喜多圭介のブログ

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金子みすゞ(2)

2007-01-31 11:05:35 | 俳句・短歌と現代詩
矢崎節夫氏の金子みすゞ発掘に係わる経緯を書いた著書を読んでいないので、根拠のあることはいえないが、発掘の発端になったのが以下の詩であったことを何かで読んだことがある。それでここに採り上げてみた。

大漁
朝やけ小やけだ
大漁だ
大ばいわしの
大漁だ。
はまは祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
いわしのとむらい
するだろう。

詩の読み取りは様々な解釈がなされる。様々な解釈を誘う詩ほど膨らみがあってよいともいえる。矢崎氏は「大漁」の何処に瞠目されてみすゞ発掘の発端に繋がったのかわからないが、おそらくは「いわしのとむらい/するだろう。」でひっくり返ったのではないだろうか。

金子みすゞは大正時代の詩人である。海の魚介類が大量死する環境汚染という言葉には無縁の時代である。このような時代に「いわしのとむらい/するだろう。」といった視点を持ち得た若き女性詩人がいたことに衝撃を受けるのは当然であろう。

時節柄タイミングのいい詩を発見したことになる。

しかしこの詩が環境汚染に係わる詩でないことは大方の知るところであろう。人にとって大漁であれば、魚群仲間にとっては大層な弔いになることに、みすゞは思い至ったのであり、当然な表現といえばいえるが、大正時代にこのような視点を獲得していた詩人は稀有であっただろう。

が、私はこのことを言及したいために「大漁」を持ち出したのではない。(1)に掲載した以下の詩と比較してどうだろうか。

「帆」
港に着いた舟の帆は、
みんな古びて黒いのに、
はるかの沖をゆく舟は、
光りかがやく白い帆ばかり。

はるかの沖の、あの舟は、
いつも、港へつかないで、
海とお空のさかいめばかり、
はるかに遠く行くんだよ。
かがやきながら、行くんだよ。

どうも「いわしのとむらい/するだろう。」と「海とお空のさかいめばかり、/はるかに遠く行くんだよ。」は、みすゞの胸中の波長は同類のものではないか。つまり「いわしのとむらい/するだろう。」の表現を想起したときのみすゞの心情は、魚の大量死に悲しみの目を向けているのではなく、'''自己の胸中に潜んでいる「死への思い」が、このような形で浮上したのではないか'''。

「いわしのとむらい/するだろう。」とぽんと言葉を投げ出せる詩精神は、通常の詩人にはみられないことではないか。常日頃から胸中に「死」を育てていたみすゞのニヒリズムを前提に推察しないと、このキレの良さは納得できない

みすゞの詩がすべてニヒリズム、ネガティブな作品であるわけはないだろうが、以下の作品はどうだろうか。彼女は最後の節で自己否定している。死を育てる人間の言葉は、常日頃から自己否定の影を帯びやすい。

お花だったら
もしもわたしがお花なら、
とてもいい子になれるだろ。
ものが言えなきゃ、あるけなきゃ、
なんでおいたをするものか。
だけど、だれかがやって来て、
いやな花だといったなら、
すぐにおこってしぼむだろ。
もしもお花になったって、
やっぱしいい子にゃなれまいな、
お花のようにはなれまいな。

しかしながらそれがためにみすゞはしょげしょげしたタイプの女性かというとそうではなく、繊細でもあり理知でもあり、なによりも気丈夫なタイプではなかったか。一九三十年三月十日の夜、カロチンを服毒して自殺する寸前まで、きりぎりの思いで気丈に生涯を生ききったのであろう。夫により詩作を禁じられ、その上に愛娘を奪われては、彼女に何が残ったのであろうか。絶望以外の何もなかった。この世の中は生と死しか選択肢はない。

生を絶たれれば死を選ぶ、潔い処世の精神を保持していたがゆえにニヒリズムが顔を覗かすが、それはひねくれたニヒリズムではなく、一種の悟りのように思える。釈迦の思想も健康なニヒリズム(無常観)である。