【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「その日のまえに」:松江第一中学校前バス停付近の会話

2008-11-08 | ★錦25系統(葛西駅~錦糸町駅)

さっきからポカンと空を見上げてどうしたの?
いや、その日のあと、ナンチャンはどういう気持ちで空を見ていたんだろうな、と思ってさ。
その日のあとって、「その日のまえに」の、その日のあと?
そう、重松清の小説を映画化した「その日のまえに」の、その日のあと。
映画の中で夫・南原清隆が愛妻・永作博美を病気で亡くしたあとのことね。
あの映画の中で、永作博美は自分が死んだあとも残された家族を元気づけようと、部屋の壁にせっせと空を描いていた。この空のように青い空を・・・。
そして、飛行機雲を飛ばすんだ、って笑ってた。
余命わずかだっていうのに、夫や子どもたちの前ではいつも笑顔で。
けなげだったわねえ。
お前と違ってな。
って、あなた、いつも一言多いのよ。
あの映画を観て以来、俺は空を見るたびに永作博美を思い出しちゃうってわけよ。
若いころにはパッとしなかっったのに、「人のセックスを笑うな」とか、ここに来て急にブレイクしちゃってエド・はるみみたいな存在ね。
あれ、お前、ひょっとして永作博美に嫉妬してない?
してない、してない。それより私は、ナンチャンが印象深かったな。コメディアンがシリアスな役を演じると、どうしていい具合に哀愁を帯びてくるのかしらね。
そこはかとない哀愁具合がいいんだよな。ちょっと硬い感じもしたけど、深刻な表情をするわけでもない自然体が、いっそう胸に迫ってくる。
監督は大林宣彦。考えてみれば、「異人たちの夏」でも当時コメディアンだった片岡鶴太郎が名演技をしていた。
そう、そう。監督は、大林宣彦。だから単なる夫婦愛の物語にはならないだろうとは予想していたけど、今回は宮沢賢治を持ってきた。
セロ弾きのゴーシュみたいな人物も現れれば、銀河鉄道の夜みたいな場面もある。
重松清と宮沢賢治のコラボレーションみたいな映画になっていた。
いきなり、宮沢賢治の有名な詩「永訣の朝」から取った歌詞の歌を少女が歌ったりして。
映画のリズムを清らかな少女の歌声が刻むなんて、まったく大林ワールド全開だ。
少女の歌声って「時をかける少女」からリメーク版の「転校生 さよならあなた」に至るまで大林監督、大好きだもんね。
でも、重松清×宮沢賢治って言っても、重松清の世界の住人の主役夫婦と賢治の世界の結びつきは、いまひとつ強引じゃなかったか。
妻が宮沢賢治の本を持っていたくらいなもんかしら。
あと、妻の出身を強引に岩手、名前を強引に賢治の死んだ妹と同じ、とし子に変えてるあたりか。
宮沢賢治の世界は生と死の間にある、っていう意味では、たしかに「その日のまえに」のテーマとリンクしてくるんだけどね。
その結びつきが、この映画の大林監督なりの出発点だったんだろうな。そこから発想しているから、「その日のまえに」のエピソードを無理やり宮沢賢治に結びつけたような部分ができちゃった。
でも、まあ、そのおかげで、お涙頂戴の難病ものにならずに、大林宣彦らしいおとぎ話風の映画になったともいえるけど。
悪くはないさ。こういう青空を見るたびに思い出す映画になった。
ここに飛行機雲ができてたら完璧だったけどね。



この記事、まあまあかなと思ったら、クリックをお願いします。



ふたりが乗ったのは、都バス<錦25系統>
葛西駅前⇒長島町交差点⇒葛西中学校前⇒新川橋⇒三角⇒船堀七丁目⇒陣屋橋⇒船堀中組⇒船堀小学校前⇒船堀駅前⇒船堀一丁目⇒松江第一中学校前⇒東小松川小学校前⇒東小松川二丁目⇒東小松川一丁目⇒京葉交差点⇒小松川警察署前⇒小松川三丁目⇒中川新橋⇒浅間神社⇒亀戸九丁目⇒亀戸七丁目⇒亀戸六丁目⇒水神森⇒亀戸駅通り⇒亀戸一丁目⇒江東車庫前⇒錦糸町駅前