【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「接吻」:東駒形一丁目バス停付近の会話

2008-08-20 | ★門33系統(豊海水産埠頭~亀戸駅)

駒形橋っていえば、有名な句があるな。
何?
「君はいま 駒形あたり ほととぎす」。吉原の花魁が恋しい人を待ちかねて詠んだものらしいぜ。
へえ。あなたにしては、珍しく艶っぽいこと、言うのね。
珍しく、とは何だよ。男女の仲なら俺にまかせておけっていうの。
お、そうきたか。じゃあ、聞くけど、万田邦敏監督の「接吻」の男女はいったいどういう関係なのよ。
陰惨な殺人で刑務所に入った男をテレビで見ただけで好きになってしまう女の話だろ。あ、同類!って思っちゃったんだな。広い世間にはそういうきっかけで始まる男女関係もあるだろうさ。
何、それ?説明にも何にもなっていないじゃないの。テレビで見ただけであそこまで執拗に追いかけるなんておかしくない?結婚まで迫るのよ。
おかしくない。韓国映画にだって刑務所の中の男に巷の女が惚れるという、同じようなプロットの映画があったぜ。
キム・ギドク監督の「ブレス」でしょ。たしかに似たようなシチュエーションの話だけど、あっちは刑務所の面会室であーんなことやったり、こーんなことやったり。現実にはありえないようなとっぴな話だった。それに比べると、「接吻」は結構リアリティのある描き方をしていたわ。
いやいや、「接吻」だって、現実には刑務所の中であそこまではさせないだろうと思ったけどな。
ラスト・シーンのことでしょ。現実的とか何とかより、あの面会室の中の衝撃的な展開は何なのよ。あれは、いったいどう受け止めればいいの?
女の思いが男の思いを越えちゃったってことだな。自分のものにするにはもうああするしかないっていう、へびのような女。言ってみれば、あの女は現代の阿部定なのさ。こわっ。
それで終われば、あなたが言うとおり、広い世間にはそういうこともあるだろうで済んでいたかもしれないけど、本当の衝撃はそのあとの展開よ。
俺もああくるとは思わなかったけど、そうやって女という生き物は新しい獲物を見つけて生き延びていくのかと思うと、背中が凍ったね。
その“女”っていうのは、映画の中の女?一般的な女?それとも、ひょっとして私のこと?
それは言わぬが花だろう。
あ、いきなりフェミニストのふりして。やーな男。
その得体の知れない女を小池栄子がハード・ボイルに演じていて最高だったね。
そう、そう。情緒纏綿っていう感じゃないのよね。なんか乾いてる。男のほうの過去は結構説明されるのに、女のほうの過去はほとんど説明されないからかしら。
手玉に取られるのが、豊川悦司、仲村トオルっていうんだから、贅沢だ。上出来なスリラーを観たような感触が残る。
「君はいま 駒形あたり ほととぎす」なんていう悠長な世界ではなかったわね。
いいように操られる情けない男にしてみれば、「君はいま 刑務所あたり トホホすぎ」って感じかな。
うーん、意味わかんない。いつものあなたに戻ったわね。



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ふたりが乗ったのは、都バス<門33系統>
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