喜多圭介のブログ

著作権を保持していますので、記載内容の全文を他に転用しないでください。

八雲立つ……76【完】

2008-11-20 13:51:13 | 八雲立つ……

仲居は昨夜の姿勢で頭を下げて出て行った。
「一人でしゃぶしゃぶは味気ないな。佳恵さんと食べるから美味しい」
「奥さん亡くなられてからはずっとお一人で」
「そう。慣れましたが、たまにこうやって食べるのがいい」
「孝夫さんは高明たちに合縁奇縁の話されたでしょ。あのとき私、本当のことだと実感してたの。主人が亡くなってからは主人を思い出すことより、これから先、子ども三人抱えてどうやって生きていこうかと、そのことばかり。それが京都であなたに逢ってから、突然あなたへの思いの切なさや淋しさが衝き上げてきて……でもあなたには奥さんがおられた。あなたとのことはとても無理だと諦めていました。あなたは美術館で言いました、主人や義典さんが亡くなったことで、私たちがこうなったと。もう一人あなたの奥さんの死も私たちがこうなる奇縁です」
「……そうだね、佳恵さんの言う通りかも」
「三人の死の上に稔った恋、私、大切にします」
「ぼくもあなたを大切に思います」

口に含むととろけてしまいそうな出雲和牛のしゃぶしゃぶを賞味しながら、時々、相手の顔に眼をやり、静かに話した。

しかしいろいろと話ながらも、孝夫は鬼が本当に人を愛することができるのかと、律子を喪ってから思い詰め始めたことを、頭の片隅で苦悩していた。

律子は四季の折々に訪れた洛北の大原三千院の往生極楽院に座す観音菩薩像のような女だった。孝夫が時折露わに見せかけるすさんだ感情を、にじり寄って受け止め、慰撫する女だった。そのために孝夫は鬼のこころを露顕させることはなかったが、律子が亡くなった今となっては、果たしてこころの根にある棲み着いている鬼が現れないとも限らない。孝夫の予感としては、そうなる前に自らいのちを絶つだろう、大江山の酒呑童子のように女の肉を食ってしまうほどの獰猛さは自分にないだろうと考えていた。
「食事済んだら寝床が用意されるまで、昨夜のバーに行きますか。外に出ても寒いだけでしょう」
「あの幻想交響曲を最初から最後まで聴きたいわ」
「頼んでみます」
「橋の処にあった寒椿もう一度見たいの」

佳恵は寒椿の咲いている様を思い出しただけで、自分の躯が身内から炎上するのを覚えた。

その夜も佳恵は孝夫に寄り添い、朱色の欄干の橋の中央に佇んで、濃緑の中から顔を覗かせている数え切れない寒椿に見とれた。そこはまさしく女の官能の園であった。眺めているだけで佳恵の躯に蜜が溢れてくるのを感じた。全身に悦びと悩ましさが渦巻いた。その気持ちはバーでベルリオーズの幻想交響曲に耳を傾けているあいだも、ずっと持続していた。

今夜は二人ともそれぞれの思いに耽っているかのように押し黙って、グラスの液体を口に含み、視線を棚に並んだ各種の銘柄の洋酒の瓶に向けているだけだった。それでもあの若いバーテンダーは、二人は交響曲に耳を傾けているのだと思い、怪しまなかった。

部屋に戻ると寝屋が整っていた。

二人は待ちかねたように布団の中で抱き合った。そして孝夫の舌や指先に佳恵の白い躯は囚われ、人形浄瑠璃の人形のように操られ、佳恵はあられもない恥ずかしい姿で、忍ぶように低く嗚咽し、ときには高いよがり声を上げ、このまま散ってしまっても悔いのない官能の花を咲かせ続けた。
                         【完】


★読者の皆様に感謝★

★日々の読者! goo 131名 ameba 212名(gooは3週間の amebaは7日間の平均)
★日々の閲覧! goo 396  ameba 409(内26はケータイ)
★ameba小説部門 最高位 86/4849(11月1日)

連載中は執筆に専念するためコメントは【完】のところ以外では許可しておりません、あしからず。

最初から読まれるかたは以下より。
一章

★この作品を読まれた方は『花の下にて春死なん――大山心中』も読まれています。
喜多圭介の女性に読まれるブログ

★以下赤字をクリック!
AMAZON

現代小説創作教室

連載予定の長編『花の下にて春死なん――大山心中』(原稿800枚)を縦組み編集中。こちらの読者の皆様にはこれで一足お先に読むことができます(あちこちで同じ事を書いてますが)。十二章あるうちの三章まで(原稿90枚)。文字の拡大は画面上の+をクリックしてください。しおり付。

あらゆる創作技法を駆使してます。なお私のこれまでの作品では禁じ手としてましたポルノグラフィ手法もワンシーンありますので、一部の女性読者に不快な思いを抱かせるかもしれませんが、ご了解願います。

『花の下にて春死なん――大山心中』

★「現代小説」にクリックを是非!
にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ





1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
感謝 (喜多圭介)
2008-11-20 13:54:36
長い間、連載にお付き合いくださり、ありがとうございます。NHKテレビの「だんだん」に合わせて連載を思い付いた作品です。