悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

ボランティアと手弁当

2017-10-21 23:11:39 | 雑記

今朝の新聞記事に”「千年村」を探せ”という記事が載っていた。東日本大震災を契機に、
千年続く地域、集落はどんなところかを探ろうという取り組みが始められたそうである。
これも興味を引く内容であるが、私の関心は別のところにあった。
この活動を担ったのは、多くの学生や教員であった。取り組みは手弁当であったという。

ボランティアの発生時には多くが同じ経過を辿る。何とか今の状況を知りたい、変えたい、
というとき、活動費は、弁当代はという声はまず出ない。
状況が知れてきて、初期の目的が成就し、その活動を維持する段階になると、継続のため、
後続部隊が働くためには、手弁当では済まないということになるのが常である。
初期の熱を持たないメンバーが増えてくると、”ただ働きか?!”という意見がでてくる。
だが、その活動に継続の必要性があれば、諸経費を見込んで、維持費を稼ぐという動きも、
必要だろう。
だが、現状を分析し、出せる金なのか、まだ、窮状が続くならば、むしろ現況を公開し、
初期に立ち戻って手弁当をお願いすることもあり得ると思う。
情報公開を端折って、人は金を出さなければ働かないと、高を括って人を見るのはどうか。

私の知るある会では、年度末には常に残金がなかったので、最初はまったくの手弁当。
次第に会員も増え、総会の席上で”必要経費は出したら”という声が上がり、交通費を支給。
でも、数年は弁当代は支給しなかった。また、総会で声が上がり、弁当代500円を支給に。
いずれも、総会の翌年から規約と予算書に計上し、支給するという経過を辿ったそうだ。
それがいつの間にか、規定外の経費を支給し赤字に、さっそく会費の値上げをしたと聞く。
基本を蔑ろにすると、組織は脆い。あっという間に不明金が出て、会費の値上げに転じる。
他山の石としたい

今日は、病み上がりだったが、予定通り取手の例会に参加した。
歩行距離12kmということであったが、電車の中で、ある人が13kmはあると思うと言う。
測ってみると、まさに13km。12kmというのは、会員外は解散という歴史民俗資料館まで。
そこから駅まで1kmと少しあった。13kmとすべきであろう。
私の四万キロ認定には、13kmを採用し、IVVは主催団体認定の12kmを採用する。

  

天心邸にて~六角堂が流されたとき、縁側まで海水が押し寄せたそうである

六角堂からのながめ