「極小は大に同じ」というお示しがあります。
「此の物の真相」は大きい、小さい、という時でも、「此の物」に
大きいものを見る時は「此の物の有(在)りかた」をどうにかしなければ
ならないということがあるでしょうか。
同じ様に小さいものを見るときに「此の物の有(在)りかた」がどうある
べきなのかというようなことがあるでしょうか。
「此の物」はただこのままで決着がつくのです。
「境界(きょうがい)を忘絶す」とは何処にも区分の付けようがないのです。
何故ならば「此の物」には限りが無いからです。
「境」は何処にもないではないかということなのです。