活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

本来無自己1

2020年05月22日 | 法理

道元禅師 正法眼蔵の中に「仏道をなろうというは自己をならうなり、自己をならうというは自己を忘るるなり」と、お示しになった文言(もんごん)があります。

 

「仏道をならうというは自己をならうなり」の「自己」とは「因縁生(いんねんしょう)」に因ってつくられたところの無自性」ということです。

 

ですから「中心の無い、何処にもつかみどころの無い自己」ということです。

これを「本来無自己」といっています。

 

ですからその自己を自分で見つけ出すために無自性(自性の無い)にならいなさいといっているのです。

それを「自分のものにしなければいけませんよ」といっているのです。