活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

坐禅の意義2

2020年12月21日 | 坐禅

禅とは「実証」です。

実証とは「事実を示す事」です。

 

「事実を示す事」とは「理(理論)」においても「事(事実)」においても「実証すること」です。

 

私たち衆生の日常生活において「腹を立てる、非常に悔しい、不安だ」等々。

 

これらはみんな「自分の事実」ではありませんか。

 

みんな「本当の事(事実)」を出しているわけです。

 

みんな「自分の今の事実」です。

 

この「今の事実(今の自己の様子)」の外に私たち衆生は一体何を「事実」として探し求めなければならないかということなのです。

 


坐禅の意義1

2020年12月20日 | 坐禅

「禅とは何か」ということについては、はっきりとした答えが出ないと、何となく物足りないものです。

 

果たして私は、長い間坐禅をし、素晴らしい指導者に参禅しているのだけれども、何となく何処か一つかみ合わないような様子があるという人がいます。

 

また、言われることもよく分かるし、自分なりに一所懸命に務めているのだけれども、何処か一つかみ合わないような処があるという人もいます。

 

これらは、「真に坐禅の意義がよく分かっていない」からです。

 

あるいは指導者による、禅に対する説明がはっきりと用いられていないから、ということもあると思います。

 

ですからここで、「坐禅の意義」に対して「そういうものだ」というものをはっきりと「理(理論)」として、また、実際はお分かりにならない事も「理(理論)」としてお話させて頂きたいと思います。


坐禅の修行2

2020年12月19日 | 坐禅

本来の自己(因縁生)を見極め、実証するには、自分に対する執着(我見、自我の迷執)を離れなければなりません。

 

その為の修行ですので、何時までも「自分が基準」になって思ったり考えたりしていては、大変な矛盾を犯すことになります。

 

それで知らず知らずのうちに方向を誤らないようにという事から「仏道」というものが設けられました。

 

ですから、どうしても仏道というものを借りて「道」を歩いて自分の考えなどを捨てていく必要があるのです。

 

それが「坐禅の修行(道)」です。


坐禅の修行1

2020年12月18日 | 坐禅

今の状態が将来の結果に成ります。

 

今の状態が本当に満足のいくものでなかったら、「この状態」は十分後も十年後も、そして百年後も同じ状態の繰り返しになります。

 

今、無明を破らなかったら破る時は無いのです。

 

「持ち時間、根気」というものは、何時までもたっぷりあるものではありません。

 

私たち衆生は今、劇的な変化の中で生活しています。

 

迷い、不安、葛藤、孤独の状態の中で生活しながらも、それが邪魔にならないように、そういうものを「活かして生きる」ように修行していくことが「坐禅の修行」なのです。


坐禅を忘れる(坐忘)2

2020年12月17日 | 坐禅

「坐禅を忘れる(坐忘)」為に、別の言葉で言えば、「禅とか、法(道)とか、悟りとか、迷いとか」という事を忘れる為に今、自分は修行(坐禅)すると思って頂きたく思います。

 

全て分かった事も、分からない事も、どんどん捨てていく事です。

 

それが「忘れていく」という事なのです。


坐禅を忘れる(坐忘)1

2020年12月16日 | 坐禅

「今の多くの人間界の禅」では、「禅」という大きな網の中に入ってしまって、どうしてもその網から逃れる事、又は、這い出すことが出来ない状態にあると思います。

 

その状態から抜け出すには、「禅」を止める事です。

 

坐禅を止めて坐ってみて頂きたく思います。

 

そうすれば直ちに抜け出ることが出来ます。

 

それが「本当の坐禅」なのです。


坐禅の功徳2

2020年12月15日 | 坐禅

第三に「真実の愛」が目醒めます。

 

これは何故かと言うと、「相手と自分との間に全く距離(隔て)が無い」からです。

 

もともと一体の物、距離(隔て)が無い物ですから、離れるはずがありません。

 

第四に能率が高まるという事があります。

 

集中力が養われますから、勉強でも無駄なく効果を上げることが出来ます。


坐禅の功徳1

2020年12月14日 | 坐禅

「坐禅をして一体どうなるであろうか」という疑問を持つ人があろうかと思います。

 

少々、「坐禅の功徳」について説明させて頂きます。

 

第一に、自分の思う事、自分の考えているような理想的な物事に成れるということがあります。

 

すなわち、時間的にも空間的にも、全部が大きく自分の物に成るというわけです。

 

人間(にんげん)は本能として限りある物を嫌います。

 

「坐禅」に因って永久に「無くならない物」が掴めるという事です。

 

第二に、「一切の不安」から解放される事が出来ます。

 

 


坐禅の心構え2

2020年12月13日 | 坐禅

木材を切断する時に発生する「あの音」を私たち衆生は善い音とか、悪い音とか何か批判(判断)が出来るでしょうか。

 

批判(判断)は出来ないと思います。

 

「あの音」はどう仕様がないのです。

 

何故ならば、それは「標準が無い」からです。

 

自分の為の自分の都合という、何か「標準」があれば、「あの音」の批判(判断)は出来ると思います。

 

しかし、その「標準」が無かったら如何でしょうか。

 

色々な事が仮にあったとしても一つも問題には成らないのです。

 

「坐禅の心構え」は、どんな事が何の様にあっても「ある物があり、無い物は無い」のです。

 

ですから、内からも外からもそういう風な動きのままにしておく事です。


坐禅の心構え1

2020年12月12日 | 坐禅

近くの工場より木材を裁断する音が聞こえてきます(事実として)

 

「今の事実は体感(思考)する事」は出来ません。

 

「あの音」は私たち衆生がどんな風にしなくてもある訳です。

 

「坐禅の時の心構え」とは、何がどういう風にあっても構わないのです。

 

どうしてかというと、「妄想」といい「煩悩」という言葉はありますが、これらは物の一番最初としては「妄想も煩悩」も起きるものでは無いのです。

 

「無い物ねだり」をしても駄目なのです。