喜多圭介のブログ

著作権を保持していますので、記載内容の全文を他に転用しないでください。

支えられて──哀歓の日々──(4)

2006-09-30 03:07:32 | 俳句・短歌と現代詩

著者は淡々と記しておられるが、創作者にとって作品喪失は痛恨の極み。復元不可能である。ぼくもパソコンで創作するようになってから、よくこの事故を起こす。中途まで百枚ほど創作していた小説原稿のファイルを、不用意な操作で一瞬にして削除。このときは絶望的で、死んでしまいたくなる。
--------------------------------------------------
 いつの日かの出版を夢みて、既発表・未発表を問わず、すべてを事業所に持ち込み、推敲に推敲を重ね、傍らトップとしての事業への苦悩と孤独の癒しを短歌に委ねていた。
 歌集にして一冊分は裕にあったのだが、昭和四十四年十二月隣接製材工場火元による類焼で、わたしの事業所が全焼し、短歌作品のすべてを焼失した。
 この作品は主たる月刊歌誌「新月」、県歌人クラブ年刊歌集などへの発表分で、焼失を免れたその一部で、初期のものである。
 いずれ四十数年前からの作品を網羅・蒐集できたらと思う。
--------------------------------------------------


著書からぼくの好みに合わせて掲載作品(三十八首)より十首選んだ。最後の二頁分は選ぶのを最初から割愛してある。船越氏にとって歌作りとは何か、その意味はご自分でお書きなので、ぼくの解説は不要。


船越氏は中学時代から氏の表現を借用すると、「石川啄木の『一握の砂』や『悲しき玩具』などのすべてを、無我夢中で雑記帳に網羅転記したり、高校時代は『平家物語』や『源氏物語』を読破」しておられる。相当の文学少年、青年期を送っておられる。


短歌創作の道を志すようになったのは、昭和三十三年頃、三十六年に短歌結社「新月」に参加しておられる。「新月」は山本牧彦、加藤知多雄、上田三四二氏らが同人の、全国的にレベルの高い結社である。
--------------------------------------------------
   起  伏


 私は悲しい事に短歌を好む。短歌は私のペットであ
り、私から離れぬ癌であり、あまつさえ自殺の具でも
ある。深い処で喜びと悲しみを表白するに足る詩型「短
歌」をこよなく愛す。


                      
虚構する想ひの徐々に崩れゆき断続しつつ来る孤独感


山川のさやけき音を聞きてをり人避けて来し宿の窓辺に


わが裡にひそめる罪の浮かぶ夜を目に目薬の沁みてなじまず


思ほへば一つの愛も過ぎにしか病菓(わくらば)舞ふを虚(うつろ)に見たり


酔(ゑ)ひ帰れば子は寝てをりぬうつ伏せにアンデルセンを拡げたるまま
           
酔(え)ひ酔ひて夜々遅ければ寡黙(かもく)にも慣れたる妻か言葉さびしゑ


誰からも背を向けられし心地して襟過ぐる風冷たき今宵


うつしみのわが背徳を悔ゆる日々短歌(うた)に委ねて保つ平衡


不意に来る虚(むな)しさありぬ山茶花の散り終へにしをいつとは知らず


人うとみ独り想ひて山ゆけば百舌かしきりに鳴く朝の径


支えられて──哀歓の日々──(3)

2006-09-29 00:59:43 | 俳句・短歌と現代詩

著書の中に興味を惹(ひ)く項目があったので、全文を引用。


──────────


    政治家へのひとりごと


 国会から末端地方首長・議員に至る随分多くの政治家と接触もし、また、その一部には強力に支援もしてきた。政治家とは理念を語り、道筋を示し、行動する職業である。理念は行動を伴って、はじめて信頼に変わる。
 分析したり、評価したりするのは評論家の領域である。どんな理念を提示できるかが常に問われている。
 われわれは昔から自己主張を悪徳と教えられた。「常に謙譲であれ」と──。政治家に謙譲の美徳はない。
 確固とした理念、ビジョンをもって、決断し、情熱をもって行動に移せばよいのである。
「普通の人の 普通の人による 普通の政治」を熱望したこともあったが、普通の人では務まらないことも熟知した。
 気が弱くて、お人好しで、妙に真面目で誠実で、不器用で、遊び下手で、つまらぬことにクヨクヨ気をもんだり、自分の責任でもないことまで背負い込んで苦しむなど、一般人としては長所であるはずの資質が政治家としては短所となる。
 この長所であるべき短所を、いかに克服していくかが政治生命の長短を決定するような気がする。
 過去、接触した偉大なる政治家をみるにつけ、現今は随分、小粒になった感が否めない。若者の無関心と、一般人の政治不信は志ある者を育てようとしない。まことに憂うべきことである。


 真に偉大なものは、その時代を越え、はるかな高みに達するからこそ偉大なのである。大方の人は浅はかだといわざるを得ない。なぜならば、たまたま偉大なものに出くわすと悦(よろこ)ぶどころか、往々にして的はずれな酷評を下してしまう。凡骨は天才を正しく評価することは出来ないように思えてならない。
 また、「オレに一票を入れよ」と名乗る者にロクな人はいない。
 ◇実るほど 稲は伏すなり 人は唯 馬鹿になるほど そりかえりける
 ◇実るほど 頭(こうべ)を垂るる 稲穂かな
 ◇下(さが)るほど 人の見上ぐる 藤(ふじ)の花
 ◇やめぬ人 やめさせる人 見てる人
 ◇出たい人より 出したい人
──────────


 箱入り、立派な装幀(そうてい)のこの本は、実は非売品である。だから書店では入手できない。


それでぼくとしては、普段の船越敏郎氏しか知らない人たちに、とくに噂の域でしか知らない人たちに、正しい船越像を伝えておきたくて、これを執筆している。とはいえぼく自身が船越氏を正しく認識できているとは言えない。なにしろ二、三度しかお会いしていないのだから。しかし長年文学書に親しみ自ら創作もしているので、著書から人物を知る能力はそれなりに備わっているのではないかと自負している。


できれば氏の創作、短歌をすべてご紹介してこのシリーズを完了しておきたい。なぜなら短歌はその人物の裏側を知るのに最適なものであるから。


人には裏表があることはすでに述べた。表面の人間像は、船越氏の場合は土木・建設業界のおのおのの場面で氏の仕事ぶり、スピーチ、酒席でご存じの姿であるから、知る人は知るであるが、裏面の人間像は人物が出来ている人ほど他人には見せない、妻子にすら見せない姿である。つまりそこには孤独な人間像がある。しかし芸術表現、文学もそうだが、こういう表現手段を持たない人たちは、裏面すら時の流れに呑み込まれて生きていくだけであるから痕跡を留め得ない。幸いというか短歌は俳句以上にこの痕跡を他人に認めさせる文学である。


短歌芸術についてはそのときに書くが、いまは「政治家へのひとりごと」について感想を述べる。


船越氏が指摘しているように凡人にとっての長所は、政治家にとってはしばしば短所となる。このことはぼくも十二分に納得しうることである。政治が相手にしている人間は個人でなく大衆である。「個人」対個人であれば凡人の長所がそのまま相手に伝わり、相手が異性であればここに相思相愛の契機が生まれたりもするが、政治は「個人」対大衆という世界であり、このときの「個人」が一対一関係の個人であるはずはない。氏が指摘したのはこのことであろう。そしてこのときの「個人」というのは表側の人間像である。


政治家にかぎらないことであるが、人格の練れた人物ほど表面と裏面の境目が画然としているから、表側に接していても真の人物像を掴むことは難しい。この点、凡人の二面はボーダレスであるから、人格の底の浅さが他人に割れてしまうことになる。


政治家の真の人物像を知る機会は、大衆にはほとんどない。だから政治家を一面的、皮相的見方で判断してしまうことになるが、政治家の立場からすれば誤解は政治家の宿命ということになる。


かりにこの政治家がかたわら芸術表現にいそしんでおれば、大衆は裏面の人物像を知る機会に恵まれ、誤解なく政治家を理解しうるかもしれないが、芸術表現にまで到達している政治家も少ないので、誤解のまま生涯を終えることになる。この意味では少し寂しい生涯と言えるかもしれない。


このことは芸術表現を持たない人物すべてに当てはまることで、凡人もまたしかりである。船越氏はこのことを「凡骨は天才を正しく評価することは出来ないように思えてならない。」と述べておられる。


表側の自分に正直であり、また裏側の自分に誠実であれば、ヒトとして完成されたというべきであるが、なかなか釈迦のようにはいかない。ぼくなどこの歳になってもいずれも不完全、おそらくこのまま地に帰るしかない。


 


支えられて──哀歓の日々──(2)

2006-09-28 04:03:01 | 俳句・短歌と現代詩

船越敏郎、兵庫県下の土木・建設の経営に携わっておられる氏と同年配のかたは、氏の人となりをよくご存じであろうと思うが、著書に丁寧な年譜があるので、少し簡単に抜き書きしておく。


昭和10年 旧三原町八木に生まれる。
昭和16年 八木村立八木国民学校入学、六学年学級委員長
昭和22年 八木村立八木中学校入学、一、二、三学年委員長、生徒会長
昭和25年 県立三原高校入学、一、二学年代議員、三学年学年代表、委員長
昭和28年 淡路丸三青果K・K入社
昭和40年 淡路丸三青果代表取締役社長
昭和44年 類焼により社屋、その他消失
昭和49年 株式会社森長組入社
昭和63年 森長組労務安全部長
平成6年 森長組社長室長
平成9年 森長組社長室部長
平成11年 森長組常勤監査役
平成14年 森長組常勤監査役退任


なお現在に至るまで数々の役職を歴任、幅広い活動をしてこられる。


著書には贅沢なほどの写真が載っている。ご本人の風貌の写真もある。八の眉のヒトは多いものだが、この八が上向きに開き、唇をぐっと結んで、自然体で両肩を張っておられる、どことなく戦国武将のたたずまいが船越敏郎氏の特徴である。人物像の写真を眺めながら、誰に似ているのかと考えていたのだが、もちろん戦国武将の写真など現存していない物だから思い浮かばない。それでも誰かに当てはめたいという気持ちに駆られて、これまで読んできた歴史小説、時代物小説のどの武士に当てはまるのかと思案していたら、新撰組の三人が浮かんだ。


沖田総司、新撰組随一の剣の使い手であるが、年少にして労咳(肺結核)病み、白皙の容貌はニヒルである。氏に合わないので消去。土方歳三、新撰組随一の理知的な戦略家、剣も立つ、非情な理性と鬱勃たる情熱を併せ持っているが、武士のイメージよりも現代人に近い。これも氏のイメージではない。残るは隊長近藤勇、土方ほどの知略はないが威風堂々、豪放と鷹揚を併せ持った剣の使い手。氏に新撰組の「誠」のはちまきを額に巻き、腰に二本差しのあの独特スタイルで立って貰ったら、いちばんピッタリする。実際の近藤勇は体躯長身であったので、どうしても氏の場合、小型近藤勇のイメージとなるのはやむを得ざるところである。



 


支えられて──哀歓の日々──(1)

2006-09-27 01:04:59 | 俳句・短歌と現代詩

船越敏郎 様から一冊の著書『支えられて ──哀感の日々──』を寄贈していただいた。うかつにも二、三日ポストを点検していなく、今夜見付けた。


いずれお礼をしたためさせて戴こうかと思う。


船越氏とお会いしたのも最近のこと。某所で二度ほどお会いし、実は一度目のときに、この著書の印刷所からのゲラ原稿をお持ちであったので、製本業をやっていたぼくとしては見逃せず、失礼を顧みず、ゲラの一部を拝見させて戴いた。


そして驚愕した。え! この島にこのレベルの短歌を詠める人がいたことに。


勝手に一首紹介する。


思ほへば一つの愛も過ぎにしか病葉(わくらば)舞ふを虚(うつ)ろに見たり


ガアーンという衝撃を頭脳に受けた。見事なレベルの一首である。このレベルを詠うには、相当な歌歴がなければ詠えない。


いまぺらぺらと頁を繰(く)っていたら、川端千枝のことやら仁寿堂病院長島太郎氏の名前まで出てきており、懐かしくなった。ぼくの知人に川端千枝を研究された人物がいる。


船越敏郎とは、ぼくがもっと若い頃にお会いしたかったヒトである。いまはぼく自身、浮世離れ、世捨て人覚悟でいるので、遅かりしかなであるが。


ぼちぼち拝読した感想なりを、感謝を込めて書いておこうと思う。


先日の大見山での清掃では、面白そうに枝切りをされていた。どことなく子供の面影を残しておられる、人物の大きいかたである。


パチンコ

2006-09-26 09:59:51 | 世相と政治随想

その頃ぼくは淡路という街に住んでいた。大阪に「島」をとった淡路という街が、阪急電車京都線の途中にある。そこに住んでいた頃、よくパチンコ店に通った。小学低学年の頃で、その頃は子供でもパチンコがやれた。貸玉料金1個一円か二円だったと思う。子供のお小遣いは日に十円か二十円どまり。十円持って遊びに行ったのであろう。玉が貯まれば景品を手にすることが出来た。商品はキャラメル、ガム、酢昆布。明治やグリコのキャラメルが十個入り十円であった。巧く遊べば貯まった玉はキャラメル一箱に変わった。ぼくはパチンコがわりと巧かった。


こういう遊びが好きで、学校から戻るとパチンコ屋に出掛け、夢中になって遊んだ。この頃のパチンコにはチューリップなどはなく、釘のあいだを下っていく玉が何処かの穴に入ると、玉受けに玉が増えるという単純な器械であった。


小学生であるから学校にも通っていた。校名を記憶していない。小学校だけで、四つ、五つ転校したから、入学した学校と卒業した学校しか記憶にない。地図で調べたら東淡路小学校があった。おそらくここであろう。なんとなく校門付近の姿はぼんやりと覚えているが、どんな教室でどんな仲間と過ごしたのか、さっぱりである。


調べてみるとパチンコの歴史は大正9年に米国から入ってきた。パチンコブームの第一期は昭和28年。日本中の「市」という街は、夜になると繁華街にはパチンコ店の派手な軍艦マーチの音楽とネオンと店の明かりが、その周辺にだけわびしい賑わいを見せていた。パチンコとスマートボールの併設した店もあった。


パチンコが子供の遊びでなくなったのは何年頃のことか。


その後パチンコ店に入ったのは、二十歳過ぎてからの二、三度。パチンコで儲けることが辛気(しんき)くさく思えて出入りすることはなかった。だから今日のパチンコがどんな風になっているのかは知らない。


どうもこの遊びは、自分を見失ったヒトには〈パチンコ依存症〉という神経症をもたらすようである。とくに最近の機種は金に羽が生えたように、瞬く間にすっからかんになるようなので、根治したほうがよいが治らないのが依存症の特徴でもある。