喜多圭介のブログ

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川崎長太郎の文体

2007-05-24 16:21:26 | Weblog

ぼくは私小説を書こうと思ったことはないが、以下の文章は代表的私小説作家、川崎長太郎が六十一歳のとき、「新潮」五月号に執筆した『彼』という作品のなかのもの。1962年(昭和37年)のときで、この歳の七月に川崎は、三十後家の東千代子と初所帯を持つ。以下の文章は結婚前の暮らしぶりの一端である。

 月、五千円近く払う、ちらし代は、このところ彼の生活費の、約三分の一を占めている。が、これは俺にとり、唯一の〈ついえ〉だ、と妙な理窟をつけて自ら納得し、今後共、足腰の達者な間は、毎朝食堂の昔風な暖簾くぐり、同じ丼もの註文することであろう。まだ四人の女中達が、掃除中、のっそり現れ、雑巾がけが済んだらしいテーブルを物色して、そこの椅子に腰降ろさず、下駄をぬぎ、ズボンの裾をたくし上げ、脚を二つに折り、ちゃんと膝頭揃えて坐り込むのが、五十歳以後やり始めた彼の仕方である。たたきの上へ、両脚のばしたなり、かけていては、寒い間はてき面、冷え込みが腰のあたりまで伝わってきて、体にこたえるし、夏場でも何等かの障りがあろうと警戒して、彼は年中、椅子へ坐り込む痔をつけてしまっていた。
 女中が茶を運んでくる。少したつと、酢をまぜためしの上へ、赤、黄、白、色さまざまなものがのっている、くだんの丼ものが、Kの目の前に差出される。彼は割り箸をさいて、おもむろに口を動かし始めるが、牛が噴い物反芻する如く、ごくゆっくりと口を動かしていた。平げ終るのに、ざっと三十分近くかかるのが常である。若い時は、持ち前のせっかちで、早飯の方だった彼も、上下の奥歯のみならず、三年この方、上歯のあらまし抜けてしまってからというもの、老人らしく気を使い、余分な負担を胃腸にかけてはなるまいと、甚だ爺むさい、ロの動かし方余儀なくしているが、箸もつ最中、好きなものを喰う時が一番の極楽、という、内心の呟きふッと聞いたりして、侍しげな思い入れまじり、落ちくばんだ両眼、細める場合もないではなかった。
 毎朝の食事は、大体百五十円也でかたづくが、あとの二度分が、毎度Kには苦の種である。大通りの食堂の外は、格別行きつけの店というものがなかった。彼にしてみれば、一日に一度は、野菜類の惣菜が喰いたいのである。ところが、洋食につきものの前菜は、洋食嫌いな彼に恰好な喰いものでなく、ニンジン、ゴボウ等の煮つけ喰わせる店は、土地のどんな裏通りを探してみても、殆ど無駄脚に近く、つい漬物店で、煮豆を少しはかり包んで貰い、それをポケットに忍ばせ、柱を朱に塗った支那料理屋へ、三日に一遍は出かける段取りともなっていた。ここには、ネギの刻みこまれたギョーザなるものがある。それと、ライスを註文し、二品現れたところで、そっと竹の皮に包んだものをテーブルヘ出し、箸をとって、例の如く牛のように、ゆっくり口動かし始めるが、ここでもちらし丼同様、店には百種に近い支那料理の名を、大きく記した紙が、貼りつけてあるのに関らず、一、二年来そんなものは一切、Kの目に這入らぬといったふうに、いつ現れてもギョーザ、ギョーザの一つ覚えである。K以外の客も亦、三人に一人はきまって、ラーメン党であった。

この作品は1991年刊行の吉行淳之介編『川崎長太郎選集』上下に納められた作品。 川崎長太郎は東京での文学活動に食いあぐね、37歳のときに郷里の小田原に引き揚げ、以後20年間以上物置小屋での一人住まい。三度の食事は外食。外の明るいうちは散策、夜は読書と執筆という生活ぶり。 文学に取り憑かれるとこんなふうになるのかという見本のような有様。 ぼくも覚悟しましたが、ぼく自身は50歳前までは二人の娘の大学進学の金稼ぎを覚悟しましたので、30過ぎから50前までは文学の執筆活動を停止しました。 この点、川崎長太郎の文学への執念、なかなか人の真似のできないものがあります。47歳頃からは「新潮」、「小説新潮」、「文学界」、「群像」などに小説を掲載したりしていましたが、私小説作家というのは作品その物が地味で、流行作家のようにぼんぼん原稿料収入があるわけでもなく、貧しい暮らしを覚悟しなければやっていけない仕事です。


ケータイ小説の運命は

2007-05-20 05:50:08 | 文学随想
ケータイ小説というのはケータイ画面でなるべく読みやすいようにと、一文ずつ空行を挿入して書くひとが多い。また段落文頭の一字落ちしないひとも多い。ぼくも一字落ちはしないが。以下ははたして文章として読めるか。読者にまとまったイメージを与えているか。

【一例】
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昭和三十七年三月の末である。

一年を終えると、あたかも冬こそすべてであったように思われる。

春があっても、夏があっても、そこには絶えず冬の胞子がひそんでいて、この裏日本特有の香気を年中重く澱ませていた。

夏には殆どの釣人が昭和橋に集まった。

西の空がかすかに赤かったが、それは街並に落ちるまでには至らなかった。光は、暗澹と横たわる人気を射抜く力も失せ、逆にすべての光沢を覆うかのように忍び降りては死んでいく。
}}}
【二例】
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昭和僑には大きなアーチ状の欄干が施されていて、それが橋の上に頃合の日陰を落とすからであった。

よく晴れた暑い日など、釣り人や、通りすがりに竿の先を覗き込んでいつまでも立ち去らぬ人や、さらには川面にたちこめた虚ろな金色の陽炎を裂いて、ポンポン船が咳込むように進んでいくのをただぼんやり見つめている人が、騒然たる昭和橋の一角の、濃い日陰の中で佇んでいた。

土が残雪であり、水が残雪であり、草が残雪であり、さらには光までが残雪の霧だった。

時折、狂ったような閃光が錯綜することはあっても、それはただ甍(いらか)の雪や市電のレールをぎらつかせるだけで終ってしまう。

その昭和橋から土佐堀川を臨んでちょうど対岸にあたる端建蔵橋のたもとに、やなぎ食堂はあった。
}}}

一例、二例とも文章と呼べないものである。

一文、一文が羅列されているだけで、内容になんのまとまりもない。が、人様のケータイ小説を拝見すると、こんな印象の物がけっこう目立ち、びっくりする。本人は小説を書いているつもりなのである。ご丁寧に、読んで感想が欲しい、と書いてあったりする。

段落は'''一文、一文が、一つの主旨の元にまとまった文のグループ'''のことである。たとえば最初の一段落は生姜アメのことについて、第二段落はザラアメについてという風に。

段落は二種類あり、上の説明は'''意味段落'''のことである。

一段落の文章が200字以上になると、読者が読みやすいようにと、適当なところで段落分けすることもある。これを'''形式段落'''と呼ぶ。明治・大正・昭和前半の作家は、400字詰め原稿用紙三枚ほどで一段落という作家もいた。谷崎潤一郎はそうであった。

文章は'''あるテーマ(主題)について、一段落、一段落が累積した物'''のことである。上の例では、筆者は〈アメの種類〉について執筆したのかもしれない。またこの文章は段落についての説明がテーマである。

ブログ小説、ケータイ小説はパソコン、携帯電話があれば、文章が書けていないのにもかかわらず、小学生から、作家になったつもりが多い。あまりにひどい現状なので、ぼくのケータイサイトで《文章講座》中である。

ケータイ小説は小学生から2、30代がメインであるから、文章の書けないひとが目立つ。

先ほどの二例の原文はこのようになっている。
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夏には殆どの釣人が昭和橋に集まった。昭和僑には大きなアーチ状の欄干が施されていて、それが橋の上に頃合の日陰を落とすからであった。よく晴れた暑い日など、釣り人や、通りすがりに竿の先を覗き込んでいつまでも立ち去らぬ人や、さらには川面にたちこめた虚ろな金色の陽炎を裂いて、ポンポン船が咳込むように進んでいくのをただぼんやり見つめている人が、騒然たる昭和橋の一角の、濃い日陰の中で佇んでいた。その昭和橋から土佐堀川を臨んでちょうど対岸にあたる端建蔵橋のたもとに、やなぎ食堂はあった。
}}}
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昭和三十七年三月の末である。

西の空がかすかに赤かったが、それは街並に落ちるまでには至らなかった。光は、暗澹と横たわる人気を射抜く力も失せ、逆にすべての光沢を覆うかのように忍び降りては死んでいく。時折、狂ったような閃光が錯綜することはあっても、それはただ甍(いらか)の雪や市電のレールをぎらつかせるだけで終ってしまう。

一年を終えると、あたかも冬こそすべてであったように思われる。土が残雪であり、水が残雪であり、草が残雪であり、さらには光までが残雪の霧だった。春があっても、夏があっても、そこには絶えず冬の胞子がひそんでいて、この裏日本特有の香気を年中重く澱ませていた。
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上下は宮本輝の『泥の河』、『螢川』の書き出し一段落である。

この程度の段落ならケータイ小説でも一文のあいだに空行をおかないほうがいい。多少の読みづらさは仕方のないことである。

ところで発刊されている雑誌「魔法のiらんど」は横組体裁。
魔法のiらんど

コメント

ぼくは日本の文学・文藝作品は縦組体裁で味読すべきものという考えであるから、自作、他作を横組体裁では鑑賞しない。ただしワープロ時代であるから推敲・改稿は横書きのママでやっているが、プロ作家の中ではこれも拒否する人が多いらしい。原稿用紙に自筆という作家も多い。

そうか、そうなるとぼくの作品が受賞したときは、懸賞金100万と映画化を了解し、書籍出版は縦組体裁、文庫本でないと駄目と条件を出すことにする。「魔法のiらんど」のなんとけばけばしいこと! まるで元禄吉原の遊女でないか! これだから日本人の品性がどんどん低下する!

安部晋三! 〈美しい日本〉は口だけのことですか。本当はこの連中が財界と結託して日本の風俗を堕落させているのでは?
右寄り文化人

おそらく「魔法のiらんど」は一、二年で売れ行きが落ち、発刊停止。

そうなるとケータイ小説ブームは去る。

今回ぼくが応募したところは「魔法のiらんど」と異なるのでどうか。

賢い道を見出すかも。書籍にするときは縦組文庫本とかにして。これを期待したい。

自作電子文庫本

2007-05-02 15:40:53 | 自作小説(電子文庫本)
1、■『ぼくの美しい人だから』、『淀川河川敷』、『秋止符』
しおり付。左画面のしおりをクリック。309頁
電子文庫本

2、■『断崖に立つ女』249頁
女性能面師の前に現れた二人の男性、何人もの人間がほろびほろびゆく中での波乱の運命を描いた直木賞、その他の文学賞ねらいの力作。
電子文庫本

3、■『魔多羅神』223頁
淫祠邪教の大元、魔多羅神の謎に迫る、精神病院の名誉医院長と美貌の大学常勤講師のエロチックサスペンスドラマ。スマトラ沖地震・津波の惨禍の南インドで二人を待ち受けているものは何か。直木賞、その他の文学賞ねらいの力作。
電子文庫本

4、■『茉莉という少女』、『観音島』、『火焔』収録。203頁。しおり付。
◆『茉莉という少女』原稿およそ120枚。
奇形腫という病気に冒された少女が、さらに実父による性虐待を受け、離人症の果て死に至る物語。
電子文庫本

5、■短編集『六甲山上ホテル』に『佐津海岸』、『百日紅』、『月の砂漠』、『深紅色の珊瑚』を合本。しおり付。左のしおりをクリックすると『佐津海岸』、『百日紅』、『月の砂漠』、『深紅色の珊瑚』という表示が出ます。それぞれのタイトル表示にマウスを当ててクリックするとジャンプします。227頁。
電子文庫本

■心中物長編『蒜山別れ唄』215頁(改稿中)
http://heiseijiro.hp.infoseek.co.jp/hiruzen.pdf

20代の頃から原稿10枚以内で創作する掌篇が好きで創作していましたが、掌篇は掌篇で難しく、本格的に創作したのは、40代頃からです。あまり創作してませんがご案内。拡大率100%でお読みください。三段組体裁。しおり付。
掌篇