【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「天安門、恋人たち」:緑一丁目バス停付近の会話

2008-08-06 | ★門33系統(豊海水産埠頭~亀戸駅)

国技館が近いせいか、ここライオン堂は、超ビッグサイズの衣類が並んでいるので有名なのよね。
超ビッグサイズなんて、中国みたいだな。
中国は、土地が広いだけでしょ。
そんなことは、ない。中国映画ほど心に沁みる映画はない。
そうかしら?
たとえば、「天安門、恋人たち」。庶民を主役にすると、どうしてああいうしみじみと懐かしい映画ができあがるのかな。
そう?予想どおり、陰々滅々とした恋愛映画だったけど。いい加減、中国映画かぶれはやめたほうがいいんじゃない?
とーんでもない。こういう映画を観ると、俺がなぜ中国映画にひかれるか、わかるような気がするね。
大学時代に知り合った恋人たちが、卒業してからも相手を忘れられずにうだつの上がらない人生を送るなんていう暗い話、いまどき、はやらないわよ。
そこだよ、そこ。日本じゃあ一昔も二昔も前のことになってしまったような話を、中国映画はいま見せてくれるんだよ。
だから?
「天安門、恋人たち」だって、80年代から90年代の話なのに、日本映画でいえばまるで70年代の映画みたいな雰囲気の映画じゃないか。
まあ、題名にもなっている天安門事件は、日本の学生運動みたいに描かれていたけどね。
題名が大仰だから、天安門事件の全貌に迫る政治的な映画だと勘違いする人がいるかもしれないけど、たまたまあの事件の場に遭遇してしまった学生たちの物語で、運動に挫折したっていうわけじゃなく、あの時期の個人的な体験が自分の中では大きすぎて、大学を出てからは抜け殻みたいな暮らしを続けてしまう。
渦中にいるときは悶々としても、過ぎてしまえばみな美しいって?
わかってるじゃん。
そういった、青っぽい悩みや不安を辛気臭く描くのよねえ。
それこそ、70年代の日本映画みたいで、ただひたすらに懐かしい。
古い映画が好きだってこと?
いや、ああいう映画こそ、正しい青春映画なんじゃないかと思うわけよ。自信も愛もなく、あるのは自意識過剰と自己嫌悪だけ。客観的にみればグダグダ暮らしているだけにしか見えないのに、本人は本気で悩んでる。お前だって、そういう青春を送って来たんじゃないの?
そりゃ、否定はしないけどね。
白眉は、なんといっても、天安門を逃れて夜の町をさまよう男女4人の姿を延々と描写したシーンだな。
ただ、夜の街を歩いているだけだけど。
最初は気分が高揚して盛り上がっているのに、歩いているうちに、だんだん、だんだん熱が冷めてきて青春時代の終焉を悟るように4人の顔が不機嫌になっていく。ああ、映画だなあって感じるのは、なんでもないんだけど、大切な時間の終わりを感じさせるような、ああいうシーンに出会ったときなんだよ。
それだけのために、2時間20分は長すぎない?
長すぎない。ここライオン堂で売っているズボンの裾が長すぎないのと同じように、世の中には必要な長さっていうのがあるんだ。
そう熱っぽく語られても、私にはちょっと退屈だったけどなあ。
それは、お前の青春が退屈だったからだ。
そこまで言うか?


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ふたりが乗ったのは、都バス<門33系統>
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