ヒトラー引き合いに出した中国外相も粗雑だが、上坂冬子の以下の文章も雑駁(ざっぱく)。
--------------------------------------------------------
「正論」平成18年5月号 第19回 今月の自問自答「無知にして頑迷固陋な国よ」
◇李肇星外相の暴論 手に負えないもの、それは無知にして頑迷固陋な思い込みを発言しまくる人である。 「そりゃそうだけど、あんたからいわれたくない」 といわれるかもしれない。 たしかに、かくいう私こそ思い込みをブチまけてハタ迷惑な暴論を吐いたりすることがおおいけど、筋を通して説得され納得しさえすれば百八十度の転換だっていとわない。困るのは思い込んだらテコでも動かず、我こそは真理ナリとばかり延々と自説を吹聴する輩である。 具体例をあげよう。 さしあたって中国の李肇星外相がその筆頭だ。二〇〇六年三月六日、全人代後の記者会見で彼はヒツトラーを引き合いにして日本のA級戦犯を批判してみせた。 バカも休み休みいえとはこのことだろう。 かつて戦犯裁判の法廷でさえ日本の指導者とドイツのヒットラーとは違うと、はっきり区別して論じられた記録が残っているのを、外相たるものが知らないのか。 そもそも、この程度の認識で靖国参拝に反対しているなら、日本としでは歯牙にもかけず聞きながすしか無いと、今度という今度こそ私も呆れ果てた。もっとも、中華人民共和国はA級戦犯が処刑されたあとに誕生した国である。それまでは存在しなかったし、ましてや李肇星外相は戦争を知らない年代であろう。不勉強にはちがいないが、無理もないといえば無理もない面もあるし、じやあ、お前ンとこはどうなのかと反論されれば、こちらとしてもチト分が悪い。 たとえば麻生太郎外相は(三月八日)、日本記者クラブで記者を相手に、靖国神社には戦死者ではない人も祀られているのが問題だ、と発言してA級戦犯の分祀の必要をほのめかしたと伝えられた。分祀の必要をほのめかした云々は、それこそ記者の思い込み解釈だろうが、麻生さん、靖国神社に戦死者でない人が祀られているのがどうして問題なのか。靖国神社が戦死者だけを祀る場所と限られていないことは、すでに常識となっている。たとえば沖縄のひめゆり部隊の乙女たちや、沖縄から鹿児島まで学童疎開のために対馬丸にのっていて遭難した児童たち、古くは日露戦争にまきこまれて日本船の船長として遭難したイギリス人など、国家的見地からみて日本の犠牲になったと思われる人々で、氏名のはっきりしている人の霊は靖国に祀られているの知らないのか。 靖国問題の矢面に立つべき外相が、もし事実として靖国神社を戦死者のみを祀る場所として認識していたとすれば、李肇星外相をあざ笑えまい。
◇東条英機は悪人か そういえば、東条は悪人だという思い込みもかなり行き渡っている。 勝ち目のない戦争を始めた無謀な首相、白旗をかかげるタイミングを外して目本をとことんまで窮地に追い込んだ強引なりーダー、などと位置づけられている。 しかし半世紀前、東京裁判が始まったころに「東条見直し論」が、ひそかに蔓延していた。朝日新聞の「天声人語」でさえ、 「電車の中などで『東条は人気をとりもどしたね』などと言うのを耳にすることがある。本社への投書などにも東条礼賛のものを時に見受ける」(昭和二十三年一月八日)と書いている。 おそらく東京裁判法廷で天皇をかばいぬいた東条の証言に人々は好感をもったのであろう。もっとも朝日新聞のことだから、締めくくりは東条の陳述に共鳴してはならないとしているが。 二十年ほど前、A級戦犯を裁いた「東京裁判」のドキュメンタリー映画が、戦後はじめて日本で上映されたが、このころにも東条見直し論がかなり取り沙汰された。 四時間半におよぶこの映画は、昭和天皇がいかに心ならずも開戦の決断を下したかを東条が証言した様子を浮かび上がらせているし、敗戦国のトップとしてプライドに満ちた態度で証言した様子もつぶさに写し出されている。人々は、ここでそれまでの思い込みをたださずにいられなかったのであろう。 毎日グラフの柏木辰興記者によれば、「A級戦犯として絞首刑になった東条英機を見直す気運が強まっている。戦史専門家の間でも、東条英機は首相になって対米戦回避に尽力しており生硬な主戦論者ではないとか、当時は天皇、統帥部の強い権限があり、独裁者ではあり得なかったなどというものだ」(昭和五十八年八月二十一日) とあるから、世論はドキュメンタリー映画にかなり刺激されたものと思われる。さらに、この後がいい。柏木記者の見解として、「東条内閣の成立を伝えた当時の新聞は『一億国民の総司令官、東条さんしっかり頼みます』『実行家のカミソリ宰相に期待』などの見出しが躍っていた。田中角栄を『今太閤』『学歴なしの庶民宰相』と持ち上げた比ではない。どこぞの政党は別としてマスコミ、文化人、財界をはじめ国民こぞってが東条に期待、戦意高揚を助けた」 と述べて、マスコミが作り上げる風潮の恐ろしさを伝えていた。私の年代だと、ここで拍手喝采したくなる。
◇それが戦争というもの 東条が悪い、日本の指導者の罪だ、などというけれど、悪いといえば一丸となって戦った日本中が悪い。 「生きては帰りません。この次に会うときは靖国神社で」 と、男たちは私心を捨てて戦場に向かい、家族はそれを喜んで見送った時代が日本にあったのだ。そんなバカなとはいまだからいえることで、当時、子供だった私はお国のためには命もいらぬと思ったし、私の周辺の大人も迷うことなくそう思っていたかに見える。ウソだと思ったら戦時中の新聞を開いてみるがいい。ひとり息子を迷うことなく戦場に送った母親や、三人の息子が立派にお国のために死んだのを喜ぶ両親の話が連日のように美談として紹介されている。 見方を変えると、日本人は当然のこととして愛国心を持ち戦争が始まった以上、四の五のいってないで勝たなきやならぬと思い詰めていた。いまだから歴史認識だの侵略だのと丘の上から景色をみるような思いで、いっぱしの論戦を交わすけれど、当時は自分の国を愛し守るという美学に反論の余地などなかったのである。それが戦争というものだ。戦争は狂気に支えられて進行するものであり、いったんはじまった以上、人道的に戦うなどということはあり得ないと私は思っている。 視野がせまいといわれればそれまでだが、当時の国民にとってそれは爽快で、すっきりと心おちつく境地であった。すくなくとも少女だった私は、当時を思い出して後悔や反省など微塵も感じない。近代化を目ざした国家として、国民として一度は通らねばならなかった通適地点てあったとさえ思っている。 戦争を知っている私が通過地点として切り離した過去を、戦争を知りもしない人が事あるごとにもっともらしく論理づけて、日本人の歴史認識の誤りにむすびつけるのは自由だが、私は受け付けない。
◇怒るほうが悪い ともあれ靖国問題をめぐって、いまや日中互いに頑迷な思い込みを抱えて暗礁に乗り上げている。この状態を脱却する方策は政府の仕事で私ごときが口を出すべきではないが、私の結論ははっきりしている。日本の首相がA級戦犯の祀られた靖国神社に参拝するからといって他国が怒るのは、怒るほうが悪い。なぜなら彼らはA級戦犯の処刑後に誕生した国家のトップとして、無知を思い込みで埋めて恥ずかしげもなく発言しているからだ。 さきの記者会見で李肇星外相は、 「アメリカとマレーシアの政府当局も『日本の侵略者を忘れてはいない』と話した。ドイツ人も日本の靖国参拝を『愚かで不道徳なこと』といっている」 などとも話している。 まるで十二歳の少年の論法だ。戦後、日本はマッカーサーから十二歳の少年と郷楡された時期があるが、いまここで中国にこの言葉をお返ししておこう。出来の悪い少年が仲間の行状を批難する場合、必ず口にするのが、「ダレちゃんが、こう言っていたよ」「ソレちゃんも、ああ言っていたよ」という論法である。タチの悪いのは「ボクは別にどうも思っていないけど」などと先天的卑怯さをあらわにしたりする。 十二歳の李肇星よ。公の席で詰るなら、せめて自分の調べた結果では日本のことを、こう糾弾したいとなぜいえぬ。ダレちゃんも、ソレちゃんも、みんながこういっていたよという論法が国際社会で通ると思っているところが、見苦しくも可愛い。 ああ、ヤダヤダ。日本はこんな論法を真に受けて、場合によっては次期首相に靖国参拝を止めさせるつもりであろうか。小泉首相を含めて戦争を知らない人が、いまや日本の人口の八○%と聞いた。ならば戦争や戦時体制を多少なりとも知っている私は私なりに調べた結論を、くどいようだが事あるごとに繰り返さねば ならぬ。 日本は連合国四十八か国を相手に平和条約を締結し、戦犯問題などの取り決めを済ませて独立した。ざっくばらんにいうと、その平和条約には条約締結にあたって署名していない国は日本の戦犯問題に関して発言したり、日本に損な、あるいは日本を害するような行動をおこす権利はないと書いてある。実は中国も韓国も、四十五年前の条約締結の場から外されており、署名も批准もしていない。つまり、この問題に関して門外漢なのだ。 で、最後にもう一度繰り返そう。 手に負えないもの、それは無知にして頑迷固陋な思い込みを発言しまくる国である。 ◎かみさか・ふゆこ ノンフィクション作家。昭和五年(一九三○年)、東京都生まれ。名古屋文化学園卒。著書は『巣鴨プリズン13号鉄扉』『「北方領土」上陸記』『「生体解剖」事件』など多数。平成五年、第四十一回菊池賞、第九回正論大賞を受賞。最新刊『戦争を知らない人のための靖国問題』
上坂の雑駁な見解に反論する前に靖国神社の本質を客観的に見てみる。小学館「大日本百科全書」引用。
-------------------------------------------------
■靖国神社東京都千代田区九段北に鎮座。1869年(明治2)戊辰(ぼしん)戦争の戦没者を招魂鎮斎するために、明治新政府により創祀(そうし)された「東京招魂社」がおこり。のち各府藩県で設けられていた地方の招魂社が廃藩置県以後、国家的な統制を受けるに伴い、中央の招魂社としての東京招魂社も正式な神社として整備が進められ、79年には靖国神社と改称、別格官幣社に列格した。陸・海軍両者の所管になるが、その管理は創建の由来からおもに陸軍省があたった。別格官幣社の制は72年に始まるが、国家的な功績のあった人を祭神とすることを特色とした。当社の祭神はその後、53年(嘉永6)以降の国内の戦乱、また対外戦争である日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、日中戦争、太平洋戦争などの戦没者(軍人、民間人ほか)を合祀し、現在約246万人(女性祭神約6万人)。例大祭(4月22日、10月18日)には天皇からの勅使が遣わされ、またその前夜には祭神としての合祀祭が行われる慣例である。国家との関係は、戦後は全面的に断たれたが、「靖国神社問題」として国家護持、首相の公式参拝、A級戦犯合祀問題など、神社の歴史的性格と国家、政府との関係をどう扱うか、未解決のままである。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』も詳しく記載してあるので、一部引用。
------------------------------------------------
靖国神社(?國神社、やすくに・じんじゃ)は、東京都千代田区にある神社で、近代以降の日本が関係した国内外の事変・戦争において、朝廷側及び日本政府側で戦役に付し、戦没した軍人・軍属等を、慰霊・顕彰・崇敬等の目的で祭神として祀る神社である。単一宗教法人であり、神社本庁には加盟していない単立神社である。東京の九段に鎮座する事から、単に「九段」あるいは「九段下」などと通称される事も多い。
神社の名は『春秋左氏伝』第六巻僖公二十三年秋条の「吾以靖国也」(吾以つて国を靖んずるなり)を典拠として明治天皇が命名したものである。明治2年6月29日(新暦1869年8月6日)に戊辰戦争での朝廷方戦死者を慰霊するため、東京招魂社(とうきょうしょうこんしゃ)として創建された。1879年に「靖国神社」に改称。同時に別格官幣社となった。戦前においては神社行政を総括した内務省ではなく、陸軍省および海軍省によって共同管理される特殊な存在であり、国家神道の象徴として捉えられていた。戦後は政教分離政策の推進により宗教法人となり、国家との関係は断たれた。
靖国神社本殿に祀られている「祭神」は神話に登場する神や天皇などではなく、「日本の為に命を捧げた」戦没者、英霊(英でた霊)であり、246万6532柱(2004年10月17日現在)が祀られている。国籍は日本国民及び死亡時に日本国民であった人(戦前の台湾・朝鮮半島などの出身者)に限られている。
靖国神社は、合祀について以下の規定がある。(2004年10月17日現在)
■軍人・軍属 ○戦地、事変地、および終戦後の各外地に於いて、戦死、戦傷死、戦病死した者。 ○戦地、事変地、および終戦後の各外地に於いて、公務に基因して受傷罹病し、内地に帰還療養中に受傷罹病が原因により死亡した者。 ○満州事変以降、内地勤務中公務のため、受傷罹病し、受傷罹病が原因で死亡した者。サンフランシスコ講和条約第11条により死亡した者(戦争裁判受刑者のことで、政府では「法務死者」、靖国神社では「昭和殉難者」という。ABC級に関わらず死刑になった者)。 ○「未帰還者に関する特別措置法」による戦時死亡宣告により、公務上、負傷や疾病にかかり、それが原因で死亡したとみなされた者。
■準軍属およびその他 ○軍の要請に基づいて戦闘に参加し、当該戦闘に基づく負傷または疾病により死亡した者。(満州開拓団員・満州開拓青年義勇隊員・沖縄県一般邦人・南方および満州開発要員・洋上魚漁監視員) ○特別未帰還者の死没者。(ソビエト連邦・樺太・満州・中国に抑留中、死亡した者・戦時死亡宣告により死亡とみなされた者) ○国家総動員法に基づく徴用または協力者中の死没者。(学徒・徴用工・女子挺身隊員・報国隊員・日本赤十字社救護看護婦) ○船舶運営会の運航する船舶の乗務員で死亡した者。 ○国民義勇隊員で、その業務に従事中に死亡した者。(学域組織隊・地域組織隊・職域組織隊) ○旧防空法により防空従事中の警防団員。 ○交換船沈没により死亡した乗員。(つまり、「阿波丸事件」のことを指す。) ○沖縄の疎開学童死没者。(つまり、「対馬丸」のことを指す。) ○外務省等職員。(関東局職員・朝鮮総督府職員・台湾総督府職員・樺太庁職員。)
戦前においては、靖国神社への合祀は、陸・海軍の審査で内定し、天皇の勅許を経て決定された。合祀祭に天皇が祭主として出席した時期もあり、合祀は死者・遺族にとって最大の名誉であると考えられることが多かった。戦後になるとこのような合祀制度は形を改めたが、1952年当時には未合祀の戦没者が約200万人に上り、遺族や元軍人を中心に「合祀促進運動」が起こった。それに伴い、1956年、厚生省(当時)引揚援護局は、各都道府県に対し、「靖国神社合祀事務協力」という通知を出し、1953年8月に成立した恩給法と戦傷病者戦没者遺族等援護法で「公務死」と認められた者を「合祀予定者」と選び、その名簿を厚生省から靖国神社に送付、合祀された。
合祀に関しては、本人・遺族の意向は基本的に考慮されておらず、神社側の判断のみで行われている。このため、特に海外出身の被祀者について遺族が不満を抱く事例がまま見られ、中には裁判に至っているものもある。ただし、現在の公務殉職者の遺族に対しては「合祀可否の問い合わせ」をしており、回答期限内に「拒否」の解答がない場合に限って合祀している。
戊辰戦争の官軍側戦没者を祭ったことが靖国神社の起源だが、幕末の吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作なども合祀されている。従って戊辰戦争で官軍に反抗した幕府軍、幕府側に立って戦った新選組や彰義隊、西南戦争を起こした西郷隆盛は(明治維新の立役者でありながら)、賊軍であるため祭られていない。そのため、結局祀られているのは戦前戦中の政府の為に死んだ軍人だけであり、死ねば全ての人間が神になるという論理からすれば、国家の為に戦死した軍人全てを祀っているとは言えない。また、明治期の軍人、乃木希典や東郷平八郎も戦死ではないため、祀られていない。
■元A級戦犯の合祀第二次世界大戦後の極東国際軍事裁判(いわゆる「東京裁判」)において処刑された(特にA級戦犯を指す)人々が、1978年10月17日に国家の犠牲者『昭和殉難者』として合祀されていた事実が、1979年4月19日に大きく報道されて国民の広く知るところとなった。戦後昭和天皇は数年置きに参拝していたが、合祀以前の1975年(昭和50年)頃からマスメディアによって「私的・公的の別」や「玉串料の支払」等が問題となり、当時の三木武夫首相の「私的参拝」発言により憲法論議を招来し政治騒擾に巻き込む事になる。
側近によれば昭和天皇はA級戦犯合祀に反対だったそうであり、そのためもあってか天皇親拝は1975年11月21日、終戦30周年が最後となっている。それ以降、春秋の例大祭などにおいては勅使が遣わされている。しかし、2004年8月15日には石原慎太郎都知事が「天皇陛下による参拝を望む」と、マスメディアに発言するなど、天皇による靖国神社参拝を望む声も多々ある。 尚、靖国神社に合祀されている元A級戦犯は以下の14人である。
■刑死した者 東条英機(内閣総理大臣・陸軍大臣・陸軍大将・絞首刑) 広田弘毅(内閣総理大臣・外務大臣・駐ソヴィエト大使・絞首刑) 土肥原賢二(陸軍大将・奉天特務機関長・絞首刑) 板垣征四郎(陸軍大将・支那派遣軍総参謀長・絞首刑) 木村兵太郎(陸軍大将・ビルマ方面軍司令官・絞首刑) 松井石根(陸軍大将・中支那方面軍司令官・絞首刑) 武藤章(陸軍中将・陸軍省軍務局長・絞首刑) 刑期中に病死した者 平沼騏一郎(内閣総理大臣・枢密院議長・終身刑) 白鳥敏夫(駐イタリア大使・終身刑) 小磯国昭(内閣総理大臣・朝鮮総督・陸軍大将・終身刑) 梅津美治郎(陸軍大将・関東軍司令官・陸軍参謀総長・終身刑) 東郷茂徳(外務大臣・駐ドイツ/駐ソヴィエト大使・禁固20年) 戦犯指定を受けながら判決前に病死した者 永野修身(海軍大臣・海軍大将・海軍軍令部総長) 松岡洋右(外務大臣・南満州鉄道総裁) ------------------------------------------------
靖国神社の本質は、天皇のために戦死した英霊を祭神として祀ることにあり、その他の戦没者を祀っているのは枝葉のことである。このことは先頃の麻生外務大臣の発言「祭られている英霊の方からしてみれば、天皇陛下のために万歳と言ったのであって、総理大臣万歳と言った人はゼロだ。天皇陛下の参拝なんだと思う。それが一番。」に見られるとおりである。このことを政治評論家の森田実氏は「麻生氏の祖父の吉田茂元首相は『天皇の臣』と言ってはばからなかった。麻生氏も小泉首相の靖国参拝を支持する立場から、『総理がダメなら』と天皇を持ち出して、総裁選での存在感をアピールしようとしたのだろうが、完全に裏目に出た」と話し、「麻生氏が総裁候補から外れるのは政治的には小さな問題だが、日本外交が孤立することは国益を損ない、大失点だ」と批判した。
またタカ派政治家として知られる東京都知事石原慎太郎氏は一昨年八月の参拝後、「ぜひ、天皇に私人として、一人の国民として、国民を代表して参拝していただきたい」と宮内庁ですら当惑するような発言をし、議論を呼んだ。ここに靖国の本質があることを上坂冬子は知らないとでも言うのか。
反論その1 上坂のこの主張、靖国神社に戦死者でない人が祀られているのがどうして問題なのか。靖国神社が戦死者だけを祀る場所と限られていないことは、すでに常識となっている。ならばなにゆえ西郷や乃木は祀られていないのか。主張の理屈と合わないではないか。靖国側は選別していて、常識にはなっていない。なぜならば国家的な功績のあった人を祭神とすることを特色としたことに靖国の大きな特色、つまり意図があるのであって、沖縄のひめゆり部隊の乙女たちらはついでに祀られた程度のことで、靖国の本質とはかかわりのないことである。これらをごっちゃにして論を立てるのは小児的右翼と変わらない雑駁な考えである。
反論その2 そういえば、東条は悪人だという思い込みもかなり行き渡っている。悪人という表現が適当かどうかだが、戦前の日本を太平洋戦争に引きずり込んだのは、東条内閣による国民金縛りの大政翼賛会組織作りと真珠湾奇襲攻撃の命令があったからであり、だから極東国際軍事裁判で絞首刑判決が出たことを忘れて貰っては困る。あの裁判は連合国側の勝手な裁判であるなどという、国際社会にすら通用しない抗弁は言われないと思うが、どうであろうか。戦争にかり出された戦没遺族の多くは、また広島、長崎の被爆者、各地の大空襲の被災者たちが、東条を悪人と憎んでも罰は当たらない。
反論その3 東条が悪い、日本の指導者の罪だ、などというけれど、悪いといえば一丸となって戦った日本中が悪い。これほど雑駁、無知識な考えはない。戦争に狩り出された人たちの遺族への重い哀しみに対する無神経さには呆れる。一度じっくりと大政翼賛会の国民への〈縛り〉を学習して貰いたい。
反論その4 日本の首相がA級戦犯の祀られた靖国神社に参拝するからといって他国が怒るのは、怒るほうが悪い。これもまた呆れるほど雑駁な見解である。実は中国も韓国も、四十五年前の条約締結の場から外されており、署名も批准もしていない。つまり、この問題に関して門外漢なのだ。だから批判してはいけないのか。中国、韓国ともに日本軍に侵略、民族の誇りと権利を蹂躙された国であることを忘却したのか。それにこうした問題を論じるにはあまりにも稚拙な表現、ぼくの近所のオバサンたちだって上坂よりはまともな表現を使う。
上坂冬子の筆致はなまくらになったものだ。