鯉のぼり 屋根より高く 泳がむと
中村梅士 Baishi
今日は「子どもの日」、端午の節句はおよそ一か月後
の夏空である。
鯉幟は、絶滅危惧種のように、屋根より低く生息して
いるかのような時代になった。
せめて神社の境内に鯉幟を上げてやってはいかがかと
思う。
日本の伝統だからである。
神社にもイノベーションが必要なのではないか。
皇室の存続は、潜在する最高権力では難しい。
大東亜大戦での敗北、天皇の人間宣言、その後の特別
公務員化、生前退位宣言と、その権威は地に落ちている
からである。
その権威を回復する言動も失われている。
皇室の活路は、日本国の伝統を代表すること、英霊を
祀る最高権威であることに求められるべきであろう。
そのためには、天皇の靖国参拝の詔、皇居の遷宮、神
社が伝統文化を護ること、さらには、全国の神社が靖国
公式参拝をして英霊を祀ること、そういうアシストをす
るべきである。
神社に鯉幟が上がらないことは、神社と皇室が分離さ
れていることを容認するものともいえる。
皇室を離れて、神社の存在意義があるのか、よくよく
考えてみることだ。
高天原の社であることを再認識することだ。
ただのお稲荷さんでは、ご利益信仰に堕していると言
われても仕方あるまい。
天皇を日本伝統の文化的象徴とすることは、神国日本
の象徴である。
政教分離と言うならば、皇室の公務員化ではなく、皇
室の独立と最高神官としての職責を認めるべきである。
そうした運動を、神社がやらなくてどうするのか。
権威ある幸福の科学会員として、神社本庁にも提言
したい。
日本独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party