活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

「道」の修行とは

2016年10月15日 | 法理

私たち衆生は知(識)らないでいる間に眠ります。

眠っている間は一体誰が、自分は眠っているということを

知(識)っているでしょうか。

 

おそらく、「私は眠っている」 ということを自覚して眠っている人は

一人もいないはずです。

 

それと同じように、目を覚ましても、覚ましたということは

つかみようがありません。

 

ただ、「此の物」 を認めて、「私は目を覚ましました」 と言っているだけです。

それでは誰が 「此の物」 を認めて、「私」 と呼んでいるのでしょうか。

考えたことがありますか?

 

「考える、考えない」 にかかわらず、「私自身が私自身のことをしている」 のです。

ですから、本当は 「考えるということが出来ないはず」 なのです。

 

「自分自身を差し挟んではいけない」 とは、そういうことを言っているのです。

自分自身を介在させるから、ものが比較して見えたり、分からなくなるのです。

 

「道」 の修行とは、自己の介在を離れる修行をすることなのです。


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