幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

食料配布に700人超列、都庁前 物価高で「生活苦身近に」 ”日本は既に貧困国/変えるためには政治を変えないと/キックバック・税金中抜き・海外にお金バラマキ/岸田首相が高級すき焼き店で家族団らん”

2023-12-31 17:43:00 | 社会

 歴史的な物価高の中で年末を迎え、東京都内では30日、支援団体による食料品配布を求め、700人超が長い列を作った。昨年末より100人ほど多く、女性や仕事を持っている人の姿も。団体幹部は多数の失業者が出たリーマン・ショック時よりも状況は深刻とし「生活苦が身近なものになっている」と訴えた。 なぜ韓国の高齢者自殺率は高いのか 貧困と孤独…日韓で手探りの連携
 NPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」などは新宿区の都庁前で、果物やレトルト食品を719人に配った。1人暮らしの友人数人と訪れた同区の無職女性(75)は、食品価格も光熱費も上がり、貯金が底を突きそうな毎日という。「1日分の食事を2日かけて食べるようにしている。誰か助けて」とつぶやいた。


感想
 日本が貧困国だということは統計データだけでなく身近なところで実感できます。
・海外旅行したら海外の物価が高い
・海外でマックに入ったら、ビッグマックの値段が日本よりはるかに高い
・フードバンクに行例が増えている
・生産が安い賃金求めて東南アジアに進出していたが、最近では日本の安い賃金を求めて日本での生産に変わりつつある。

 日本が貧困国なのに岸田首相は安倍元首相を見習って、海外にお金をばら撒いています。
 そのお金は増税で国民から搾り取ったものです。
 大阪府市は税金で搾り取るだけでなく、カジノでさらにお金を搾り取ろうとしています。
 カジノなどのギャンブルは第二の税金と言われています。
あるいは貧者の税金とも言われています。
 ますます貧困者が増え、治安が悪化し、税金の投入が増えるでしょう。
実際そうならないと大阪府市民は気付かないようです。
大阪に7年住んでいただけにとても残念で悲しいです。
もう少しまともかと思っていました。

「熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録」井川意高著 ”大きなストレス(期待)/人は弱い/人を助ける仕組みが機能せず”

2023-12-31 16:54:54 | 本の紹介
・小学生から始めた1000点100円の家族麻雀(小学4年から)

・2泊3日の初カジノでは、種銭の100万円は失っていいと思っていた。その種銭はどうなったのか。なんと私は見事に大勝ちし、オーストラリアから日本へ帰国するときには100万円が2000万円まで膨らんでいたのだ。

・電話一本で振り込まれ続けた無担保の借金群
 なぜ106億8000万円もの資金を、子会社から次々と無担保で借り続けることができたのかか。ここは多くの読者が首を傾げる疑問だと思う。普通の株式会社組織では考えられないような単純な方法で、私は子会社に常識はずれの貸与をさせていた。
 子会社からカネを借りるにあたっては、私から子会社の役員に直接電話連絡を取っている。資金調達の理由について、多くを説明することはなかった。
「個人的に運用している事業がある。支給X億円貸与を頼む」
そう説明すると、
「わかりました」
と言ってすぐに資金を調達してくれた。貸与に協力した役員は、東京地検特捜部の取り調べに対して
「井川家が怖かった」
という旨お供述をしている。

・大王製紙を担当する監査法人のトーマツは、2010年7月29日の段階で資金貸付に気づいた。トーマツが経理担当者にそのことについて尋ねると、担当者は「井川の判断で事業活動の運転資金に充てている」という旨の返答をしたらしい。トーマツはその説明に納得し、さらに厳しく追及することはなかった。
 その後、2011年5月6日に私はトーマツの担当者と面談している。
「個人的に事業を手がけており、その運転資金として使用した。つなぎの資金が必要になった」
 そう説明し、2011年9月末までにはすべての借金を返済すると回答した。トーマツの担当者とは2011年8月3日にも面談しており、このときも「9月末までに返済する」と回答している。
 大王製紙には常勤監査役が2名おり、そのほかに弁護士2名、元国家公務員1名による非常勤の社外監査役を置いている。監査役会が開かれたときにも、不正貸与についてのチェック機能は働かなかった。

・カネの貸し借りは人間関係を破綻させる

・検事は調子抜けしながら、こう言ったものだ。
「井川さん、もっと気の利いたおカネの使い途はなかったんですか」
「気の利いた使い途というと・・・」
「悪い政治家や役人に裏金を渡すとかですよ。せっかく、特捜がここまで動いたのに、井川さんお巨額の借り入れの使い途は、99%がギャンブルで、残りの1%は飲み食いですから」

・いつ誰と、いくら賭けて麻雀をやったのかしつこく訊かれるのかと思いきや、麻雀の話題はこれっきりで終わってしまった。ただの雑談だったわけだ。あとでこの話を弁護士の大室先生にしたところ、
「検事も麻雀をやっているからだよ。だから検察は賭博罪は捜査しないんだ」
と言っていた。

・106億8000万円の借り入れ金と保釈金3億円

・東京地検特捜部に逮捕される直前の2011年10月、私はある精神科医のもとを訪れた。精神科医の診断書によると、私には「抑鬱状態」「アルコール依存症」「ギャンブル依存症」の三拍子が揃っているそうだ。

・マカオで多くのカジノを所有するカジノ王スタンシー・ホーが吐いた名言がある。
「客が勝って帰るのは怖くない。客にはいくらでも勝ってほしい。負けた客がカジノに来なくなるのが一番怖いのだ」

・創業者・井川家から独立した大王製紙
2012年6月26日、井川家は大王製紙並びに関連会社のすべての株式を北越紀州製紙に売却している。
株式売却が合意に至ったおかげで、一審判決を前にして私はすべての借金を返済することができた。

・懲役4年の実刑判決

感想
 創業家三代目の長男として親の厳しい躾と勉強、それに応えるために、親の会社に入っても一生懸命頑張って来た。
 社長を引き継いでもその期待に応えるように頑張って、それなりの実績を残してきた。
 そのストレスを解消するためにお酒に、そしてギャンブルにのめり込んでいたようです。

 マカオのカジノはその場でいくらでもお金を貸してくれたそうです。

 カジノはたまに勝つことがあるので、その喜び、ドーパミンがいっぱい出る、をまた体験したくて自分が見えなくなってしまったようです。

・お金をいくらでも借りられた。
 ・マカオのカジノの仕組み
 ・社長でお金が自由に使えた
 ・創業者家だったので、子会社に無理が効いた
・監査法人が機能していなかった。

 読んで思ったことは人は弱い。
弱い人を守るための仕組みが必要だということです。

 大阪万博の後には税金をまたたくさん使って、カジノを行います。
税金を使って、著者のような博打にのめり込む人を増やすだけのようです。
もうけるのはカジノ経営者だけのように思います。
 大阪府は貧困対策と犯罪対策にまた税金を使ったり、治安の悪化を招くだけのようです。

 カジノの怖さとデメリットを持って大阪府市民は学んでいただきたいです。
大阪にはカジノではなく、もっと夢のある、健康的な産業育成にお金を使って欲しいです。
 社会を悪くすることに税金を使ってどうするのですか?
日本には、パチンコ、競馬、競輪、ボートとたくさんギャンブルあります。
宝くじもギャンブルです。
かつ最近はネットのギャンブルもあります。
設備使わないギャンブルにこれからはさらに移ってきます。

 大阪万博の大赤字だけでなく、カジノの大赤字と治安悪化が目に見えるようです。
大阪府市民は子孫にマイナスなものを残して子孫にどう説明するのでしょう。

「不登校のこころ 児童精神科医 40年を生きて」渡辺 位(たかし)著 ”「常識」を疑う”

2023-12-30 18:00:18 | 本の紹介
・初診の日には、診断をつける対象に会うことよりも「今日はどんな子がくるのかな」と、その子ども自体に出会えることを楽しみにしてきたように思えます。

・上野動物園の前園長だった中川さんは、90%動物の側に立つと動物がわかっている、といっておられます。

・暴力化する理由
 ①朝起きて来なかったり登校の準備をなかなかしないので、家族が強引におこしたり行かせようとすると、抵抗して暴力を振るいます。当人にしてみれば、登校できないことへの負い目やバツの悪さを感じているだけに、それを無視した一方的なやり方への抵抗や反感から暴力的になるのです。
 ②なんとか登校しようとしても、それができない自分が情けなく、つらい苦しい気持ちから両親に頼って助けてもらいたいのですが、両親は子どものそうした心の内を察するどころか、大人や学校の論理で子どもに圧力をかけるので、頼りたい気持ちが反転し暴力化するのです。
 ③学校に行けない自分を「自分はダメな人間なんだ」と自責して人生を絶望し、「どうなってもいいや」と自暴自棄になることからの暴力化で、自殺にも通じる心理が働いているといえるでしょう。
 ④強迫神経症となった場合です。登校拒否に陥った場合、一日に何度も手を洗ったり着替えをしたり、その他同じことを何度もくり返したりと、強迫行為が現れてくることがよくあります。そして、その強迫行為が思うようにいかないことがあると、イライラしたり不安が強まってきて、興奮して暴力的になります。強迫行為が現れるのは、登校など社会で決められた枠にうまくおさまれないことに引き目を持ち、自分を責め、葛藤するからです。

・臨床経験からすると、たとえば登校拒否に陥っている子どものほとんどが自分の現状に否定的であり、一度は「死にたい」と思った者は半数以上にのぼる。それほど学校に在籍している子どもの欠席することへの罪悪感は強いのである。

・今なお大人社会は、登校拒否に対し、子どもの資質や両親の育児が問題だと信じ、強い偏見を持っている。それが登校拒否状態となった子どもとその両親への心理的圧迫となり、両親は一層子どもに再登校を願い、子どもはさらに引け目や負い目を強く持たされることにもなるのである。登校拒否状態にある子どもは、必ずしも人嫌いでも引きこもりがちな子どもでもない。偏見のまなざしを向ける社会と、その圧力によって学校教育にこだわり、「学校に行っていないと世間体が悪い」「学歴がないと将来生きて行けない」などといって登校拒否を受け入れることができない家族との間では、子どもはどこにも居場所がなく、まさに格子なき牢獄につながれたも同然となり、ときにはそれが死を求める動機にもなるのである。

・登校拒否への対応は、単純に子どもを息詰まる学校にふたたび戻すことでも、社会の都合に合わせた建前や通念にこだわり、それらによって子どもを束縛することでもなく、まず、社会の登校拒否への偏見をあらためることと同時に、個々の子どもの主体性が尊重されて、それぞれの資質にしたがい本質的な自己を自由に表現することが許され、それによって伸びやかな成長・発達が保障されるような子どもの居場所を大人側が真剣に考えることであろう。

・私も最初は不必要な入院を勧めた一人だったのですが、そうではないのではないかということに気づいてから、親と共に、家族と共にという時代が来るわけです。

・複数の家族との面接がきっかけとなり、「親の会」が生まれました。国府台病院のなかの登校拒否の親の会である「希望の会」は、このような事情からできたのです。・・・
十周年にあたる1983年に、記念にこれまでの会報をまとめては、という意見が出されました。そして、最終的には会報のまとめではなく、『登校拒否-学校に行かないで生きる』という本が出版されました。

・家族が安心して子どもの側に立つことをできなくしている社会の状況こそ、問題なのではないか、子どもを追いつめ家族をも追いつめる社会の状況こそ、病理性を持つものとして、”治療“の目標にすべきではないか。ということでした。

・“登校拒否を考える会”よりも、“登校を考える会”をつくって、子どもが登校しているけど、なぜ登校するのか、今のまま登校してよいのだろうか、などをみんなで考えてみるほうが大切なのではないかと思うのです。

・“おまえは学校に行けないダメなやつだ”と決めつけると、子どもも素直にそう思い込んで、“僕はダメ人間なんだ”と思いこんで、一生だめ人間である、という考えをもとにした人生を生きることになるわけです。

・物事を決めつけて考えず、幅広い柔軟な見方で見直すということが、悩みを抱える一部の人々だけではなく、もっと社会一般に広がらなくてはいけないと思います。人に対する、社会の考え方、見方、在り方が変わることがまた、社会との関係のなかで個別の悩みを持つ方の生き方を変えることにもなるはずです。

・登校拒否の問題というのは、登校拒否をつくりあげる「常識社会」の問題なんだといえるのです。そのような「常識」こそ、常識といいながらそれは人間ほんらいの自然のありようから出発した常識ではなくて、ほんらいの人間の在り方とは別の、たとえば社会側を中心にして考えた「常識」とでもいえるようなもので、その「常識」のなかで今いったような事態がおこっている、そういうふうに考えられるわけです。・・・
 そういう「常識」のなかで、人がほんらいの人であることが押しつぶされつつあると思うのです。

・私は最終的に、理由がどうであろうと、不登校があっても不思議はないと先ほど申し上げました。さらにもう一つ申し上げたいことがあります。残念なことですが、日本の学校の在り方が不登校を増やしているということです。 

・私はかつていろいろな本に「登校拒否の対応の三原則」と書いたことがある。でも最近はそrを強調するのをやめた。やめた理由というのは、三原則を書いたら三原則をその通りに守りさえすれば、また学校へ行くようになるかと思っている大人がいるからです。
 私はそんなことをいっていたのではないのです。その三原則とは、
 ①学校へ行け、行けという登校督促をするなということ
 ②本人もまわりも学校、学校といって、学校に行けないのか行けるのか、あるいは学歴、学力、学校体験などということにすごくこだわるので、そうった学校に関するいろいろなことへのこだわりを即刻とり去るということ、つまり学校や学校教育へのこだわりから脱却しろということ
 ③学校に行けない、行かないことは、それなりの価値なのだからをマイナスに見ない
ということです。

・要するに、病む社会のなかで苦悩する子どもにつき合っていこうと思ったら、社会を病ませている枠のなかの自分から一歩出ない限り、その苦悩する子どもとはつき合うことなどできはしないのだ、ということを申し上げたかったのです。
 そして、くり返しになりますが、なぜ子どもが苦悩する状態になるかというと、それは、大人たちが自分たちの「常識」で、病む社会のなかにまるでカゴのなかなの鳥のように子どもを枠づけして、登校拒否という事態に追い込むためだということです。そこで、そういう点について認識をしてみることが大事なんだろうと考えているわけです。

感想


 学校が子どもたちが安心して居られる場所でなくなってきているのかもしれません。
学校が安心して居られる場所と感じない子どもが増えているのでしょう。
あるいは教える先生側が安心しておられる居場所提供が減ってきているのか。
あるいは文科省の指導が子どもを国の発展のためにとの思いが強くなった人創りになっているのか。

 国のためではなく、子どもたち一人ひとりが幸せに生きるための知識と技術を学ぶ場であるところだと思うのですが。

 「東京シューレ 子どもとつくる20年の物語」奥地圭子著渡辺位先生のことがあったので、読みました。
 子どもたちが安心して居られる場所を確保したいとの思いで「東京シューレ」が始まったことがよくわかりました。

  これら3冊の本を読み理解したことは、「不登校の子どもを学校に通えるようにすることが子どものためにも大切で必要なのだ」と思っていたことがそうではないということでした。
 学校が居場所でない子どもを無理に学校に行かすことより、その子どもに合った居場所を提供し、子どもが自分の人生について考えることに大人が伴走者として寄り添うことが、子どものためにやることだということだと理解しました。



10円玉を持った少女「パンの耳だけ売って」母「ふざけんじゃないよ!」少女を救ったパン屋の大逆転劇 ”本当の信頼とは?”

2023-12-30 15:35:15 | 社会
私は30歳の専業主婦。7歳の娘と夫と3人家族です。私の両親はパン屋をしているのですが、最近ネットに嘘の書き込みを書かれたことがきっかけで、お客さんが激減しています。

その口コミは、「揚げパンに虫が入っていた」「店が汚い」など、嘘ばかり。家族は嘘だと分かっているものの、お客さんが減り続けたため、両親はお店を畳むことを検討し始めました。

お店の前に、10円を握りしめた少女が
このパン屋には、たくさんの人と繋がった思い出が詰まっています。
私が学校終わりにパン屋の手伝いをしていた、12年前のある日のこと。お店の外からか細くて服が汚れた女の子がじっと中の様子を見てくることに気づきました。

私がそっと声をかけてみると、「これで……この10円で、あのパンの耳だけを売ってくれませんか?」と10円玉を差し出してきたのです。
母の声が響いて
パンの耳は本来50円。私は少女を不憫に思い、10円をもらってこっそりパンの耳を渡そうとしました。すると後ろから見ていた母に見つかってしまったのです。

母は「ふざけんじゃないよ!金はいらないから、いくらでも持って行ったら良いんだ!」と山盛りのパンを大きな紙袋に入れて女の子に持たせました。

女の子は最初戸惑っていましたが、母のやさしさに触れて目を輝かせています。そして、笑顔で大量のパンを持って帰りました。

母は女の子の後ろ姿を見ながら「美味しいものを食べるとね、お腹だけじゃなくて心も満たされるんだ」と呟いていました。私はこんな素敵なお店が閉店することが、悔しくて仕方がありません。

閉店感謝セールに来た不穏な客
私たちは、にぎやかな思い出で終われるように、感謝セールを実施することに。SNSで告知をしたり、チラシを配ったりして、やれることは何でもやりました。
そして閉店当日、お店の前には長蛇の列が!

しかし、たくさんの常連さんに交じって、ガラの悪そうなお客さんが1人やってきました。高圧的な態度で「俺が前に買った揚げパンには虫が入ってたんだぜ?」「今日で店を畳むなら、この土地売ってくれ!」と周囲のお客さんに聞こえるように言い始めたのです。

店を守ってくれた女性は
すると、1人の女性が「ここのパン屋さん、昔から揚げパンはないですよ?」と助け舟を出してくれました。この女性の発言がきっかけになって、常連さんが「このお店はいつも清潔!」「虫なんて入っていたことないわよ!」と守ってくれたのです。

実はこの迷惑な男性は、悪徳不動産の従業員で、土地を狙っていたよう。常連客に詰め寄られ、男は逃げるように店を出て行きました。

少女の夢が動き出し
そして、助け舟を出してくれた女性は、12年前に母からパンをたくさんもらった女の子だったのです……! あれから遠くへ引っ越してしまったものの、SNSで閉店のことを知り、来てくれたとのこと。

母に出会ってから、パン屋さんになりたいと強く思った女の子は、現在製菓専門学校に通って、パン作りを学んでいるといいます。ひとつの出会いが、女の子の人生を大きく変えたのでした。

地域に愛されるパン屋に
お客さんに感謝を伝えるための閉店セールだったのですが、お客さんから口々に「閉めないで」と懇願されたことで、両親はお店を続けることを決意。そして悪質な口コミは嘘だったということもネットで広がり、今では客足が途絶えない人気店になりました。

誠実に生きていると、誰かがどこかで必ず見てくれているものですね。これからも地域に愛される両親のパン屋を、私なりに支えていこうと思っています。

著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
ベビーカレンダー編集部

感想
 お客さんで、そのパン屋さんの味などわかっているのに、ネットの信用置けない記事の方を信用したのです。
 それは本当のお客さんではないですね。
 ネットの記事よりも、ずーっと購入していたお店で体験したことを優先したいです。

 このお話のもう一つは、「情けは人の為ならず」ではないでしょうか。
人に親切にするということは、それは回り回って自分に戻ってくるのです。

 ネットに嘘の記事をUpした人は、そう言うことをしていると将来その人自身に牙を剝いてくるのではないでしょうか。

「学校に行かなかった 私たちのハローワーク」NPO法人東京シューレ編 ”学校に行かないを選択した先達”

2023-12-29 17:33:17 | 本の紹介
・桑尾俊平さん
「思い出したら大切な存在だった」
 色々な問題が山積していて大変だったし、時間が足りず辛かったけど、今となっては非常に良い思い出として、真っ先に出てくるシューレの体験だ。

・田口直子さん
「子どもと過ごす楽しい毎日」
 保育の仕事を始めた時、不登校の経験をして感じてきたことと保育というのは、ちょっと離れたところにあると思っていた。保育には保育のやり方があるから、自分の価値観だけで保育を考えるのは違うと思っていた。
 けれど、同じだった。子どもの発達にはある一定の目安があり、保育では目に見える結果を喜んだり「できる」「できない」の基準でるのを見てしまうことがある。
 二年目に出会った先輩の保育士は、しきりにあせらなくていい(子どもをあせらせなくていい)、ゆっくりでいいと言っていた。目に見える結果をあせって見ていくのではなく、子どもの時期を待つと、子どもは自分のベースで、きちんと一つひとつ階段をのぼっている。・・・
 不登校をしているときに感じてきたことや大切にしていきたいと思ったことを、保育のなかで大切にしてもいいだと思った。

・藤田法彰さん
「自分に逆らわず 自分にあった仕事をしながら」
僕は昨年から独り暮らしを始め、自分の給料で生活するようになりました。かつて、学校に行かなくなって、もうこれからは生きてゆけないと思っていた自分を、いまでは懐かしく、思います。

・角 絵里子さん
「たくさんの仕事経験そして育った場所で働く」
「小学校から学校へ来られなくなるような人間は、将来、風俗や水商売でしか仕事をすることが出来ないだろう」
 これは、私が不登校になった小学校になった小学校五年生のときの学生主任が言った言葉だ。
 それでもシューレで働くことを決めたのは、不登校は私の原点であり、シューレは母校のようなところで、いつかはスタッフとしてシューレに関わりたいと思っていた思っていたからだった。

・佐藤奈央さん
「今が私のターニングポイント」
 人生の前半戦、出会い、別れ、いろいろな事を経験し、たくさんのものが私の中に一生の宝として残っていくだろう。26年間で得たもの、何かひとつでもかけていたら今の私は「ない」のかもしれない。
 この先をすべての出会いに感謝して歩んで生きたい。

・黒川 然さん
「アイアム有罪」
 僕は、人との出会いや再会の中で自分の人生に大きなスパイスをもらっていると思う。どう考えてたって、ひとりぼっちでは生きていけない。

・倉知 透さん
「母がスイッチをいれた大工への道」
 母の死によって俺の人生にスイッチが入り、大工になる道へと押してくれた。40歳までには独立して、今までお世話になった皆さんに恩返しをしたいと考えている。

・鈴木祐司さん
「子どもを大切にしたいから始まった『子どもに関わる現場』を支援する仕事
 僕とシューレのかかわりは約9年になりますが「ただそこに居ること」を目的として時間を過ごすこともできる一方、教化的な学びのほかに『これをやりたい!』を仲間と共に挑戦できる場所という感じでした。
 このような環境で、自分と向き合いながら、仲間と共に自分の時間や生活を紡いでいくことは楽しくも難しくもありましたが、僕の様々な思考の礎んになっていると思います。
 もう一つの大事なのは、自分の経験を話すことです。
 不登校している、していないは他者から見たことであって、自分が生きていることに何ら変わりはないし、その中で自分が望むような出会いや学び、時間や暮らしをいかに納得した形で過ごせるかだと思います。最後は私個人の生き方や満足度、充実度の価値観の問題です。何かを始めるのに遅いことはないし、多少の制約があったにせよ、結果だけではなくそのプロセルも楽しめればいいと思います。

・石井志昴さん
「自分が経験した不登校をフルに生かして記事を書く」
 とにかく私も不登校だった。なぜ不登校をしたのか、本当はよく分かっていないが、中学二年生から、学校へは一回も通っていない。・・・その後、NPO法人全国不登校新聞社のスタッフとして働いている。
 仕事はいまもコツコツ勉強している最中だ。裁判の取材に行けば三権分立とは? というところから教わり、護憲問題の取材ではろくに読んだことのない日本国憲法も読んだ。その場その場で教わり、学びながら働いている。

・小池瑞穂さん
「歩いてきた道を振り返る時」
 薄暗い図書館の中、並び連なる本棚の間を一歩一歩進みながら、「思えばずいぶんと遠くまできたものだ」と思う。
 この文章を書いている私は、イギリス・スコットランドのエジンバラ大学に留学している。大学三年生から四年にかけての約一年間を使い、閃光の政治学を学ぶためである。
 私が学校に行かなかうなったのは中学校一年生、13歳の時だから、もう9年物月日が経ったことになる。その9年の間、私はシューレと出会い、たくさんの友人たちと共に多くの経験をした。そして、その後私は大学生となり、今は日本人留学生としてイギリスという遠い国で暮らしている。9年前、「学校へいきたくない」と泣きながら布団にしがみつき、将来の見えない不安の中でもがいていた時、こんな日が来ることを私は予想していただろうか。あの時の私は一人ぼっちだった。ただ「学校に行かない」というだけでの事で、世界のすべてが私に背を向けてしまったように感じていた。自分の手足さえ見えないような暗闇の中で、私を助け出してくれる人など誰もいないと思っていた。
 そんな私に、希望を与えてくらたのがシューレの子ども達が書いた『学校に行かない房から学校に行かない君へ』、そして『僕らしく君らしく自分色』という二冊の本だった。学校に行かなくなって半年ほど経った頃、母親が読んでいたそれらの本をたまたま手にした日のことを、私は今でもよく覚えている。そこに書かれていた体験記は、まるで私自身の言葉を代弁してくれているかのようだった。自分以外にも同じお身を抱えていた子達がいる、そしてなによりその子達の「学校に行かない」という生き方が認められて、元気に毎日を過ごしている場所がある。その時の私にとって、その事実は救いの光だった。自分自身の状況は何一つ変わっていないのに、曇った空が一気に青空に変わるように、私の気持ちもうれしさとともに晴れ上がった。それまで私に背を向けていた世界が、私の前で扉を開いてくれた気がした。そしてそれから更に半年ほど後、私は実際にシューレに足を運ぶことになる。
 四年前、シューレを退会する際、「これからどんなつらい事があっても、苦しいことがあっても、いつでも『シューレにいた自分』を好きだと言える私でいたいです」と語ったことを覚えている。あれから四年の月日が経ち、私はその言葉を折にふれ思い出す。私は今でも自信を持って「シューレにいた自分」を好きだと言え、そんな自分を幸せに思う。
 私の足は歩みを進めてきたのだと思う。死にたいと思うほどの苦しみでさえも、確実に私の人生を創り上げ、それなしではきっと今の自分はそんざいしなかっただろう。そして今振り返れば、四年前の自分から、驚くほど遠くに来ている事に気付く。

・須永祐慈さん
「自分の経験を通して メディアを創り、発信していきたい」
 僕は小学校4年生の時に学校に行かなくなった。理由はいじめられたこと。後ろの男の子からのちょっかいから始まり、朝登校すると上履きを盗まれ、廊下の隅にあるゴミ箱に捨てられていたり、教室に入ると自分のノートや筆箱がなくなっていたり、授業中にゴミや悪口の書いたメモが回ってきたり、そんな毎日を耐えつづけて学校に行くなかで、しだいに今度は何をされるのかと心のなかで身構えるようになった。だんだん僕の持っているエネルギーが消費され、何をするにも極度の緊張と不安に襲われ、体も精神も疲れていった。
 ある日、親が買ってきて家に置いてあった、東京シューレの子どもたちが書いた本を手に取って読んだ。僕と同じ思いを持っている人たちがいることを知って、気持ちが楽になった。読み終えてから、東京シューレに行きたいという思いになり、そのことを親に伝えた。
 シューレに行って、これまでに出会わなかったたくさんの刺激が一度にやってきた。シューレにいる人たちを目にして、本当にさまざまな人が居るのだということを、学校に行かない子どもが集まる空間に、いろんなことに興味を持つ魅力的な人たちが居るということ、さらにどんな過ごし方でもよいということに大きなカルチャーショックを覚えた。
 生きにくさを感じているそれぞれの場所から、ぼくたちは社会へのt問題提起をしていく必要があるのではないか。本づくりを始めとして、新しいメディアを創り発信していきたいと思う。

・愛甲香織さん
「仕事とは何か 過ぎていく毎日のなかで考えること」
 そして一番大きな「私にとっての仕事とは?」答えはまで出ていません。
 登校拒否をしていたころの私には、学校に行くこと・行かないこと、学歴社会への疑問、自分にとっての学校の意味などが最大の関心事であり、悩みでした。やがて「学校」から離れると、それまで自分の中を占めていたことがらは大したことではなくなり、また新たな悩みが生まれてきました。就職が大きな壁になったり、親やパートナーとの関係で行き詰まったり、仕事がうまくいかなかったり、これからの人生を思い悩んだり・・・。
 今までも、これからも、ただその時、その時の自分で精一杯のことをしていくしかない。良いこと悪いことひっくるめてぼちぼちやっていきたいと思います。

・菅野宏一さん
「社会と向き合うのは大変だけど 長い道のりをゆっくりと歩みたい」
 いい加減で甲斐性性のない人間がだらだら生きるには、この世はあまりに無情で生きにくすぎる。当たり前といえば当たり前であるが、それでも私はただ、この漫画のような世の中で、ウソを極力つかないようにいい加減に生きていきたい。私が望むのはそれだけである。

・江ヶ崎光太郎さん
「不登校のサバイバル」
 理屈っぽく、反抗的な上に、悪い遊びを流行らせるので、クラスの評判を気にする女性教諭とは対立が絶えなかった。
 私はそんな学校へ行くことに疲れ始めた。無意識のうちに、自尊心が削ぎ落とされ、いつしか、「病気になりたい。学校に行かない口実がほしい」と願うようになって行った。・・・本当に微熱が出たり腹痛が起きるようになった。
 私は、出会った人達の思いやりを受容できず、人と誠実に向かい合えなかった。自分は、とても豊かな出会いに恵まれていたことに気づいた。そのことに、今まで気づかなかった自分が悔しかった。
 夜毎荒れ狂い、もんどりうつ私を、数年間、彼女はひたすら愛し続けてくれた。私は、毎晩歪んだ心で生きてきた自分自身に怒り狂い、激しい悔しさと悲しみ号泣した。何度も自殺を図ったが、死ねなかった。
 やがて、苦しみ疲れ、精魂尽き果てて放心したとき、私の眼に彼女の瞳が飛び込んでいた。そこには、私がずっと求続けながら否認していた「愛情」があった。彼女の愛に気付いた時、私は初めて、自分の本心に誠実になれた、「俺は彼女を愛し、求めている」私は初めて勇気をふるい、彼女の愛情に、自分の中に眠っていたなけなしの愛情を引っ張り出して、誠実に答えた。
 そして「俺は決して自殺しない、生き延びよう」と決意した。
 自由に生きるためには、しなやかさと、したたかさが必要だ。

感想
 学校に行けなくなった子どもたちが辛い、苦しい体験を経て、今自分の人生を歩んでいます。
 人は今に納得しているから寄稿されたのだと思います。
同窓会に参加する人は今がそこそこ納得しているから参加されるように。
 上手く行かず今も悩み苦しんでいる人もいると思います。
でも東京シューレの場所があったからこそ、寄稿した人は自分の人生を歩まれているように思いました。

・自分のやりたいことをする。
・夢と希望を持つ
・心身の声を聴きながら無理をせず一歩一歩歩む
・上手く気分転換する方法を身に付ける
があると、人は頑張れるようにも思いました。

 馬を無理やり水飲み場に連れて行っても、馬が水を飲みたいと思わないと水を飲ませることができない。
 自分をどう上手くコントロールするか難しいです。
それは学校行く学校行かない関係なく一生の問題なのかもしれません。
 ただ、学校行っていた方が楽なのかもしれませんが、学校行かなかったことで普段だと体験できないことも多くあると思います。
 言えていることは学校行く行かないではなく、自分の人生をどうしたいかなのでしょう。
 小さい時は親が学校や社会の責任が大きいですが、大人になったらその比率は自分の方が大きくなるのでしょう。
 でもやはり社会が手を差し伸べることがあるとそれがしやすいのかもしれません。
 菅元首相が「自助⇒共助⇒公助」でこの順番が大切だと言われていました。
そうではなく「公助⇒共助⇒自助」ではないでしょうか。
頑張れる社会がないと頑張っても頑張っても徒労に終わる可能性が高いのが今の日本なのかもしれません。
 そのために税金を払っているのですから。税金を頑張れる社会のために使って欲しいです。