足元に行燈が灯っている。どうもタイムスイッチと連動した自動点火による行燈らしい。今夜も満月だが昨夜よりは白色だ。昨夜は天井板に金色の丸い紙を満月に模して貼られていたのかと思ったが、そうではなかった。かなり広いガラスを嵌め込んだ明かり採りだった。いまの時期、丁度この時刻に満月が昇ってくるのだ。
タマも展望ルームのホワイトボードに蹲って、窓の向こうの満月を見ているかもしれない。
黒比目がどういう育ちをしてきた女かわからないが、黒比目はスタンダールが『恋愛論』で分類した肉体恋愛を男女のラブラブと思っているのかもしれない、とぼくはベッドに横たわると天井の黒い梁を眺めて思った。それだとしたら可哀想な育ちだ。しかし昨今女子高生辺りから、こう思っているのが増えてきたように思える。一応口では情熱恋愛に憧れているようなことを言うが、実際にやっていることは肉体恋愛で、破局を迎えるとすぐに新しい恋人を見付ける。男と女のどちらもこうだから、結婚までに何人と肉体関係を結ぶのか。
肉体関係を結びすぎて結婚に躊躇する女もいるだろうし、売春まがいの泥沼に足を取られて抜け出せない女もいる。もっと悲惨なのは殺されて野山や林道に捨てられている事件がよく報道されている。黒比目がこれらのどれに当てはまるかわからないが、現状のままでは行き着く先はこうした女たちと変わらない気がする。
できれば黒比目の幸福な生涯のことを思案してやりたいとも思うが、ぼく自身が昨夜のていたらくではどうしようもない。だが昨夜は致し方のない面もあった。酩酊しすぎたし、寝場所が変わって興奮気味であった。なによりも昼、夜と欲情昂進ジュースを飲まされて、自制心がぶっちぎれてしまった。
今夜黒比目があの豊満な肉体で迫ってきたら決然と拒絶し、黒比目をあとに残してこの屋敷を飛び出せばいいのだ……飛び出して何処に行くのだ、もうあのマンションに戻れないのだ。いやそれよりも夜にこの屋敷から一歩でも外に出ると、トリカブトの毒矢に射られて悶絶死する。死ぬ覚悟はできているがよりによって毒矢で死ぬことはないだろう。
こうなると早まった結論は導かないほうがよい。黒比目だってまんざら性格の悪い女とは思えない。いずれ時の経過が決着を促すだろう、ぼくは妻との離婚のケースを振り返ってみた。あのときも時の経過によって妻と大きなトラブルもなく、落ち着くところに落ち着いた。妻はいっとき悲嘆の涙に暮れたり恨み言を繰り返したかもしれないが、なにしろ新築三ヶ月後に飛び出してマンション暮らしをしていたから、妻のそうした面を知ることなく、スムーズに離婚できた。
黒比目とこの先生涯を共にするかどうかは神仏や時の経過に委ねよう。ここまで思案し終えたとき、黒比目がドアを開けた。片手に盆を持ち、その上に昨夜のジュースが載っていた。
――ううーん……。
「待ったぁ、これ作ってた。昨日効いたやろ、飲んで」
「ありがとう、ちょうど咽が渇いていた」
黒比目の顔を見た途端、言わなくてもいいことまで口を滑らせた。
ぼくはベッドに半身を起こして、黒比目はベッドのかたわらに突っ立った姿勢でぐぐっと飲み干した。それから黒比目は、寝よ、と威勢よく叫ぶとバスローブをパッと脱ぎ捨てた。黒比目は男の面前で自信ある裸体をさらけ出す趣向があるようだ。ぼくはその裸体を見て目蓋をパチパチさせた。赤一色のショーツ、それも深紅の薔薇が燃えているような正真正銘の赤だった。
「すごい色だな」
「シルクを紅花で染めたショーツ、高かったよ。全部で七色ある」
「七色もね」
「さあ寝るよ」
「ああ」
ぼくは半ば悲鳴のような声で応じた。
そして黒比目はベッドに横たわると昨夜のように頭をぼくの顔に擦りつけるようにして、さらに一方の手でぼくの顔を弄(いじ)り廻すのであったが、どうもその手つきが気になった。
「黒比目、普通女は愛しい男の顔を触るときは五本の指を伸ばして指の腹や掌で顔を撫でるもんだが、きみは招き猫のように指先を曲げて撫でるけどどうして?」
「だってお婆ちゃんうちが子どもの頃から、女はみだりに指先を伸ばして爪を見せるものでないってしつけたからよ」
「ふぅーん、そうなの。なんだか優しく撫でられているのでなく、ポコポコ叩かれている感じだな」