不立文字 (ふりゅう もんじ) 、教外別伝 (きょうげ べつでん) の お言葉の語源をたどれば、おシャカ様の時代に遡ります。
「吾に正法眼蔵、涅槃妙心、実相無想 微妙の法門あり、不立文字、教外別伝、摩訶釈迦 (まか かしょう) に付属す」
と。
おシャカ様から二十八代目の祖師「菩提達磨大師 (ぼだい だるま だいし)」は、不立文字、教外別伝という教えを示されました。
「不立文字」とは、一切文字を立てない、本を読むな、文字にこだわるな、とか云いますが、これは勉強するなという事ではありません。
すべての事、一切のものが全部【文字に成った】という事です。
「不立文字」というと、言葉や文字、知識を否定したり、更に考えること迄 否定しなければいけないように誤解している人がいますが、そうではありません。
【文字によって理解する事がない】という事です。
「教外別伝」とは、仏典の他に (おシャカ様のお言葉以外のところに)、真意があるという事です。
達磨大師が、インドから中国に来られた時には「不立文字、教外別伝」の教えがなかった為に【仏の教えの中に】「安らぎの道」を求めて、熱心に討論され、経典が薬の効能書きのような役目を果たしていました。
仏教を最も明確に、しかも端的に示されたお方の一人が「菩提達磨大師」です。
達磨大師は 【一語の解説も注釈も加えず】に坐られたのです。
それも何なんと九年間です。
これこそ【事実のレベル】で、【事実の中から事実を示された】のです。
本来、この一事で仏教の教えの総てが語り尽くされているという事です。
「吾に正法眼蔵、涅槃妙心、実相無想 微妙の法門あり、不立文字、教外別伝、摩訶釈迦 (まか かしょう) に付属す」
と。
おシャカ様から二十八代目の祖師「菩提達磨大師 (ぼだい だるま だいし)」は、不立文字、教外別伝という教えを示されました。
「不立文字」とは、一切文字を立てない、本を読むな、文字にこだわるな、とか云いますが、これは勉強するなという事ではありません。
すべての事、一切のものが全部【文字に成った】という事です。
「不立文字」というと、言葉や文字、知識を否定したり、更に考えること迄 否定しなければいけないように誤解している人がいますが、そうではありません。
【文字によって理解する事がない】という事です。
「教外別伝」とは、仏典の他に (おシャカ様のお言葉以外のところに)、真意があるという事です。
達磨大師が、インドから中国に来られた時には「不立文字、教外別伝」の教えがなかった為に【仏の教えの中に】「安らぎの道」を求めて、熱心に討論され、経典が薬の効能書きのような役目を果たしていました。
仏教を最も明確に、しかも端的に示されたお方の一人が「菩提達磨大師」です。
達磨大師は 【一語の解説も注釈も加えず】に坐られたのです。
それも何なんと九年間です。
これこそ【事実のレベル】で、【事実の中から事実を示された】のです。
本来、この一事で仏教の教えの総てが語り尽くされているという事です。