昨年の家庭菜園のジャガイモは小粒で不作だった。
今年は、春にあの有名な「勇知イモ」を栽培したく、稚内市農業委員会会長の大硲氏に頼んで種イモを送っていただきまいてみた。そのイモの収穫を一部行ったがまずまずの出来である。塩煮にして食べてみたがとても甘みがあって美味しい。
「勇知イモ」は何故有名か。大硲氏によると「かつては全国で奨励品種として栽培された農林1号で、地元の地名をとって勇知イモの愛称で呼ばれている」。「かつては、和紙の包んで皇室に献上したこともあって地域のブランドとして多く栽培されていた」という。
昔はジャガイモ栽培が支流だったが、酪農の進展とともに栽培する人がいなくなったものを遊休農地を活用させるために、民間会社の協力で復活させたという話を聞いたことがあった。その復活の担い手が大硲会長だという。まさに農地の守り手だ。
僅かな数だが、その有名なイモを栽培した。播種が遅かったから出来具合を心配していたが、まずまずだ。全部掘るのをやめて、もう少し大きくなることを期待して収穫をもう少し後にのばしてみた。
収穫の最中に、ソフトクリームを食べに来たお客さんがいた。「イモをあげるので持って行かないかい」の言葉に「喜んでいただきます」との答。
夫婦二人ではとても食べきれない数。収穫とともに身内や知人に送ることになる。
こんな事をしながら小さな小さな収穫の秋を楽しんでいる。牛ちゃん達にも手を十分かけながら・・・。
今年は、春にあの有名な「勇知イモ」を栽培したく、稚内市農業委員会会長の大硲氏に頼んで種イモを送っていただきまいてみた。そのイモの収穫を一部行ったがまずまずの出来である。塩煮にして食べてみたがとても甘みがあって美味しい。
「勇知イモ」は何故有名か。大硲氏によると「かつては全国で奨励品種として栽培された農林1号で、地元の地名をとって勇知イモの愛称で呼ばれている」。「かつては、和紙の包んで皇室に献上したこともあって地域のブランドとして多く栽培されていた」という。
昔はジャガイモ栽培が支流だったが、酪農の進展とともに栽培する人がいなくなったものを遊休農地を活用させるために、民間会社の協力で復活させたという話を聞いたことがあった。その復活の担い手が大硲会長だという。まさに農地の守り手だ。
僅かな数だが、その有名なイモを栽培した。播種が遅かったから出来具合を心配していたが、まずまずだ。全部掘るのをやめて、もう少し大きくなることを期待して収穫をもう少し後にのばしてみた。
収穫の最中に、ソフトクリームを食べに来たお客さんがいた。「イモをあげるので持って行かないかい」の言葉に「喜んでいただきます」との答。
夫婦二人ではとても食べきれない数。収穫とともに身内や知人に送ることになる。
こんな事をしながら小さな小さな収穫の秋を楽しんでいる。牛ちゃん達にも手を十分かけながら・・・。