「最新図解 自閉症スペクトラムの子どもたちをサポートする本」 榊原洋一 ナツメ社
2017.7.6
「自閉症」から「自閉症スペクトラム」へと、その医学的な概念が広がったために、発達障害の過剰診断が増えていると感じます。単に集団行動への参加が苦手だったり、こだわりをもっているだけで、自閉症スペクトラムと診断された子どもが紹介されてきます。 (略)
さらに、こうした過剰診断に基づいて、多くの子どもが特別支援学級や特別支援学校を紹介されている (略)
と、"はじめに" にあった。
やっぱり、と思う。
性分なのか、病気なのか、
見極めは難しいだろうが、仮に病気だとしても
それを理解した上で、できるだけ、
隔離しない社会生活をすることが、
本人のためにも、社会全体のためにも
良いのではないかと思う。
全く意思疏通できないとすれば、また
別問題だろうが。
日本の「インクルーシブ教育」の問題点に
言及している。
日本では、国連で採択された「障害者の権利に関する条約」に同意したときに、その条約で定められた「インクルーシブ教育」を、障害者教育の根幹に据えることとなった。
インクルーシブ教育とは、障害のある子どもが、障害のない子どもと同じ教育の場(教室や学校)で、ともに教育を受けるということ。
日本はこれを取り入れる際に、条約でいわれるインクルーシブ教育の意味の本質を、独自のものにしてしまった。
文科省が、インクルーシブ教育は同じクラスで教育を受けるのではなく、障害のある子どもたちが、その地域の学校で教育を受ける、というように定義したのだ。
つまり、障害のある子どもを定型発達の子どもたちから分離して、地域内にある特別支援学級や特別支援学校で教育を受けさせれば、それは「インクルーシブ」であるとしてしまったのだ。
その結果、日本ではインクルーシブ教育がはじまってから特別支援学級・学校に通う子どもが増えている。つまり、ますますインクルーシブ教育から遠ざかっている。
障害のある子どもと定型発達の子どもの距離が広がりつつある現状について、国全体として再検討していく必要があるのではないだろうか。
なるほど、同感。
確かに専門知識が必要で、
今の教育現場では対応仕切れないと思うが、
ならば、対応できる方向に進まないと!
とまあ、きれいごとを並べたが、
実は知的障害者に普段接することはない。
ごく稀に、落ち着かなげに体を揺らしてたり、
パニクって騒ぐ子どもに出くわすと、
恥ずかしながら、
つい目をそらしてしまうことがある。
だからこそ、なおのこと、
"そんな人々がいる" という
社会全体の "慣れ" のようなモノも必要と思う。
さて本筋の「自閉症スペクトラム」について。
「スペクトラム」とは「連続体」という意味。
4つの視点から判断する。
①ことばの発達の遅れの有無
②対人関係の難しさ
③物事へのこだわりの強さ
④知的障害の程度
知的障害が"中程度~重い"と典型的自閉症、
"中程度~ない"場合は高機能自閉症、アスペルガー症候群。
早期発見の目安、症状の特徴、支援と治療、
サポートなど、具体的に述べられていて
とてもわかりやすかった。
あ、そうか、ということばかりだったが、
パニックの原因は、がまんが足りないからではないため、本人が不快に感じる状況に慣らしていくという方法は逆効果。不快や不安が度重なると、子どもはいっそう過敏になり、ささいなことでパニックを起こすようになる。
という一文が、目に残った。
直接関わることがあったら、参考にしたい。