著者は淡々と記しておられるが、創作者にとって作品喪失は痛恨の極み。復元不可能である。ぼくもパソコンで創作するようになってから、よくこの事故を起こす。中途まで百枚ほど創作していた小説原稿のファイルを、不用意な操作で一瞬にして削除。このときは絶望的で、死んでしまいたくなる。
--------------------------------------------------
いつの日かの出版を夢みて、既発表・未発表を問わず、すべてを事業所に持ち込み、推敲に推敲を重ね、傍らトップとしての事業への苦悩と孤独の癒しを短歌に委ねていた。
歌集にして一冊分は裕にあったのだが、昭和四十四年十二月隣接製材工場火元による類焼で、わたしの事業所が全焼し、短歌作品のすべてを焼失した。
この作品は主たる月刊歌誌「新月」、県歌人クラブ年刊歌集などへの発表分で、焼失を免れたその一部で、初期のものである。
いずれ四十数年前からの作品を網羅・蒐集できたらと思う。
--------------------------------------------------
著書からぼくの好みに合わせて掲載作品(三十八首)より十首選んだ。最後の二頁分は選ぶのを最初から割愛してある。船越氏にとって歌作りとは何か、その意味はご自分でお書きなので、ぼくの解説は不要。
船越氏は中学時代から氏の表現を借用すると、「石川啄木の『一握の砂』や『悲しき玩具』などのすべてを、無我夢中で雑記帳に網羅転記したり、高校時代は『平家物語』や『源氏物語』を読破」しておられる。相当の文学少年、青年期を送っておられる。
短歌創作の道を志すようになったのは、昭和三十三年頃、三十六年に短歌結社「新月」に参加しておられる。「新月」は山本牧彦、加藤知多雄、上田三四二氏らが同人の、全国的にレベルの高い結社である。
--------------------------------------------------
起 伏
私は悲しい事に短歌を好む。短歌は私のペットであ
り、私から離れぬ癌であり、あまつさえ自殺の具でも
ある。深い処で喜びと悲しみを表白するに足る詩型「短
歌」をこよなく愛す。
虚構する想ひの徐々に崩れゆき断続しつつ来る孤独感
山川のさやけき音を聞きてをり人避けて来し宿の窓辺に
わが裡にひそめる罪の浮かぶ夜を目に目薬の沁みてなじまず
思ほへば一つの愛も過ぎにしか病菓(わくらば)舞ふを虚(うつろ)に見たり
酔(ゑ)ひ帰れば子は寝てをりぬうつ伏せにアンデルセンを拡げたるまま
酔(え)ひ酔ひて夜々遅ければ寡黙(かもく)にも慣れたる妻か言葉さびしゑ
誰からも背を向けられし心地して襟過ぐる風冷たき今宵
うつしみのわが背徳を悔ゆる日々短歌(うた)に委ねて保つ平衡
不意に来る虚(むな)しさありぬ山茶花の散り終へにしをいつとは知らず
人うとみ独り想ひて山ゆけば百舌かしきりに鳴く朝の径