幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

怒りが我が身を亡ぼす 戦国武将(石田三成&福島正則)

2014-05-16 01:38:12 | ブログ

戦国女人抄おんなのみち」 佐藤雅美著

戦国の世に翻弄された何人かの女性の生涯を描いた作品です。戦略結婚のために嫁がされたり、離縁されたり、夫を殺されても生きて行かないと行けなかったり、そして次の戦略結婚で何度も結婚と離縁を繰り返えしました。その中でも、したたかに生きた女性、意志を貫き通した女性がいました。

秀頼の忘れ形見が鎌倉東慶寺の尼となり復習、夫を餓死させられた満天姫の恨みと運命、夫への愛を貫きとおしたガラシアの娘、奔放に好き勝手に生きた猛女おごう(秀忠の側室で家光の母)など7編が取り上げられています。

その中で、登場してきた石田三成は、関ヶ原の戦いの西の首領として反徳川をまとめました。三成は優秀で晩年の秀吉の右腕でした。そんな三成も怒りのために大きなミスを犯します。いずれ大決戦が行われるとわかっていながら、細川忠興(徳川側へ)への憎悪が強く、丹後の留守城(父細川幽斎が500人で守り)に15,000人の兵を差し向けました。結局、関ヶ原の戦いまでに城を落とすことができずに、その兵力が関ヶ原に参戦できませんでした。その15,000人の兵がいれば関ヶ原の戦いもどうなっていたかわかりません。洞ヶ峠を決め込んでいた裏切った武将も態度が変わったかもしれません。

福島正則は石田三成への憎悪から徳川に加担します。福島正則は秀吉の子飼の武将です。小さい時から秀吉が面倒をみてねね(秀吉の側室)の下で育ちました。徳川側に付くことが、秀吉を裏切ることになるとは思わず、石田三成を撃つことだけだったようです。結局、徳川の治世が安定すると、徳川から難くせをつけられ領地が没収されました。同じく、秀吉子飼の加藤清正、加藤嘉明も領地が没収されました。

人を憎むことはあるかと思います。その憎しみが大きいために、重要な判断を間違うことにもなるようです。

仏教に”三毒”があります。ウィキペディアより

三毒とは、仏教において克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、すなわち(とん・じん・ち)。じんが怒りの気持ちです。

三毒は結局、自分を毒していることになります。

煩悩は避けて通れません。煩悩に気づいたらそれへの対処をすることが大きな過ちを避ける方法なのかもしれません。