。木骨組造り(ハーフティンバー)の家が広場を囲んでいて、クリスマスシーズンは最も賑やかな場所となる。

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ストラスブール街歩き① フランスとドイツとの国境の街。半世紀で道の名前が4回も変わった

2019-01-26 | フランス・ストラスブール
 
ストラスブールはフランスの東端、ドイツとの国境に位置する都市だ。ラテン民族とゲルマン民族がぶつかり合う文明の衝突点だった。従ってヨーロッパの歴史を振り返ると、何度もこの地が戦いの場となってきたことが明らかになる。そんな歴史を踏まえながら街を歩いた。

 まずは国鉄駅から散策をスタートさせよう。

 駅舎はドームのようなガラスに覆われている。というより旧駅舎をすっぽりドームで包んでしまった。

 だから、外から見ると楕円形だが、中はそっくり以前のままの建物が残されている。

 その2階部分には、バラ窓形のイルミネーションも。

 駅のプラットホームは半円形の屋根がスマート。

 ホームのガードレールが洗練されたデザインで、まるで美術館構内みたい。

 街に向かって歩き出すと、すぐイル川がある。この川はヨーロッパ大陸を横断して流れるライン川の支流だ。駅発のトラムに乗れば数10分でライン川を越えてドイツ領であるケールという街まで直行できてしまう。もちろんパスポートなど不要。互いの街を通勤している人もいるという。
 イル川を渡って旧市街に入る。このトラムを使えば市内散策を自由自在。1日券4・5ユーロを買って使い倒した。

 駅から旧市街の繁華街クレベール広場までは「11月22日通り」が繋いでいる。

 この通りはその名前がある意味ストラスブール現代史を象徴している。というのは、1912~14年にかけて建設されたこの通りは最初「新大通り」と命名された。

 しかし1918年、「11月22日通り」に名前が変わる。
 だが、1940年には「6月19日通り」と改名され、
 さらに1944年にはまた「11月22日通り」に戻ったという歴史を持つ。

 なぜなのか。それには国際情勢が大きく関係している。まず「新大通り」が建設された当時はストラスブールはドイツ領だった。しかし、1918年第一次世界大戦によってフランスがドイツに勝利し、凱旋記念日の11月22日が通りの名称となった。
 だが、また戦争が始まる。1940年6月19日、ナチスのドイツ軍がストラスブールに進駐して「6月19日通り」となり、第二次世界大戦で再びフランスが勝利して「11月22日通り」に戻るという、半世紀に4回も名前が変わった特別な通りだ。

 もちろん、こうした歴史はこの半世紀だけではない。
 「明日から母国語が使えなくなります」という授業の模様を描写したドーデの小説「最後の授業」は、1871年普仏戦争でプロイセンがフランスに勝利してフランス語が禁止される前日の授業の物語。これもアルザス地方が舞台だ。
 「ヨーロッパの平和は独仏の和解が不可欠」との主旨でこの地に欧州議会が置かれたのもそうした歴史が背景になっている。

 同通りの中ほど「12番地」の建物にプレートがあった。

 「星の王子様」などの作品を残した作家サン・テグジュベリが、ストラスブールの第2飛行連隊に入隊した時に住んでいた場所がこの建物だ。



 
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ノートルダム博物館下 いずれも一癖ありそうなストラスブールの親方像に興味津々!

2019-01-23 | フランス・ストラスブール
 ノートルダム博物館には大聖堂から移されたものがいろいろ収蔵されている。

 これは西正面タンパンの上に飾られた装飾のオリジナルだろうか。中央玉座にソロモン像、その上に聖母像があったはずだが、ここではソロモン像の頭以外は失われてしまっている。

 ちなみに実際の大聖堂正面を見ると、確かにソロモン像、聖母像が復元されて飾られている。

 彩色された群像が面白かった。抱きあう2人の像。キリストと使徒だろうか。

 キリスト誕生のシーン?いや、赤ん坊を抱いている女性がかなり年配そう。マリア様はこんな年寄りじゃないはずだし・・・。

 こちらの方がマリア様らしいよね。

 これは東方三博士の礼拝だろうけど、かなり国際色豊かな顔ぶれ。

 とってもノーブルな顔立ちの女性像。現代的な感じ・・・。

 別の部屋にはストラスブールのいろいろな職業の親方衆を彫ったという群像が並んでいた。

 髭がとてもお似合いな親方。

 飛行帽をかぶっている?いやいや、中世に飛行機はまだなかったはずだし・・・。

 中世の「考える人」。

 この人たちは相当悪っぽい雰囲気を醸し出しているけど、高利貸しかな?
 とにかく親方衆はいずれも一癖ありそうな人たちのオンパレードで面白かった。

 「日時計の占星術師」とタイトルがついた像もあった。ターバンを巻きひげを蓄えたアラブ風の容貌だ。この像が造られる少し前、1453年にローマ帝国が崩壊した後、アラブ世界との交流が深まっていたが、そうした影響を受けものだろう。

 この博物館で見つけた面白い階段を少々。角ばった形ながららせん状に上下する階段。

 こちらは見事にらせん状に渦巻く中世の階段。実は階段の面白さにも興味を持って、現在収集中です。



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ノートルダム博物館上 奥深い悲しみを湛えた、目隠しされた女性像を通して、アルザスの歴史を想う

2019-01-19 | フランス・ストラスブール
 大聖堂の後、近くのノートルダム博物館に入った。

 ストラスブールで最も見たかったものが、広い部屋の中央最前列にあった。2つの像のうち向かって右に立つ女性像。うつむく顔に目隠しの布。わずかに横に首をかしげて、立ち尽くしている。

 この像はシナゴーグと名付けられている。右手に折れた矢を、左手は律法板を持ってだらりと下げられている。

 わずかに腰を右に向け、そのために衣の襞は大きなアーチを描いて膨らんでいる。

 シナゴーグとはユダヤ教の施設などを指す言葉だが、ここではユダヤ教を始めとする旧約聖書の宗教の象徴とされる。

 一方、そのそばでうつむくシナゴーグを見据えるのは、キリスト教を象徴する存在としての像であるエクレシア。左手にキリストの血を受け止める聖杯を持ち、右手には十字の杖を掲げる。

 勝ち誇り、今にも勝利宣言を行おうとするエクレシアと、悲痛な叫びを喉元でこらえてうめき声を漏らしそうなシナゴーグ。

 それは旧宗教の世界が終わり、新約聖書の新しい世界が始まったことを宣言する像だ。だが、敗者とされたシナゴーグの立ち姿の、何と優美で魅力的なことか。

 アルザスにはドイツ語でもないフランス語でもない、アルザス語という言葉があるという。「アルザスはドイツ語がなければその過去から、フランス語がなければ現在から切り離される。ただ、アルザス語がなければ、アルザスはその民衆から切り離されてしまう」。つまり、アルザスの地はラテン、ゲルマン、フランス、ドイツ、幾度となく勝者は入れ替わってきたが、アルザス人にとっては常に勝者にはなりえず、敗者の立場ではなかったのか。

 そんな歴史の中でこの大聖堂に刻まれたシナゴーグ像。奥深い悲しみを湛えながらも、なおたおやかに屹立し続ける敗者シナゴーグの像は、まさにアルザスそのものをも象徴しているようにも思えた。

 なお、本来あるべき場所であり、レプリカが飾られている南袖廊は残念ながら修復中で、見ることは出来なかった。

 実際はこんな形で飾られている。

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ストラスブール大聖堂④ 直径13mのバラ窓、眼鏡をかけた皇帝、天才建築家のユーモア

2019-01-16 | フランス・ストラスブール

 ストラスブール大聖堂内部を歩く。見上げれば直径13mの大バラ窓。16の花弁を持つバラ窓はまるで大輪の花火のようだ。黄を中心にオレンジ、青などがちりばめられた美しい色彩で形成されている。ゴシックのステンドグラスの代表ともいえるものだ。

 ステンドグラスも多い。ここには様々な人物像が描かれている。

 こちらのステンドグラスは歴代の王たちの姿かも。

 こんな像もあった。何と眼鏡をかけた皇帝が!中世に眼鏡なんかあったっけ?
 調べてみると、目の白い部分をガラス板に固定するための鉛の留め具が、まるで黒縁の眼鏡に見えるだけ、とのこと。この時代にはまだ眼鏡は発明されていなかった。

 立ち並ぶ列柱の各所に像が配置されていて、こうして眺めると壮観。

 側廊を歩く。多くの参拝者が詰めかけている。

 そんな人たちが多く手を合わせていた場所。

 マリア像の周囲はろうそくで埋め尽くされていた。

 ところで、バラ窓を始め大聖堂の彫刻群像など主要部分を完成させたのは、5代目の監督だった建築家エルヴィン・シュタインバッハだ。彼の像は南袖廊扉口にあるのだが、ちょうど修復中でお目にかかれなかった。

 そのエルヴィンに関するエピソードがある。
 サンタンドレ祭室内聖歌隊ギャラリーの手すりに両手をのせた小男像がある(これも修復中で見られず!)
 エルヴィンが作業をしていると、それを見ていたこの小男は「こんなもの、すぐ倒れる。大聖堂にまた不幸が増えるだけだ」と皮肉った。
 これを聞いたエルヴィンはその男の像を造ってギャラリーの隅に置き、「そこにじっとしていて動くな。柱が倒れるのをこの世の終わりまで待つんだな」と、語りかけた。
 かくして、約800年間を経てもまだ、男は柱を見続けるという運命になってしまった。

 前回の子犬の話も含めて、こんな風に大聖堂の中にはいろいろ遊び心満載のエピソードが眠っている。

 時期もので、キリスト誕生を表すプレゼビオも飾られていた。

 最後になってしまったが、主祭壇を遠くから眺める。割と簡素なイメージだった。



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