喜多圭介のブログ

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八雲立つ……16

2008-10-31 17:01:27 | 八雲立つ……

孝夫の胸底から死への思いが少しずつ消えていったのは、妻の律子との結婚生活だった。

律子はきょうだいのいない一人娘として貧しい家庭に育ったが、心根が純朴、晴朗な女であった。町に夕食の買い物に出掛けて帰って来ると、いつも何かを発見し、取るに足らないことだったが、それをさも楽しそうに孝夫に語った。身辺の小さな出来事を楽しみ、哀しい出来事にはティシュペーパーを傍らに置いて、テレビの前で涙ぐんでいた。

夜になると小柄な体で甘えてきた。身を委(ゆだ)ねてくるあどけない顔の律子が孝夫は愛おしかった。娘二人が社会人になり、家から巣立ったあとも、律子は結婚同時からの愛くるしい雰囲気のままに、歳のとらない中年女になり、天気のよい日曜などは裏庭に花々を植えては、その成長ぶりを孝夫と愛(め)でたいのか、孝夫を呼んで手伝わせた。

律子を喪った痛手から孝夫はまだ恢復できないでいた。子供の頃からの死への誘いが芽生え始めていた。これからの日々をどう過ごせばよいのか、途方に暮れる一日一日だった。律子が生きていた頃には思い出しもしなかった、新婚当時の思い出などが、仕事の合間に目蓋に浮かんできた。

――律子、もうすこしがんばってみるか。

目蓋に浮かんだ律子の笑顔に語りかける毎日だった。そこへ義典の死の知らせだった。

     *


芳信叔父は社交下手な人であった。叔父の従兄弟たちにも芳信叔父の変人ぶりは知れ渡っていた。従兄弟たちはそれなりに警戒して付き合った。ますます叔父は親戚縁者の中で孤立していった。この点、孝夫の母の智世子と信和叔父は言葉巧みな社交上手であった。人の世話も熱心にするほうだったが、自己中心で自分の意に背いたことには我が子のしていることでも冷たく罵(ののし)った。

種違いのきょうだいであったが智世子、信和、芳信は、十五、六歳までは、本家、分家ともに陶芸家の家という環境で育った。智世子が高女に通っていた頃、宍道湖の岸辺であろう、三人が水着で岸辺に並んで立っている黄ばんだ古い写真がある。

孝夫の母は、気品のある蠱惑な表情と水泳の得意な女性だった。両脇に立っている叔父たちも知性の感じられる凛々(りりしい)しい青年だった。しかしよく見ると、信和叔父は堂々とした体格の快活な青年であったが、瓜実顔の芳信叔父は肌の色が白く、あばら骨の浮き出た神経質な青年であった。この頃すでに三人は、利己的な人間として共通の冷血な感情を萌芽していたのではないかというのが、孝夫の推理であった。

もっと嫌な想像が浮かんだ。もし二人の青年が真ん中に挟まれている種違いの母を実姉としてみることができなかったら、母を巡っての二人の青年の心理は複雑でなかったか、孝夫はこのことを想像した。現にその方向に進行した。

真偽のほどはわからなかったが、孝夫が伯耆大山での自殺未遂後に芳信叔父宅に立ち寄ったとき、芳信叔父はいつもの白眼を剥く顔で口を尖らせ、
「お前のおかかと兄貴は人間として許されん、人に言えんような仲じゃた。そげなことするおかかやからのぅ、お前も自殺の真似事するわね」と言った。

孝夫は口惜しかったが、現に自殺未遂してから、のこのこと叔父宅を訪ねたので、なにも反論できなかった。

母は信和叔父とはなんでも話せる仲であった。信和叔父の妻静子の棚卸しや芳信叔父の悪口を、ビールを飲みながら言い合った。

二人の叔父の確執の原因は、信和叔父が鳩堂窯本家の養子、芳信叔父は分家ということもあっただろう。芳信叔父が母親である房江の面倒を見なければならないこともあったろう。またM市で常に脚光を浴び、警察署内でも要領よく出世していく信和叔父への嫉妬心もあっただろう。自分はいつも冷や飯ばかり食わされたという思いが、もともと神経質な芳信叔父の胸裡に怨念めいたものを増殖したかもしれない。自分の知らないところで姉貴(あねき)と兄貴はいちゃついていると妄想すれば、芳信叔父の不機嫌は二人に対する憎悪にまで上り詰めても不思議ではなかった。そこへ姉貴の子供二人の面倒まで引き受けさせられてしまった。

いまとなれば孝夫は芳信叔父が、自分を目の敵(かたき)にし、折檻する理由も納得できた。

母親と信和叔父の仲の良さに不機嫌であったのは、芳信叔父だけではなかった。信和叔父の妻静子がそうであった。孝夫の母親が信和夫婦の家をたまに訪問したり、叔父が職務上大阪に来ることが年に二、三度はあった。二人の仲の良さを知っている静子は、内心はらわたが煮えくり返っていた。感情を表には出さない人だけに、胸の裡はしだいに鬼のこころとなって凝固した。静子が自分たち兄妹に冷淡であった理由も、後になって孝夫は納得できた。

静子は性格の陽性な女ではなかった。吝嗇(りんしょく)な実家の血を引き継いだのか、賢い人だったが陰険であった。孝夫はこの叔母にも親しみを感じたことはなかった。

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『花の下にて春死なん――大山心中』



八雲立つ……15

2008-10-31 13:22:41 | 八雲立つ……

     *


後年孝夫は、どうしてこんな非情な叔父夫婦に母は自分や妹を託したのか、我が子に対する母の愛情に疑念を抱いた。敗戦後すぐに夫を亡くした、智世子の窮状は理解できても、このことは理解できなかった。

芳信夫婦の冷淡な態度を房江は房江で腹立たしく思っていたが、年老いて次男夫婦に世話になっている以上、小さくなって暮らしていた。この祖母の窮状を本家の養子になったとはいえ、信和叔父はなぜ救済の手を差し伸べなかったのか、この点も孝夫には不可解であった。

孝夫は芳信叔父の家に三年余預けられていたが、この間に信和叔父が分家を訪問したという記憶はほとんどなかった。

信和叔父は本家の養子となり養父、養母に育てられたとはいえ、養母が社会奉仕活動として営んでいた養護施設の二十数名の孤児たちと、施設の部屋で同等の扱われ方で育てられた。この間に叔父に実母への思慕はなかったのかと想像してみるのだが、房江の丸眼鏡の奥の爬虫類に似た眼を思い出すと、それはなかったのだと納得した。

芳信叔父がどのように孝夫を折檻しようと、孝夫の非行なるものは直らなかった。とうとう業を煮やした叔父は、小学三年生の冬休みに入るとすぐに、孝夫を大阪の智世子押しつけてM市に帰ってしまった。クリスマス気分の大阪の夜の街は、孝夫が初めて眼にする華やかなネオンがくるくると回っていた。母親の働いていたところは難波の宗右衛門町の〈富士〉というダンスホールだった。母親はホールの階上の大広間で地方出身のダンサーたちと寝泊まりしていた。

当時の孝夫を写した写真が一枚、手元にあるが、孝夫が見ても実に小狡(こずる)そうな笑みを浮かべていた。小学三年生の子供の顔ではなかった。性格の歪んでいることがすぐにでも直感できる顔だった。

孝夫はこの写真を見つめるたびに、おとなになってからも不意に涙が頬を伝った。

自分の将来に平穏な道は展けないのではないか、と暗澹とした気持ちになった。二人の叔父のように胸底に非情な感情を潜めた人間として生きるのではないかと予感した。

自殺願望の意識が芽生えたのは小学四年生頃であった。生きていることが楽しいという感情が、胸の中に見当たらなかった。

智世子は芳信叔父に預けてから三年余で変貌してしまった孝夫に驚いたが、息子の歪んだこころを抱き締めて氷解させる生活のゆとりはなかった。智世子はダンスホールのビルの、薄っぺらなベニヤ板やカーテンで間仕切りした大広間で孝夫と寝起きしたが、子供を育てる環境でないと考えたのか、三ヶ月ほど一緒に暮らすと、孝夫を十三(じゅうそう)にあるキリスト教系の養護施設に預けた。孝夫はそこから近くの小学校に通った。母親は孝夫を弟の芳信から養護施設へと橋渡しをしたにすぎなかった。

成人してからの孝夫は、母親のこころには子供を真実愛するというものが欠けていたのではないかと考えるようになった。いや子供だけでなく、自分以外の人間を愛することのできない人ではなかったかと考えた。

しかし他人に邪険な母親ではなかった。社交の上手な、相手への気配りの巧みな人であったが、それは母親が付き合える範囲内の人に対してであって、差別意識の強い母親は差別すべき人とは付き合わなかった。

ダンサーをしながらでも智世子はよく読書をした。円地文子とか伊藤整、丹羽文雄の単行本が整理箪笥の上に置いてあった。そして神社、仏閣を好んで散策した。一方で英字のゴルフ雑誌に眼を通し、月に一度はゴルフ場に出掛けた。

孝夫はいつだったか母のことで信和叔父に愚痴ったことがあった。すると叔父は苦々(にがにが)しい表情に憐憫の眼差しを浮かべ、
「そういうことを言うものじゃない。あん頃に女手一つで子供を育てることが、どげん大変じゃったか。おっかさんの身になって考えてやらんと、おっかさんが可哀想じゃ」とかばった。

叔父のこの言葉で孝夫はあとの愚痴は口にしなかった。

孝夫が養護施設を出て二間のアパートで智世子と一緒に暮らすようになったときに、智世子に男がいた。大手の商社の専務だった。鼈甲縁(べっこうぶち)の眼鏡の奥の、もの柔らかな眼差しを孝夫に向けて話しかけてくる紳士であったが、孝夫の気持ちは和(なご)むことはなかった。

母親の温もりを享受しないで成長した孝夫は、青年期になってからも、いつも寒々とした侘びしさと生きていることへの虚しさが胸に籠もっていた。そして人との関係にこころの温もりを感じる触手のようなものが退化していた。芳信叔父に預けられ、その後の養護施設に入っているうちに、孤独の殻を厚くし、死への思いは強くなった。

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『花の下にて春死なん――大山心中』



八雲立つ……14

2008-10-31 09:31:43 | 八雲立つ……

叔父の家そのものが恐怖であった孝夫は、学校から帰宅すると家に上がらずにランドセルを玄関先から放り投げ、そのまま一キロほど先の測候所のある森に出掛けた。

測候所は白いペンキ塗りの建物で、両側に緑の木立の坂道を歩いて二十分ほどの丘の上にあった。測候所の周辺は短い雑草の草原だった。孝夫はそこに寝そべり、白い雲の流れを見つめていた。あの雲のようにどこか遠くへ行きたいと、何度思ったことか。知らず知らずに涙が眼の端から流れ出た。

晩飯どきでないと家に寄りつかなかった。日暮れて家の近くまで帰ると、房江に見つかって家の中に引っ張り込まれた。
「何時だと思っているか!」

頭上に叔父の罵声が飛び、何発もの拳固を頭に喰らった。それでも我慢して立っていると、このことが憎らしいのか、不意に額を突かれて玄関に倒れた。
「晩飯は食わんでいい。勉強もせんで遊び惚(ほう)けている者に食わす飯はないけん」

叔父は孝夫を睨み付けたあと、四、五人が囲める朱色の塗りの丸い膳のある、電灯の暗い三畳間に引っ込んだ。陰気な明かりの三畳間では、叔父夫婦と祖母と妹の邦子が、黙々と夕食を食べていた。

祖母は食べているのを中断して、帰りの遅い孝夫を家の外で待っていたのである。孝夫は叔父に拳固を喰らうと自然と涙が零(こぼ)れたものの、頑固に自分から泣くことはなかった。涙の乾いた汚れた顔で太股を小刻みに震わせて玄関先に立っていた。

夕食の献立がすき焼きであったりすると、叔父は三畳間からわざとらしい大声で、
「今夜のすき焼きは旨いのぅ、邦子、もっと肉を食べんか。邦子は賢いが、お前の兄貴はアホじゃけん、こないな旨いもんは食べてもしょうがなか」とことさら声高に嘲笑(あざわら)いながら言った。

悔しさと哀しみが激流のように何度も何度も胸を衝き上げ、孝夫は息をするのが苦しかった。

芳信叔父の家の五右衛門風呂は土間の片隅に、真っ黒な巨大な深鍋のように据わっていた。五右衛門風呂の片側に洗い場の簀(す)の子が置いてあった。小学生の孝夫はこの風呂に入るのが苦手だった。中に入るとき、太股が黒い鉄に触れ飛び上がるほど熱かったし、中に浮かんでいる丸い底板を足裏でバランスよく沈めなければならず、これもひと苦労だった。足裏が片方に乗ると、底板はすぽんと抜けて浮き上がり、孝夫は熱い鍋底に直に両足を乗せてしまい、何度も慌てて飛び出した。

ことに嫌なことは真冬に、二十メートルほど離れた長屋の共同井戸に水汲みに行くことだった。三軒長屋の二軒は叔父の家になっていた。壁の仕切がなく家の中から行き来ができた。井戸端の家は郵便局に勤めていた人の家族が住んでいた。井戸はその人の家の石垣を奥に曲がった処にあった。井戸を挟んで長屋とは反対側には高い石垣があり、その上に裁判所勤めの夫婦が住んでいたが、ここの家は井戸を利用していなかった。風呂に井戸の水を使っているのは叔父のところだけだった。

井戸はトタンの屋根囲いで、奥まった場所に小さな祠(ほこら)があり、石地蔵が赤い涎掛けを首から垂らしていた。その脇に寒椿の濃緑の葉が祠に覆い被さるように繁り、寒気がしんしんと凍るつらい水汲みのときに、深紅の花を咲かせていた。雪が降り続いた日は、井戸の周辺や椿の厚みのある葉の上に、哀しみを蒼白く点すように雪が積もっていた。

石蕗(つわぶき)の緑が冷たく眼に凍(し)みた。

井戸端の床は凸凹のある四角い石が敷き詰められ、雨の日や雪の日、半分ほど井戸水の入ったブリキバケツを運ぶ孝夫のゴム靴をよく滑らせた。

五右衛門風呂におとなの肩先が浸かるほどに水を満たすには、何十回となく往復しなければならなかった。釣瓶(つるべ)で汲んだ井戸水をバケツに八分ほど満たし、それを両手で提げ、覚束無い足取りで運んでいると、バケツの水は波打ち、外に零れ、ズボンを濡らした。風呂に移すときは半減していた。

水汲みを終えないと夕食を食べさせてもらえなかった。釣瓶の先に括(くく)り付けられた小さなバケツが、井戸の側壁にガランゴロンとぶつかり、バシャと闇の水面に落ちるのを、孝夫はじっと眺めていた。何度も水を汲み上げていると手や足は凍り、汲み始めの頃の痛みが麻痺していた。それだけではなく意識というものが孝夫から遠ざかり、自分でない自分が無意識に水汲みをしている幻覚に囚(とら)われた。

三十分ほどかけて五右衛門風呂に三分の一ほど汲んだ頃、祖母が険しい表情で手伝いにきた。残りの三分の二は、孝夫が釣瓶で水を汲み、祖母が運ぶ役と作業を分担した。祖母が運んでいるあいだ、孝夫は放心した眼差しで祠の小さな地蔵や寒椿の花に眼をやっていた。冬の夕暮れ、寒さを感じなくなったこころは虚無に染まり、何処か遠くに自分が居るようだった。

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八雲立つ……13

2008-10-30 17:04:49 | 八雲立つ……

「芳信は先祖や爺さん婆さんの話になると気が狂うからいけん。母親の祟りじゃ、父親の祟りじゃ言うて、一体、わしが何をしたかね。わしは本家に養子に行き、本家を護るのに精一杯やったがね。戦争から戻ってきたら、母親と芳信で初代二代の焼き物や掛け軸を売り食いしとるけん、わしゃそれを膨れっ面の家内にも隠れて、給料をぼちぼち貯めては山陰のあちこちの骨董店なんか覗いて、買い戻したがね。わしの苦労もわからんで、突然包丁持って夜中に押し掛けて来るがね。わしも静子もその姿にぞっとするわね。あれはなんか思い詰めると頭がおかしくなるけん。わしゃ何度この土地におれんくらいの恥をかいたことか。情けないわね」

信和叔父はM市を訪れた孝夫に、きまって芳信叔父のことを愚痴った。この愚痴にも発展性はなく、前にも聞いたことがある繰り言が多かった。

芳信叔父の異常人格ぶりについては、孝夫は信和叔父の話を聞かなくともわかりすぎるほどにわかっていた。孝夫は小学校に上がる前から小学校の三年生の二学期末まで、芳信叔父夫婦の元に預けられた。妹の邦子はさらにあと二年間預けられていた。

結婚して間もない叔父夫婦は、いくら夫を肺結核で亡くした姉の子供とはいえ預かりたくなかったであろうが、母親の房江が智世子の身の上に同情して預かることになった。房江にとっては孝夫の母智世子は前夫との間に生まれた連れ子で、信和、芳信は再婚した分家弘泰との間に生まれた子どもだった。弘泰は孝夫が預けられる五年前に、六十二歳で病死した。

初代鳩堂は信和叔父の書いた伝記を読むと、文武両道に秀でた探求心旺盛な、気性の烈しい人であった。だからこそ後世に名を残す数々の作品を創出したともいえる。しかしその陰で涕涙(ているい)する家族があった。孝夫は初代鳩堂の古武士然とした、人の胸中を射抜く眼光の写真を眺めるたびに、人格の冷厳を思った。

初代鳩堂には長男信久、次男弘泰と二人の子があった。

二代目鳩堂信久が均衡のとれた柔らかさの大らかな焼き物を制作したのに比較すると、分家の弘泰は荒削りな自由奔放、豪胆な作品を手掛け、初代鳩堂に近似していた。容貌も二代目鳩堂が丸みのある温和な顔立ちであるのに対して、弘泰は細面の馬面で釣り上がった眼の眼光鋭い学者タイプであった。

房江も馬面であった。馬面の両親から生まれた信和、芳信も馬面で、癇癪(かんしゃく)持ちの芳信は、神経質な面がより父親譲りであった。

馬面に黒縁の丸眼鏡をかけ、縦皺を寄せた口を八の字に閉じていた大柄な房江は、孝夫には近寄りがたい祖母だった。持病の喘息でいつも両肩に嫌な匂いのする真っ黒な膏薬(こうやく)を貼っていた。孝夫はこの膏薬の貼り替えを手伝わされるのであるが、子供心に房江の渋紙色の冷たい肌に触れるのは怖かった。孝夫は祖母に温かく可愛がられたという記憶はない。

本家の鳩堂信久夫婦は子が産まれなかった。そこで信和が本家の養子になった。気性のきつい房江は、気性の烈しい次男芳信とその妻辰子に遠慮して暮らした。一つ間違えれば荒れ狂う芳信を怖れていた。そこへ連れ子であった娘の子供二人の世話をさせたのだから、遠慮も働いて、芳信の言動に房江は怯えていた。

孝夫が勉強を怠けたり悪さをすると、芳信が怒る前に房江が叱った。孝夫が芳信に折檻される前に自分が叱ることで、孝夫にその難を逃れさせたのであるが、孝夫は祖母の冷たい眼に爬虫類の眼しか感じたことがなかった。人肌の温もりで孫を包み込む人柄ではなかった。

祖母に庇(かば)ってもらったことも多いが、孝夫は何度も叔父から折檻を受けた。邦子は不思議とあまり夫婦から叱られなかったが、孝夫は叔父と視線が合うたびに叱られていた。孝夫の非を説き聞かせて叱るというものではなかった。金輪際許さないという尖った眼で、憎々しげに言葉の鞭で打擲(ちょうちゃく)するように叱責し、殴ったり突き飛ばしたりは日常茶飯事、晩飯抜き、真っ暗な中二階に押し込められ鍵をかけられた。念をいれての階段外し、ときには裏庭の土蔵に孝夫を押し込めて錠を掛けられた。

錠を掛けておいてから夫婦は楽しげな笑い声を家の前の路地に残して、自転車でパチンコ店に出掛けた。孝夫のすることなすことには厳格であったが、夫婦の生活は自堕落だった。

叔父が分別の見境もなく孝夫を叱責しているときでも、貧血気味の蒼白な顔の辰子は、孝夫を庇うことはしなかった。嫌な場面を目撃してしまったという不愉快な表情を露わに孝夫を睨み、そそくさと別の部屋に入った。叔父の家には妹の邦子を除くと、誰一人としてこころ許せる人間はいなかった。

芳信夫婦がパチンコに出掛けてから、房江が喘息の咳を苦しそうに吐きながら、
「悪いことするから怒られるのじゃ」とぶつぶつ言って、土蔵の錠を開けた。

非行といっても習字塾で隣に座っていた女の子のドレスに墨をかけて教室をやめさせられたことや、珠算塾で生意気な上級生の頭を算盤の角で殴って出血させたことであって、万引きはしなかった。歴代の天皇の名前、ジンム、スイゼン、イトク、コウショウを覚えられない、都道府県名と県庁所在地を北から南まで覚えられないからと、半ズボンの孝夫の太股や頭を竹の物差しで叩き、それでも覚えられない、こうしたことのすべてが、叔父からみれば孝夫の非行であった。

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八雲立つ……12

2008-10-30 13:43:01 | 八雲立つ……

「羨ましいな、若いってことが」
「ほんとに。私にもあんなときがあったのですが……もうオバさんになってしまい……」
「オバさんと言うにはあなたは若いですよ」
「暮らしに追われてばかりで、そうでもないですよ」

孝夫は佳恵が弱々しく微笑んでいるのを見た。佳恵は満開の桜のような顔色で、孝夫にはそのせいか春霞が懸かっているように想えた。昨日逢ったときは、一般の主婦が未知の男性に持つ警戒心が佳恵の全身に見えたが、きょうはそれが掻き消えていた。
「これからですよ。ぼくは女性には桜の樹のように、毎年花を咲かせて貰いたいと願っているのです」
「そんなことを考えておられるのですか」
「そう思って創作してますが」
「小説を書かれるのでしたね」
「いつまで経っても下手です」

孝夫のあとに付き従うように佳恵は店内を歩いた。
「聡実ちゃんにここで何かプレゼントしようか」
「そんなこといいですよ」

二階もある広い店内だった。そのうち聡実が小さな紙袋を提げて近寄ってきた。
「どれも高いよ」
「何買ったの?」
「写真立てみたいの。写真や絵葉書を中に入れられて、裏にオルゴールが付いている」
「いくらしたの?」
「定価四千円を二千五百円に値下げしてあった」
「そんな高い物を買ったの」

佳恵はびっくりしたような声で言った。
「いいの、いいの」

聡実は笑っていた。
「ぼくが聡実ちゃんに一つプレゼントするよ。そうだな五千円から一万円の範囲だ」
「おじさん、ほんと?」
「探しておいで」

聡実は喜んで、また奥に進んだ。
「申し訳ありません」

佳美は恐縮したように少し頭を下げた。それが孝夫には少女が恥じらっているように映った。

聡実が探してきた陶製の宝石箱オルゴールを、女の店員に包装して貰うと外に出た。
「京都市内や嵐山はまだまだ観るところがありますから、いつでも出てきなさいよ」

渡月橋を引き返しながら、孝夫は二人に言った。
「ありがとうございます」
「おじさん、今度来たときは祗園舞妓の踊りが観たい」

聡実が黒目がちの丸い瞳を向けていた。
「そうか、ぼくも観たことないが、都をどりをやっているかも。今度お母さんと来るとき予約しておくよ」

しかし佳恵は孝夫の妻が子宮癌を発病、入院したことを義父より聞いたので、その後は京都観光に出る機会を逸した。佳恵は聡実と二人だけで出掛けても楽しめないと思った。

翌朝、孝夫は列車の窓口まで見送ってくれた。プラットホームに立ってこちらに穏やかな笑みを浮かべた顔を向けている孝夫を眺めていると、佳恵はなぜか言いしれぬ切なさと淋しさの微風が胸に吹いているのを感じた。
\chapter{石蕗)
中年の頃は芳信叔父を鼻で嗤(わら)って相手にしなかった信和叔父であったが、加齢につれて気弱になったのか、芳信叔父への妄想と恐怖に取り憑かれ始めた。

若い頃の芳信叔父は気が狂ったようになると、大声で喚き散らし包丁を持ち出す人だったから、信和叔父が怖がるのは理解できたが、近頃は芳信叔父までが、信和叔父に強迫観念を抱いていた。

兄貴が何かの手段を行使して、自分を貶(おとし)めるのではないかと、時折かかってくる電話で神経質にびくついていた。お互いに相手が自分の生活圏に近づくことを極度に怖れた。

二人が取っ組み合いをすれば、軍隊と警察畑を歩み、剣道錬士、柔道四段、弓道四段の信和叔父のほうが強かったが、信和叔父が怖がっていたのは芳信叔父の腕力ではなく、狭い世間の好奇の眼のほうだった。

芳信叔父は自分の喉に包丁を突き立てるくらいのことをやりかねなかったから、信和叔父は自分の眼前でこのようなことをしでかす弟を怖れた。信和叔父にしてみれば、こんな弟は早う死にくされ、と獅子身中の虫と憎悪感を滾(たぎ)らせていただろうが、目の前で喉でも突かれたら、M市における信和叔父の名誉と信用は失墜してしまう。このことを怖がった。

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『花の下にて春死なん――大山心中』



八雲立つ……11

2008-10-30 09:09:39 | 八雲立つ……

それに年齢のこともあるのだろうか、信隆と孝夫とでは雰囲気がまるで違った。府警勤務の、体格の良い信隆は百貨店に入ってもいつもせかせかした足どりで、目的の品物だけ買うと、すぐさまそこを出るタイプで遊びごころのない人だったが、孝夫はこういう場所をゆっくり愉しむタイプに見えた。なによりも佳恵がくつろぐのは、自分をふんわりと包み込んでくれる包容力というかオーラーのようなものが感じ取れたことだった。

孝夫さんのそばにずっと居たら、どんなにか気が休まることだろうと想ったが、孝夫さんには奥さんがおられるので、そんな夢はとうてい無理なことだと、満開の山桜に眼をやりながら思い直した。

本堂からさらに多宝塔まで巡ると、あとは下りの道になった。風らしい風もないのに淡い色の花びらが、絶え間なくさらさらと散っていく。
「紅葉の時期も綺麗でしょうね」

佳恵は足元の敷き詰められた花びらに眼をやりながら言った。
「上も下も燃え立つ色に染まってますね」
「その時期に一人で来ようかしら」

孝夫の顔を意味ありげな笑顔で覗き見た。
「一人じゃ淋しい。来られるのならご案内します」

一瞬間が空いたが、孝夫は笑みで応えた。
「先生のお仕事は何年ほどおやりになったのですか」
「主人が亡くなるまででしたから十年近く」
「M市に戻ってからも続けようとはお思いにならなかったのですか」
「教員の職場って教員と生徒だけの世界、なんだかつまらなくなって。それと職員室は男女平等でしょ。待遇面で男性、女性平等はわかりますが、このことが意識面、女性教員の意識にまで拡大して、私が言うのもなんですが、がさつな女性が多いのです。そのことが働き始めて三年目頃から気付き、私には合っていない仕事だなと思ってました」
「そうでしたか」
「私も井口さんの眼にはがさつな女と映っているでしょ」
「いいや、そんな風には感じてませんが」
「それなら嬉しいのですが、一度染まると自分では脱色できないような」
「脱色か……そういえば信隆君には悪いが静子叔母はがさつな女性だ。叔父と結婚するまで小学校の先生していたせいかな。ぼくの母は嫌ってました」
「私もあまり好きになれなくて……」

孝夫は佳恵に笑みを浮かべた。

常寂光寺を出るとそこから小倉池の近くまで下がり、野宮神社に向かった。

黒木の鳥居を潜って境内に入ると、真っ先に聡実が、
「ここ縁結びの神さんなの」と声を上げた。
「そうだよ、聡実ちゃんに恋人ができますようにとお願いするところ」

孝夫は涼しい眼差しで応えた。
「まだ早いよ」

そう言いながらも聡実は、沢山の絵馬の掛かった場所に近付いた。
「『源氏物語』に出てきますでしょ」

佳恵が低い声で言った。
「賢木の巻にね」
「女学生で賑やかなこと」
「ここは修学旅行生のメッカじゃないかな」

聡実は社の受付でお守りを一個ずつ数個買っていた。孝夫は後ろ姿を眺めていた。
「お義父さんお義母さんへのお土産かお友だちに買っているのでしょ」

佳恵が言った。
「叔父叔母用に安産ですか、そりゃ無理じゃない」

と、孝夫が笑うと、佳恵もおかしそうに笑った。

桂川に掛かる渡月橋近くの観光客でたて込んだ茶店に入ると、三人は善哉を注文した。
「大勢の人ですね」
「春と秋はこんな風です」
「本当に楽しかった」

孝夫は聡実のために、渡月橋を渡ったところにあるオルゴール館を案内した。いつも中高生が一杯になっていることを知っていた。
「五百円くらいのがあったら美佳と智子に買う」と言って、聡実は鼻息荒い元気な素振りでどんどん中に入って行った。
「中一のときから付き合っている聡実のお友だちです」

聡実の後ろ姿を眺めながら、佳恵はそう言った。

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八雲立つ……10

2008-10-29 17:32:16 | 八雲立つ……

「何軒もありますが、清涼寺の中の湯豆腐どうですやろ」
「そうやね……佳恵さん、聡実ちゃん、湯豆腐でいい?」
「はい」
「携帯電話お持ちでしたら、予約いれときはったらどうです。十二時半頃で。電話番号はこのパンフレットに載ってますさかい」
「ありがとう」

広沢池を眺望できる場所で車は停まった。そこで三人は外に出た。
「染井吉野ですね」

佳恵は明るい景色を見回していた。
「そない混んでるほど桜の樹はないけど、この辺は田舎っぽい風情が残ってますので、いつもタクシーの運転手さんに停めて貰うんですわ」
「中秋のお月見する池でしょ――いにしへの人は汀に影たへて月のみ澄める広沢の池、と源頼政が詠んでますでしょ」
「観月の池はここですけど、その歌は知らなかったな」

孝夫は佳恵が中学校で国語と社会科を担当していたことを思い出した。
「向こうの低い山が鏡のように映っていて静かな感じ」

佳恵の眼に、明鏡止水の広沢池とその向こうの小山、背景になっている春霞に掛かったような白っぽい空が拡がっていた。
「観光客少ないね」

と、聡実が喋った。
「嵐山に行く車は別の道走るから、このコースはいつも人も車も少ない」
「枝垂れ桜ってこれ?」

長身の聡実は池の背後を振り向いて指さした。
「それ。桜の下にお母さんと立って写真撮ろか」

と、孝夫が言うと、聡実は素早く肩から提げた小物入れのバッグからデジカメを取り出して、孝夫に手渡した。昨夜円山公園で撮したデジカメだった。

佳恵は眩しそうな眼差し、聡実は眼を瞠るように見開いた眼差しで、孝夫のほうを見ていた。二枚シャッターを押すと、
「今度はお母さんとおじさん」

聡実が交替した。聡実と孝夫の並んだ写真も佳恵が撮った。そこへ白のワイシャツ姿のタクシーの運転手が近寄ってきて、
「三人一緒のとこ撮しましょか」

と声を掛けてくれた。
「記念撮影したので、食事に行きますか」

孝夫は二人を促して、タクシーの方へ歩いた。

運転手お奨めの湯豆腐料理の昼食を済ますと、そこから常寂光寺に向かって竹藪の多い畦道のような自然道を、肩に小型のリックを掛けた中年のオバさんグループの背後に随いて歩いた。スタスタと歩を進める健脚のオバさんたちね、と佳恵は思い、私もあと十年もすればこの仲間入りであることを想像して、ぞうっとした。

途中に浅緑の茂みに埋もれたような構えの芭蕉一門、向井去来の寓居跡、落柿舎があったが、そこはちょっと立ち止まる程度に眺めて、常寂光寺に急いだ。
「常寂光寺は石段と坂道が続いて、けっこう脚にきつい」
「お母さん、毎朝ウォーキングしてるから大丈夫よ」

聡実が笑顔で言った。
「そうなんですか」
「教師をしていたときに比べると、いまは事務の仕事で通勤も車だから、運動不足になりますでしょ」
「ああそうですね」

朱塗りの仁王門が見えた。
「ほんとだ。石段が見える」
「桜の樹が多そうですね」
「観光としては紅葉で有名ですが、中に入ると傾斜地に山桜が咲いてます」

三人は辺りの穏やかにぼわっと咲いている山桜を眺めながら、ぼちぼちと多宝塔へと上っていった。ここでも聡実は元気な足どりで先頭を切っていたので、佳恵は孝夫に寄り添うようにして足を運んだ。

男性とこんな風に歩いたことがあるかしら、と佳恵はふと思った。信隆と見合いをしたのも大阪、結婚生活も大阪の堺で、長男と長女が一年おきに生まれた。それからは学校の勤務と子育てに追われ、信隆と二人だけで野山を散策した覚えはなかった。

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八雲立つ……9

2008-10-29 13:09:35 | 八雲立つ……

「聡実さんにこういう趣味があるの?」

感心したような口振りだった。
「お義父さんが日本舞踊を習わせろと、それで小学一年から六年まで日舞の習い事をしてました」
「叔父らしいね」
「お義父さん、詩をお作りになるでしょ」
「下手な流行歌みたいなやつを」と孝夫は笑った。
「あらそんなこと言って叱られますよ」
「叔父は女遊びしているから、ロマンチックなところはあります」
「そうだったんですか」
「叔母との不和もこの辺に原因ありますけど、気性が全然合ってませんよね。よくあれで二人とも離婚もせずに夫婦をしていたものだと呆れますが」
「またそんなこと言って。辛辣ですね」

佳恵はおかしそうに腹から笑った。だがその感想は佳恵も同じだった。
「井口さんは女遊びは?」
「ぼくですか、ぼくはしないですよ」

佳恵の胸には義父に聞かされた言葉があったので、本当とは受け取れなかった。
「二人のあいだに立って、信隆、義典は苦労しただろうな」

孝夫がぽつんと呟いた。
「主人はあまりお義父さん、お義母さんのことは喋りませんでした」
「信隆は佳恵さんに聞かせたくなかったのでしょ。義典と違ってそれくらいの分別のある男でした。義典は駄目だ、静子叔母にすっかり洗脳されてしまって」
「……」
「このことが信隆のいのちを縮めたかなと思うことがあります。ところで聞きそびれたままになってるのですが、母親からは血の病気らしいと聞いたのですが、信隆の死因は何だったんです?」
「急性骨髄性白血病でした」
「厄介な病気だな。見舞いに行ったときは恢復するものと思ってましたが……」

聡実が店から出てきた。手に小さな紙バッグを下げている。
「何買ったの?」
「記念の舞扇」
「高かったでしょ」
「お祖父ちゃんがくれたお小遣い」
「そんなにも貰ってたの」
「記念に扇子買ってきなさいと」
「そうだったの」
「聡実ちゃん、優しいお祖父ちゃんやな」

孝夫は笑いながら口を挟んだ。
「私には優しい」

仁王門を潜って本堂に向かう境内のあちこちに桜が満開であった。そして観光客がうろついている清水の舞台から下を見下ろすと、辺り一面が白雲に蔽われているかのように眺められた。

三人は暫く欄干の前に無言で佇んでいた。

こんなところに立っていると、佳恵は信隆亡き後の十年の苦労が消失して、いま自分が聡実や孝夫とこうやって居る幸せを噛みしめた。

――そろそろ私も我が儘してもいい歳じゃないかしら……。

佳恵は胸の裡で呟いた。

     *

「きょうは混んでいるだろうね」

運転手の背後から孝夫は声を掛けた。
「どちらに行きはります?」
「常寂光寺の桜を観ようかと思ってるのやが」
「そんなら渡月橋を避けて嵯峨小学校の近くで停めます。そこから歩いて貰って常寂光寺でどないです」
「そうやね。あとは歩いて常寂光寺、野宮(ののみや)神社、渡月橋がええやろね」
「そないしはりますか」
「うん、その前に広沢池に十分ほど停めてくれる。枝垂れ桜観たいので」
「池の茶屋の枝垂れですな。よう咲いてますわ」

五条坂で拾ったタクシーの、中年の運転手は納得した態度で車を走らせた。
「嵯峨小学校の近くで食事するところありますね」

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八雲立つ……8

2008-10-29 08:09:39 | 八雲立つ……

孝夫は隣室だった。
「お母さん、やっぱり京都は違うね」

窓から京都の大通りがまっすぐに伸びた夜景を眺め、聡実は一人はしゃいでいた。
「やっぱり京都の桜はええわ。円山公園のライトアップされた枝垂れ桜なんか桜のお化けや。高瀬川沿いの夜桜もええ感じやった」
「お化けいう褒め方はないわ」

着いた当日、孝夫はレストランのフルコースのディナーのあと、タクシーで円山公園に行き、それからまたタクシーを走らせ河原町で降りた。そこから坂本龍馬・中岡慎太郎遭難跡の石碑を見て、夜の繁華街を高瀬川沿いに歩いてきた。華やかな夜桜があちこちに眺められ、佳恵はこころが浮き立ち、別世界に来た思いだった。
「京都にはよく来られるのですか」

佳恵は女性の方と、と言うところは胸に呑み込んで言った。
「この辺りはめったに……ほとんど嵯峨野、嵐山やね。明日は嵐山から金閣寺を案内します。ぼくのホームグラウドだから」と言っていた。

窓近くに佇み、佳恵も大通り筋を見下ろした。
「ぼんやり明るいところが清水寺?」
「方角からみてそうやな」
「午前中清水寺行って、それから嵐山に行きたい」
「観光客で一杯よ」
「私らも観光客やないの」

聡実の気持ちに感染したのか、夜の京都に、佳恵はロマンチックな何かが起こることを期待するこころになっていた。

――しかしこの娘(こ)がいたら無理な話やなぁ。
「お父さんの従兄弟にあんな感じの人がいたって信じられない」
「あんな感じってどんな?」
「優しい」
「子供のときからいろいろと苦労されたから、優しいのかもしれない」
「どんな苦労?」
「養護施設に入っていたとか」

佳恵は義父から聞いていたことを言った。
「へぇそうなの。養護施設って親のない子を預かるところでしょ」
「親があっても一時的に扱ったりすることもあるのでしょ」

義父の話では、孝夫さんは芳信さんのところに小学一年生から三年生まで預けられ、それから大阪のお母さんのところに行ったが、一緒に暮らせる状況でなかったので、一年ほど養護施設に預けられた。芳信のところにおるあいだにあれが孝夫に暴力振るうから、孝夫のこころがねじ曲がって、芳信でさえ手がつけられんようになって、いきなり大阪に連れて行きよった、と義父は説明した。

そのとき義父は、孝夫は女に手が早うていけん、姉さんが嘆いていたけん、と渋い顔付きで呟いた。

――手が早いとはどういうことだろうか……。

佳恵は胸に熱く妄想めいた気分が立ち昇ってくるのを感じながら、ずっと忘れていたその言葉を思い出した。

     *


翌日、朝食を済ますと、聡実の願いが叶ってタクシーで清水寺に向かった。五条坂の十字路で降りると、そこから坂道を清水寺境内まで上っていった。左右に土産物店の並ぶ狭い通りはすでに観光客で混んでいた。店先から若い男や女の店員が、観光客に明るい声を掛けていた。

聡実は先に立って、一軒一軒土産物店を活気のある顔で覗き込んでいた。

その後ろを孝夫と佳恵は肩を並べて歩いた。
「主人が亡くなってからは、一度も大阪や京都に出てくることがありませんでした」
「そうでしたか」
「家族旅行らしいこともしないできました」
「よくがんばって子どもさんがたを育てられましたね」
「お義父さんからの援助もありましたので、なんとかやってこれました」
「叔父が援助するのは当然のことですよ」

先を歩いていた聡実が近付いてきた。
「そこのお店に入ってもいい?」
「いいけど、お友だちへのお土産だったら嵐山でも買えるわよ」
「うん、ちょっとだけ」

そう言うと金箔に絵柄の京扇子の飾ってある店に入った。

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八雲立つ……7

2008-10-28 17:23:44 | 八雲立つ……

     三章 山桜


佳恵は孝夫からの電話を切ったあと、キッチンのテーブルの前に腰を下ろし、コーヒーメーカーで淹れたコーヒーを一口、二口すすると、お義母さんは孝夫さんに電話連絡しなかったのかと、思案顔になった。お義母さんは、あの通夜で孝夫さんが義典さんの頬をぶったことにいまもこだわっていたのだろうか。

佳恵は信隆の葬儀のあと暫くしてから大阪を引き払い、M市に戻ったある日、義母に訊ねてみたことがある。
「あんときは信隆が死んだことで義典も私も孝夫さんも頭がおかしなってたわね。私も義典もあのあとは孝夫さんのこと悪う思っちょりはせんわね。まあ孝夫さんは子供の頃から主人の味方じゃけんど」

やや孝夫に皮肉混じりの口調であったが、いつもの人を食ったようなくつくつした眼で笑った。佳恵は義母の無神経な目付きが好きになれなかった。

静子の笑い方はどこか人を小馬鹿にした薄ら笑いのように思え、佳恵には印象が良くなかった。こんな笑い方はお義父さんとの関係の中で作られたものなのか、子供の頃からのものなのか、と佳恵は思うことがあった。そしてこの笑い方を信隆さんや義典さんも時折見せることに、M市に戻ってから佳恵は気付いた。

あるいは義典さんの葬儀を手早く終えたかったお義父さんのほうが、お義母さんに連絡することを止めたのかもしれない。

小野一族のことはいまだにわからない。そんな私が出しゃばって孝夫さんに連絡したらお義父さんは渋面を作り、お義母さんは眉を顰(ひそ)めて困惑顔になったかもしれない、と一口サイズのミニドーナツを口の中で噛みながら、思った。

孝夫さんのお母さんのところには三月(みつき)、四月(よつき)に一度は信隆さんと車で訪ねていた。その頃孝夫さんのお母さんは、T市の大規模団地で一人暮らしをされていた。

品もおしゃれっ気もない、田舎の人間丸出しのお義母さんに比べると、孝夫さんのお母さんは都会人だった。それに難波の宗右衛門町でダンサーをしたり、難波球場の近くでバーをしていたキャリアから、一般の主婦とも雰囲気が違っていた。私がお母さんにお目に掛かった頃は、こうした仕事はお辞めになり、小唄の師匠と団地内の社交ダンスクラブの会長をされていたが、と佳恵は当時のことを、孝夫の電話の声に誘引されて回想していた。

お義父さんは、孝夫と邦子は苦労しとる、と、孝夫さん兄妹についてそんなことを喋っていた記憶があるが、どんな苦労をされたのかは私は知らない。そう言えばお母さんの団地を訪ねた帰路、信隆さんも何度か孝夫さんのことを喋っていた。

それは孝夫さんが中学一年、信隆さんが小学四年、義典さんが二年生の夏休みの時期のことだったが、孝夫さんと川遊びしていたことなど話してくれた。
「子供の頃の義典は泣き虫でちょっとしたことで泣く。そして戻るとすぐ母親に告げ口するから、孝夫さんとぼくで義典をいじめては母親に叱られた」
「孝夫さんも一緒に?」
「孝夫さんは弱虫、泣き虫は嫌いなんや。親父と似てるとこがある」

佳恵は孝夫と何度逢ったかを指折り数えた。私と信隆さんの結婚式、義典さんの結婚式、信隆さんの通夜と葬儀の二日間、信隆さんが亡くなった翌年、その後間(あい)が空いて五年前の夏、このときの孝夫さんはお友だちの車で来られ、先に墓参りされてから立ち寄られた。友だちを車に待たせてあるからと、三十分ほどの慌ただしい訪問だった。

これから美保関に寄ってから隠岐に渡ると言っていた。

それとこれはちょうど三年前、長女の聡実が中三の春、京都の桜を見たいと言うので、二泊三日の京都旅行したときだった。そのとき孝夫さんがずっと付き添って案内してくれた。

信隆が亡くなって十年、佳恵は四十四歳、三人の子育てのために必死に働き、女盛りの空閨を耐えてきた。男性との交際でもあると、小野家も佳恵の実家もM市に親戚縁者の多いところだけに、すぐさま両方の父親に知られてしまう。とても男性との交際を考えたりする気持ちの余地はなかった。気持ちにブレーキが掛かっていたこともあって、惹かれる男性も近くに見当たらなかった。

京都駅に孝夫が出迎えてくれたとき、これまで親しい付き合いがなかっただけに、佳恵は緊張していた。しかしわずか三日間の交際であったが孝夫のソフトな物腰の応対に、二日目からしだいに心身の緊張が解(ほど)けていき、聡実がそばにいなかったら、あるいは二日目の夜に孝夫によろめいていたかもしれなかった。佳恵はそのときの自分の不思議な感情を思って、微かに顔に火照りを覚えた。

年長の孝夫には、私のこころを弛(ゆる)めてしまう、何かが感じられた。そのことで佳恵は、躯というのかこころというのか、そのどちらとも分かちがたい奥底に、苛々した渇きのような焦燥が渦巻いているのを感じた。M市を離れ、知った人間と出会う確率が低まった開放感からのような気もしたし、女として生きる期間が短くなった年齢のせいかとも、孝夫と桜の名所を巡りながら思案していた。

二泊するところは孝夫が仕事のために会員制ホテルとして利用していた、駅構内の、M市には見られない高級ホテルだった。
「JR利用する場合、ここを起点にできるのでなにかと便利なものだから」

孝夫は言い訳めいた口調だったが、明るい笑顔だった。

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