【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「再会の街で」:深川五中前バス停付近の会話

2007-12-26 | ★東16系統(東京駅~ビッグサイト)

近ごろはボーリングのピンがある建物もどんどん消えているわね。
時の移り変わりを感じるよな。グダグダとボーリング場でとぐろを巻いていた同級生たちとも、いまや離れ離れだ。
町で偶然会ったときの変わりようにびっくりさせられることもあるわよね。
そうそう。クラスで一番成績のよかったやつが大学院に行ったばかりに仕事にあぶれて家でブラブラしていたり、いつも問題を起こしていたバカが金融系の仕事が当たって大もうけしていたり。
世の中、一寸先はわからない。
そんな人生の機微を感じるアメリカ映画が「再会の街で」だ。
いえいえ、「再会の街で」は、そんな生易しい話じゃないわよ。久しぶりに会った大学時代の友人が、9.11の事件で家族を一瞬に失ったばかりに心が廃人同様になっていたっていう話なんだから。
9.11で妻子をいっぺんに失った男をアダム・サンドラーが演じ、彼の大学時代の友人をドン・チードルが演じている。
とても誠実にね。
あの事件から6年。9.11を扱った映画といえば「ワールド・トレード・センター」とか「ユナイテッド93」とかがあるけど、ああいう風に直接的に事件を描いた映画じゃなくて、残された人々の姿をじっくり描いた映画というのは、まだあまりないんじゃないか。
事件が人々の心の奥に与える影響を冷静に描くには、それだけの時間が必要だっていうことなんじゃないの?
ベトナム戦争のときも、心への影響を描いた映画が登場するまでは、結構年月がかかったもんな。
でも、9.11映画ととらえなくても、大事な人を失って心を病んだ人がその痛みをどう癒していくかを描いた普遍的な映画として、十分見ごたえがあったわよ。
亡くなった妻の両親がありし日の写真を見せようとすると、彼は大暴れして、両親に言う。「そんな写真を見なくても、街を歩けば全員が妻の顔に見えるんだ」と。
息詰まるひとことよね。
一方的に励ましたりするんじゃなく、その人の悲しみに寄り添えってことだよな。
とにかく、最初はほんのささいなことでも事件に関係のあることを話題にしただけで拒否反応を起こしていた主人公が自分の口から家族のことを話し出すまで、友人はただ寄り添うことしかできない。
というか、寄り添うことが一番の励ましなんだよな。アダム・サンドラーがどう回復していくか、という以上にドン・チードルのような周囲の人がそれにどう気づいていくかっていう映画でもある。
しかも、寄り添っているうちに、自分の心の中にある痛みも回復していくっていう展開が素晴らしいのよね。それがあるから、誰もが他人事としてではなく、自分のこととして映画を捕らえることができる。
それにしても、アダム・サンドラーが乗り回しているあの立ち乗りスクーター。スイスイ走れて、あれ、いいなあ。
日本じゃ、道交法違反になるんじゃないの?
そうかな。これだから島国は困るんだよなあ。アメリカに移住しちゃおうか。
そんなことしたら、あなたの同級生はびっくりすると思うわよ。”Today is not Monday."を「東大なんか問題じゃない」って訳してた英語音痴がアメリカに渡ったって。
そんな古い話をするなよ。無神経に昔の傷に触れてはいけない、っていうのがこの映画の主題なんじゃないのか。
うーん、傷の質が違うと思うけど。
たしかに。


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ふたりが乗ったのは、都バス<東16系統>
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