団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

イノシシの親子

2023年10月16日 | Weblog

  散歩は、朝5時に家を出るようにしている。猛暑が続き、とても昼間歩くことなど不可能だった。10月に入って、やっと気温が下がって来た。夏、朝5時といえば、もう明るかった。どんな熱帯夜であっても、早朝は気温が下がって歩きやすかった。9月末から日の出の時間が少しずつ遅くなった。住む町の今日の日の出の時間は、5時50分。5時はまだ真っ暗で道路の街灯が煌々と辺りを照らし出している。

 日の出時間といえば、サハリンにいた時のことを思い出す。釣りをしたくて、現地のガイドを探した。リンさんという妻の現地採用の運転手の父親を紹介された。リンさんは、釣りはもちろん、山菜採りや狩猟に精通していた。例えば、釣りに行く日は、まず日の出の時間、海の満潮干潮の時間を調べてから決めた。釣り場に到着する時間を計算して予定が組まれた。今のように携帯電話やパソコンで何でも検索できるような時代ではなかった。現地にいた時は、リンさんが日の出は何時、満潮は何時、干潮は何時と言うのを当然のこととして受け流していた。どうやってリンさんがそれを知ったのか、もう知ることはできない。

 サハリンにはヒグマがいる。釣りや山菜採りに入った川や山では、ヒグマに襲われる危険があった。リンさんは、いつも私にヒグマに襲われた話を聞かせた。私が恐がるのを見て、喜んでいた。山菜採りやキノコ採りの時、リンさんはひとりでずんずん奥へ奥へと入って行ってしまった。私は、恐る恐るできるだけ平らで木々の無い場所に留まった。それでも誰もいない山奥なので山菜もキノコも日本では経験したこともない程、採れた。物音がすると私は、固まった。往々にしてそれは、リンさんが突然私の所に戻って来て音がしたのだった。リンさんは、山に入る時は、猟銃を持って行った。私を無理とおっぱなして、気にかけていないふりをして、実は、常に守ってくれていた。そういう配慮ができる人だった。

 妻は、サハリン勤務を最後に、前職を辞した。日本に帰国して、終の棲家を温暖な地の集合住宅に定めた。ヒグマはいないと思うが、猿や狸やリスがいる。住み始めてまもなく、妻が朝起きてベランダに十数頭猿がいたのを見つけ、大声で叫んだ。雨宿りで一晩過ごしたようだった。マーキングが凄くて、ベランダは異様なニオイがした。役場に電話した。驚いたことに猿被害対策部署が設けられていた。それだけ猿の害が多いのだ。言われたことは、マーキングのニオイを消すことと、ゴム製の蛇のおもちゃを置くことだった。夏網戸にしていた時、子猿が網戸を開け、台所に入り込んだのを、やはり妻が見つけた。妻の金切り声に驚いた猿は、網戸から逃げた。

 1年に5,6回猿の集団が裏の竹林や我が家のベランダに来る。ガラス戸に体当たりしてくることもあるが、観て見ぬふりをしていれば、1時間も過ぎれば、また移動して去っていってしまう。今では36匹の大集団になっている。

 10月13日、夕方駅に妻を迎えに行った。集合住宅の前の坂道を上がって来ると、頭にヘッドライトと腰にもライトをつけてジョッギングしている男性がくるくる回っていた。何しているのと思った瞬間、私の車のヘッドライトが動くモノを照らし出した。まさか。イノシシの親子。母親と2匹のウリボウだった。ジョギング中の男性は、イノシシを見て逃げようとしていたのかもしれない。熊でもイノシシでも子連れは危険だ。何事もなく3匹のイノシシは、道路を進んでいった。この辺にイノシシがいるとは聞いていたが、自分の目で見たのは、初めてだった。

 次の日から散歩のコースを変えた。自分が今住んでいる場所が、サハリンの山中のように感じる。


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