幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

教えるは身に付く学び 離すは掴むための第一歩 

2014-05-31 00:29:42 | ブログ

セミナーの講師を担当しました。これで4回目です。Webサイトを立ち上げ、これまで仕事を通して学んだことを掲載しています。私の経験が少しでも他の方のお役に立てばとの思いからです。

Webに多くの”知”を掲載したところ、セミナー会社の方が私のWebサイトを見られ、セミナーの講師依頼が来るようになりました。依頼されるテーマについては自信のないものもありました。アンパンマンのやなせたかしさんは、自分が経験していないお仕事も引き受けられた知りました。私もその生き方から学び、出来る限りお引き受けするようにしました。幸い、Webサイトには様々な情報があり、私の弱い箇所も学ぶことができます。資料作成はもう一度勉強しながらなので、かなり時間がかかります。終わってみると、そのテーマに関して多くのことを知ったことを実感しています。今回のセミナーでは多くのご質問をいただきました。そのご質問に答えることでまた学びました。

(チンパンジーやオラウンターを生け捕りにする方法)
土を固めて小山を造り、そこに手がはいる小さな穴を造る。

穴の先に好物のバナナを入れておく。
それを見つけたチンパンジーは中に手を入れてそれを掴む。
しかし、掴んだら引っ張り出せないような大きなの穴。
手を離せばすぐに手を出せるのにチンパンジーはキーキーとわめいている。
そこを捕獲する。

離せば手が自由になるのに離さずにいるので、自分が捕まってしまいます。

手を離すからこそ、自由になり新しいものを掴むことができるようになります。ただ、離す勇気が必要です。今あるものを棄てる(離す)勇気を持てるかどうか。今までの継続だと、今持っているものを維持できる安心感があります。新しいことをするとは、先ずは離して新しいものを掴むチャレンジでもあるように思います。離すから掴めるものが必ずあると信じて道を歩むかどうか。

60歳の定年退職扱いで辞めました。辞めなければ、65歳まである程度の収入と肩書がありました。辞めたことで失くしました。それまで部長として見ていた人の目も変わりました。その中でも変わった人、変わらなかった人がいます。変わった人は私のこれまでの行動の結果なのかもしれません。

失ったものも大きかったと思いますが、きっと離した(失った)からこそ得られるものがあると信じています。聖書の言葉「信じる者こそ救われる」を信じて、私の得て来た知識や体験が他の方に少しもお役に立てるように、牛歩の歩みですが一歩一歩前に足を出したいと思っています。




しずかちゃんとのび太の結婚 ロゴセラピーから二人の愛を考える

2014-05-30 01:31:24 | ブログ

愛と家族のロゴセラピー6」勝田茅生著より引用

夜と霧」の著者ヴィクトル・フランクルが始めたのがロゴセラピーです。フランクルはナチスの強制収容所で自らロゴセラピーを体験することで負けそうになる精神面を支えました。

ロゴセラピーでは、心(感情)と身体の上位に精神があると考えます。心と身体が病んでいても、精神が健全な場合があります。愛をこの精神、心、身体での愛についてフランクルは説明しています。

精神;人間に本来的 ;外の対象に向かう本来的。精神的な志向性

  相手の人間の中核にある精神的な人格を敬愛する気持ち。

心理;エロティック ;好きになる・惚れる

  相手の持つ性格に親しみを感じる。相手の話し方、表情・態度が好き。

身体;セクシャル  ;性的な衝動

  身体的次元での愛情。性的衝動。

精神レベルは、相手の人なりをよく理解して尊敬する。たとえば、相手がどんな人にに対しても親切でどんな時にも援助を惜しまない、自分の利益だけを追い求めずに社会に奉仕することに関心を持っている、という生活態度に惹かれる。

「愛は私たちに戯れの恋の相手精神的な人格を『見せてくれる』のです」フランクル

フランクルの言う『見せてくれる』という表現はには、二種類の意味があります。それは、その人が本当はどのような人かという現実の姿が顕著になるということと、まだ実生活には実現されていない「価値の可能性」を「先取りして」見られるということです。

「・・・つまり愛はまだ存在しないものを見て取るのです。愛は愛する相手が持つ価値の可能性を見て取り、これを理解するのです。また愛は精神的な観照の中で、愛する相手がまだ実現していない人格的な可能性として隠し持っているものを具体的に先取りしてみるのです」。

それは相手の中に潜んでいて、まだ外に向けて開花していない可能性を直観することです。スイスの教育者ベスタロッチの有名な言葉に、「誰かに対してよい影響を与えたいと思ったら、その人を愛することだ」と言うものがある。

しずかちゃんがのび太と結婚;

しずかちゃんがのび太の精神、心、身体のどこに愛情を見出したかと言うと、のび太の精神レベルに惹かれたのではないでしょうか。

しずかちゃんが結婚に迷って、お父さんに相談しました。お父さんは「あの青年は人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。それがいちばん人間にとって大事なことだからね」と言ってくれました。

ブログに上記を書いたところ、読んでくださった方から、もう一つのストーリーを紹介してくださいました。新旧の2作あるとのことです。

指輪?(大切な物)か何かをしずかちゃんが無くして、それを必死に探すのび太をお父さんが見てて、しずかちゃんもそれを見て、「小さい頃から何かあると必ず必死で助けてくれたのび太を思い出し・・」

フランクルは、心や身体レベルだけで惹かれた場合は、それが無くなったり、あるいは今の相手よりよい人がでてくると分かれて行く。一方、精神レベルで惹かれた場合は、愛は続くと説明しています。

しずかちゃんはのび太との結婚で、しずかちゃんのまだ出ていない良いところが引き出されるのだろうと思います。

付き合うことで、お互いが影響を与え、それによりお互いが学び合え、お互いが成長し、お互いがさらに精神レベルで成長することが、フランクルの言う”愛”のように思いました。


愛のある優しさ ロゴセラピー(勝田茅生著書より)

2014-05-29 02:07:04 | ブログ

フランクルの弟子 ルーカスのゼミナールの資料より

(「教育のロゴセラピー5」勝田茅生著)

エリザベス・ルーカスがイタリアでゼミナールを開いたときに、ある男性に出会った。この人には生まれたときから両腕がなかった。それでもこの人は、自分の障害をそれほど苦にしていなかった。というのも手の代わりに足を使って物を拾ったり、ドアを開け閉めしたり、文章を書いたりすることが出来たからである。ある駅で彼はルーカスの見ている前で、改札口でおもむろに靴を脱いだかと思うと、足で切符を機械に差し込み、それを自分のズボンのポケットに突っ込み、それからすぐまた靴をはいた。

そして、この男性は自分の子ども時代のことを話してくれた。彼がまだ幼かったころ、朝起きると母親がズボンとシャツを持ってきて、「どうやってこれを自分で着たらよいか、やってごらん」と言った。そして彼の兄たちが母親に、「お母さんどうして助けてあげないの、厳しすぎると思わない?」と聞くと、母親は目に涙いっぱい浮かべて言った。「こうするのが、彼を助ける唯一の方法なのよ」。

このお母さんは、自分の子どもが自分の力で何とかして洋服を着ようと一生懸命に努力しているのを間違った同情や甘やかしで、この子どもの精神的な強さを骨抜きにしなかったのです。子どもはこの母親の躾を通して、自分の力で何でもすることができるようになりました。健康な子どもをもつお母さんが、自分の子どもに対して保護過剰になったり、援助の手を差し伸べすぎたりするとき、このような聡明な母親のことを考えたいものです。

放任された子どもや、甘やかされた子どもは、何かを諦めるということを学ばずに育ってしまうのです。それが必要だとわかっていても、意味あることを実現するために自分の衝動や快楽への欲望を抑えられない人間になってしまうのです。そして、このような子どもたちは社会に出て自立していくときに、自分が不健全に育ってしまったということに気がつくことさえないのです。いろいろなことがうまく運ばないのは、いつも自分ではなくて、環境や周囲の人間のせいだと考えるからです。

感想;

子どものことが心配で、子どもが失敗しないように親が事前にいろいろ手伝うことがよくあります。そうすると子どもは失敗を体験しませんので、失敗した時、気持ちをどう対処するか、失敗をどう自分で責任を取るか、失敗後にどうしていくかを学ぶことがありません。

生きていると失敗はつきものです。失敗をしながら学んで行きます。親は目先の子どもの失敗を恐れて、子どもが失敗から学び、独り立ちして行くチャンスの芽を摘み取っているのかもしれません。親がフォローできる間に、子どもが失敗から学ぶ体験をさせることが必要なのでしょう。

 

 


もっと**があれば幸せになるのに 幸せとは?(ロゴセラピー)

2014-05-28 01:13:01 | ブログ

「教育のロゴセラピー5」 勝田茅生著より引用

「もっとたくさんお金があったらずっと幸せになれたのに」と考える人がいるとすれば、その人は仮に巨万の富が転がり込んだとしても、それほど幸せになれないはずです。

お金があればあるで、今度は「もっとハンサムだったら、もっと美人だったら今よりもっとましな相手と結婚できて幸せになれたと思う」と考えるようになるかもしれません。

仮にその人が整形手術を受けて素晴らしい顔立ちになったとしても、今度は別のことに不満の原因を見つけるでしょう。

「もっと素晴らしい教育をうけていたら、私の人生はまったく違っていただろう」という具合に、そのような人は自分に対する不満を周囲の生活条件のせいにしているのです。

 「人生を充実した気持ちで送るために必要な基本的な姿勢は何か」という問いに対する答えが、フランクルの学説の核心であると私は考えます。フランクル(「夜と霧」の著者)は自分の治療体験あるいは人生体験から3つのことを発見しました。

1)人間は誰でも「意味への意志」を持っている。

2)この「意味への意志」が充足されるときに、人間ははじめて生きることの充足感を味わうことができる。

3)人生の中ではいつもでも、どんなに辛い状況でも必ず何らかの意味を見つけることができる。

感想;

心配性の方は、Aという心配がなくなると、それまで顔を出さなかったBという心配が出て来ます。Bという心配がなくなると、次はCという心配が出て来るようです。

幸せも同じだということでしょう。先ずは、今を受け容れて、今与えられていることに感謝することが幸せの一歩なのでしょう。

フランクルは気持ちが自分の幸せだけに向かっている場合は、なかなか本当の幸せを感じられない、周りの人の幸せに気持ちが向かっている時に、本当の幸せを感じられると言っています。

 

 


「痴漢に間違われたらこうなります!」 Satoki著 男性必読!

2014-05-27 00:05:57 | ブログ

痴漢に間違われたらこうなります!」 Satoki著 坂根真也監修

痴漢に間違われたら、逃げるのが一番よいとの意見もでました。しかし、逃げきれるとよいですが、捕まるとやっていなくてもほぼクロとなります。一方、逃げずに駅員室に行けば、いくらやっていないと否定しても、起訴されるとよっぽどのやっていない証拠が出されない限り、無罪になることはないそうです。

 

駅員室で話を聞きますと言うのは事実ではなく、駅員は警察を呼び、警察は警察署に連れて行かれるだけだそうです。

 

やっていなくても、認めると早くて当日、遅くても3日以内で罰金を払って釈放されますが、前科がつくことになります。一方、痴漢をやっていないからと認めないと、拘留/取り調べが最大23日も続きます。そうすると会社にもわかってしまいます。

 

会社によっては、有罪判決が出る前に依頼退職の選択を迫られる場合が多いとのことでした。

 

痴漢に間違われたら幾つかの判断機会があるとのことです。 

  1. 駅員室に行くか?行かないか?

    ⇒出来れば行かないで、その場で弁護士に連絡する。 

  2. 冤罪を認めるか?認めないか?

    ⇒早く決断して態度を変えないこと。 

  3. 弁護士をすぐに呼ぶか?様子をみるか?

    ⇒検事調べ前までに1秒でも早く。

  4. 弁護士に相談の上、冤罪を被るか?あくまで戦うか?

    ⇒メリット、デメリットがあり、よく弁護士と相談する。

  5. 専任弁護人は国選か?私撰か?

    ⇒お金に余裕があれば痴漢の冤罪に得意な私撰で弁護士を依頼する。

    100万円ほど

  6. 事件をネタに退職を迫られたら辞めるか?辞めないか?

    ⇒世間体を気にする企業であれば、起訴か不起訴が決まらない前に処分に動き出す場合がある。解雇を選ぶか依頼退職を選ぶかの選択

 

知っておくべきこと

・通勤通学中に「すみません」は禁句

・私人逮捕があるので、駅員室まで行った時点で、現行犯逮捕されたことになっている。

・自宅の家宅捜査が行われ、AVビデオなどがあると裁判での印象を悪くする。

「**痴漢」のタイトルがあるとそれを検事側から指摘される。

・痴漢冤罪とは、1人の男の人生を再起不能に陥れるほど恐ろしいものである。

・裁判は、疑わしい場合は被告に有利が原則であるが、痴漢に関していえば、疑わしい場合

は原告に有利の判断がされる。

・起訴されると99.9%有罪になるので、起訴されないようにすることである。

・痴漢罪はなく、迷惑防止条例違反またはわいせつ罪の適用になる。

 

 

著者が提案する方法は、常にICレコーダーを電車に乗る前にONにして、全ての会話を録音をしておく。警察の取り調べで暴言などがあると、それが明るみにでることを嫌がるので、不起訴になる可能性が高まる。録音したものの取り扱いは弁護士に相談する。

 

感想

 

痴漢に間違われたら、行先は真っ暗との感じでした。冤罪であっても直ぐに認めると前科が付くが、1日ほどで出られるので会社にも周りにも知られずに済むこともできると言うことでした。

 

中には女性が連れの男と組んで、女性が痴漢と叫び、男性が見ていたと言ってお金を取る事件もありました。その時は、女性の言っていることの矛盾があり、すぐに女性が自白したので直ぐにわかりましたが、そのような意図的な行為の場合でも自分の無罪を証明することが難しいそうです。

 

ある教授が痴漢に間違われて裁判で闘いましたが、数年かかりかつ専門の弁護士に付いて貰い、再現実験を行うなどして冤罪を晴らしました。ただそういうことで冤罪を晴らすことは至難の業だそうです。

 

電車に乗ったら女性から離れることですが、満員電車の中ではそうもできないです。手は鞄かつり革か本を持つのがよいのかもしれません。