ぶんちゃん日記

最北の、何もない静かな山奥「ぶんちゃんの里」のオーナーの交流日記です!

酪農家の担い手

2008-01-30 20:22:59 | Weblog
 酪農家の高齢化や担い手不足が大きな課題になって久しい。
私達の町でも数年前に、離農者が相次ぐなかで「新しく酪農を始めようとする方を育てていこう」と言う事で、酪農家が中心になって浜頓別町「ゆめ酪農」育てる会という組織を立ち上げ、酪農実習や研修を希望する沢山の若者を受け入れてきた。

その受入組織の今年最初の会議が今日開かれた。私も組織の責任者として会議をリードしてきた。
新年度から、公務員を退職して酪農の道を歩みたいと希望する2人方の受入れとその方々を受け入れて頂く、受入れ農家を決めた。

一度も酪農を体験したことのない人に、肉体的な酪農の仕事を教える事は、受け入れて下さる農家さんも大変な仕事の一つになる。
しかし、新しく酪農を始めたいと願う若者を育て、農村社会を活性化させたいとの願いを実現させるために超えなければならないハードルの一つでもある。

飼料の高騰や相次ぐ油脂などの値上げで、厳しい情勢下にある酪農だが、担い手不足が大きな問題だけに受入農家さんの大きな負担を理解して頂く意外にないのかも知れない。

4月から入ってくる、「公務員退職さん」の2人の頑張りを心から期待したいと思いながら会議を終えた。
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小川牧場の新年会

2008-01-29 10:15:01 | Weblog
遅い時期ではあったが、小川牧場の新年会を町のホテルで行った。
私ども夫婦と千葉県くんの研修生、親しくしている2家族それにJAの方2人を招いてのものだった。夕方の牛のお世話を早めに行い、早々と出かけた。

私どもは年に何度か牧場主催の杯を交わす機会を持つ。ただ酒を飲みおしゃべりをし、気が向いたらと言うより、お金があったら2次会へといく程度の事だ。
こうしてコミニュケーションをとることはとても意義あることだと思っている。

この日も随分と呑んだように思う。0000円の料理に酒は持ち込みと、とても便利な宴会プランである。
「酒の席」は、なにを言われても笑って過ごせることも特権かもしれない。
4月の研修期間を終了する千葉県くんは、アルコールを呑めない年でもあり、「冷やかし」の冗談も多数とんだ。腹を抱えて笑っている。

この日は珍しく2次会へと進んだ。席につくなりマイクを手にする人もいた。ヒマに時期か、2次会店は貸し切り状態だ。次々に唄が飛び出す。最高のコミニュケーションだ。時を過ぎるのも忘れて酒と話と唄は進む。

しかし、牧場の我が家にとって飲み過ぎたからといって、次の日ゆっくりと寝ている訳にはいかない。どんなに辛い朝であっても、いつもの時間に枕元の目覚まし時計がなり出す。頭はガンガンしていても厳寒の中に飛び出す。

小川牧場の新年会・・・夕方までの頭の痛さが取れてきた頃、昨夜の新年会は「楽しかったね」と妻と語り、そんなことをエネルギーにしてまた日々の牛飼いに精を出す。
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観光に関する検討会

2008-01-28 10:13:37 | Weblog
数日前に「観光に関する」検討会が宗谷支庁の主催で開かれ、私も初めてそのような場に参加した。宗谷支庁が進めてきた事業を検証する事と、観光素材となのモデルルートを作成するにあたっての検討会のようだった。

私自身、検討会の内容を理解しないままでの参加であったために十分に論議に参加したり、自分の考えを述べることは出来なかった。
2年前に観光素材の実施検証なる評価が行われており、その中に私の体験施設「ぶんちゃんの里」も含まれていたのは驚いた。
項目に沿った評価は決して悪いものではなかったことは良かったと思った。

検討会でも述べられていたが、昨今の観光客の入り込みの特徴はバス等によるツアー的なものから、家族や個人型へと変化してきたという。それに対応した受け入れ態勢とニーズに答える内容の充実が求めれれるとおもう。

その一つは地元の資源を生かした体験だと思う。自分のやっている酪農体験などは大いに発展出来る要素をもっていると、勝手に思っている。
しかし、なかなか発展しない。やはり取り組みが「ヘタ」なんだろうとつくづく想うがそれほど不満には思っていない。
なぜなら、本業は酪農であり、その中に組み込まれた一つの消費者交流の体験という認識だからだ。

今、農業体験は子どもたちの成長にとって重要に位置づけられていると言っても過言ではないと思っている。そのひとつの現れに、高校生などによる酪農体験等を修学旅行に取り入れていることや新年度から国が始めようとしている、「こども農漁業体験プロジェクト」なるものがある。

私は、酪農体験等に訪れた家族や子どもたち、若者に「酪農を通しての食や命の大切さ」を声を大にして伝える。「本来動物の乳は、自分の子に与えるもの、牛のお乳はみんな人間が頂く。雄牛が生まれると売られ、殺され人間に焼き肉にされる」「牛から命を頂き、私達は生きている」という話しを真剣に聞いてくれる。

酪農経営を守りながらではあるが、酪農体験の人々がもう少し増えるように頑張らなくては・・・。

観光に関する検討会・・・。初めて参加してみたが、観光産業として発展させるために、もっともっと全体を検証しビジネスとして確立させるひつようがあることを感じた時間であった。

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流氷の接岸

2008-01-26 19:38:23 | Weblog
一昨日の強い風にのって、私どもの集落に面するオホーツク海に早くも流氷が接岸しました。
網走の方から北上するようにギッシリと、浜頓別までの海岸をしろ一色に埋め尽くしました。

流氷が近づいたり、接岸したりすると朝夕の冷え込みは、肌身にささるような寒さを感じます。「やっぱり流氷の威力は凄い」と感じちゃうもんです。

早々に今日の午前中カメラ片手にHPの掲載用の取材に出かけ撮影してきました。
珍しい事に、流氷の上に3~4羽のオオワシとオジロワシが羽を休めていました。残念なことに望遠レンズを忘れてしまい撮影にはいたりませんでした。
近づいて行くと、また数羽のオオワシが・・・。よく見るとアザラシの死がいにありついていたのです。

これから風の吹き方によってオホーツク海の姿は変わります。白一色が一夜にして青色の海へと変わってしまいます。そんな光景を見ながら「あと1ヶ月の辛抱だ」といって寒さとガッチリと闘っていき、まだまだ先の春を待ち望みます。

流氷の接岸・・・感動的な光景とともに厳寒をも運んできます。

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吹雪はたいしたことなく

2008-01-24 19:48:25 | Weblog
爆弾低気圧の襲来といわれ心配していた我が家の周辺でしたが、道の通行止めもなく安堵しました。
全国的には、被害も多くあったようでお見舞い申し上げます。
町へでるために通る国道の風速も13メートルと強かったですが、雪がふっていなかったのが良かったようです。

降雪や吹雪の時に大変なのは除雪です。牧場の敷地が広いため排雪は全てロータリーでとばすことになりますが、今冬の吹雪に備え20年ぶりに除雪機を入れ替えました。
そんな除雪機は大活躍です。
  「どん~~と来い!!吹雪!!」といった感じです。
1㌔離れた老夫婦家の除雪もしっかりと守ってくれる除雪機です。

でも、やっぱり除雪機の出動の少ないほうが良いです。
今日の風で流氷の初接岸があるだろうか。

吹雪はたいしたことなく・・・よかった・・。
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13年間の・・・・その2。

2008-01-23 10:51:21 | Weblog
 13年前に「学校をなくしてはならない」との思いで始めた山村留学生の宣伝のキャッチフレーズは「おえいでよ大自然の中に。宅地200坪の無償提供」だった。「一家で移住して家を建てて下さい。土地はタダで上げます」・・と。
当時、反響はすごいものがあった。

私は、問い合わせの窓口だった。全国の色々な方と電話で語った。現地にも来てくれた。子ども1人で里親させたいと言う人。親子で留学したい言う人。そして一家でと。
「地域の人々のやさしさや学校の素晴らしさ、大自然に感動した!!」といって留学を決意したかたもおおかった。

ちょうどその頃、私自身も家庭的に課題を抱えていた。老いた母と2人暮らしだった。留学の問い合わせの中には、私とおなじような境遇の方もいた。そんな時、私は積極的に自分のおかれている状況を話し、相手に心を開いてもらうように努めた。そう言う話しを繰り返しながら互いに信頼関係を築き、留学へと進んだ方もいた。

家族で移住したり、親子で留学する方の親の仕事探しは大変だった。なんといっても生活が第一だから。
地元の人でさなかなか仕事につけないと言う厳しさの中で・・・。しかし、企業関係者の方々は私達の取り組みを温かく見守ってくれていた。
 「人はまにあっているが協力するよ」との言葉を何度も聞いた。そうやって働く場所は確保されていった。そんな温かい志を無にして簡単に辞める親もいたことも事実だ。

初めて留学してきたときは、多くの集落の住民が集まって歓迎会を開いた。そしてまた、留学を終了して帰宅される方にもみんな集まって送別会を開き、共に涙を流し分かれを惜しんだ。

その年度によっては、全校児童の8~9割が留学児童がしめていた年もあった。
どこの市町村でもそうかも知れないが、我が町の「財政事情も厳しさを増した」ということで留学生に出されていた補助金の減額も始まった。
昨年11月には、多額の無補助金を使っていることからか、町の行政監査も受けた。そのなかで、学校のあり方、山村留学のあり方の指摘も受けた。

始めてから、13年の月日が流れその年度も終わり近づいていた。
その1月21日の役員会。
 私は、責任者として会議のレジメの協議事項の第1に、北海道北オホーツクの大自然で学ぶ会の組織の解散を提案議題と記した。
論議を深めた。そして決めた。新年度からの募集の停止。夏頃にセレモニーやって組織の解散をと・・。

会議が終わって帰路の車中。自然と「おわった!!」という安堵の気持ちが脳裏を横切った。が同時にいろいろと美辞麗句を並べ発言したが「オレはいきずまっていたのでは・・」というむなしさも残った。
「13年間の活動の役割を終えたんだ」と少し無理して思うようにしたら、気が楽
になった。

 13年間の・・・その2。 いろいろな人々と出会えた。何よりもの財産だ。
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酪農ヘルパーの会議

2008-01-22 20:22:28 | Weblog
「生き物あいての酪農は365日休みなしだね」とよく言われることがある。
北海道の酪農家も、そう言う時代から脱してからは、それほどの年数は立っていない。私達の町でも「酪農ヘルパー利用組合」ができてからまだ20年位である。
この制度が出来たからこそ、「休みなし」の時代から解放されたのです。

冠婚葬祭、温泉への家族旅行、研修会への参加等、経営主やその家族は、牛の世話をやって頂くヘルパーに任せて安心して出かけられる。
その酪農ヘルパーは専門職として私達の町に5名いる。年齢層も20歳~40歳までと幅が広い。男女ともにいる。

昨日、その酪農ヘルパー利用組合の会議があった。私も役員の1人して参加したが
、頼りにしてきたヘルパーがこの3月末に3名が退職するという。まだ後任が決まっていないという非常事態だ。
 未経験の方を育てるのにも相当の期間が必要とされる。酪農家の人々は、それぞれの予定を立ててヘルパーを依頼する日を決める。
すでに、4月の予約も入っているが、後任が確保されていないために日程が組めないという。

早急に手分けをして人員確保に努める事を確認しあった。私も4月末には東京出張が予定されている。ヘルパーがとれないと当然参加出来ない。
それくらい酪農家の生活スタイルにとってヘルパーは重要なものだ。各方面に募集している。応募を待つしかないね。

  あっ!!  「13年間の・・・その2」は・・。明日にしょう。

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13年間の・・・・その1。

2008-01-22 04:06:54 | Weblog
私達の集落には小さな学校がある。
大正5年に開校して以来今日まで多くの卒業生を出している。小さな集落だけども長い歴史の中では、100名を越す児童が在籍していた時期もあったことが記録に残っている。

そんな学校が、いまから15年前に「危険校舎に指定されて久しくなり新しく建て替えてもらおう」という要請運動がおこった。しかし、同時に「13名の児童しかいない学校を新しくするのはお金の無駄ではないか」という議論もあった。
当時、先を見通しても子どもの増える見込みは全くなかったから当然の意見だった。

農村地帯の集落の学校は、集落住民のコミュニティの場として重要視されてきた。それだけに「学校を集落からなくしてはいけない。新しく建て替えてもらおう」とのことで意見の一致を見た。だが、このままの児童数ではダメだ。ということで試作がねられた。

そこで考えられたのが「山村留学」だった。
「集落活性化の為に学校をなくしてはいけない」「都市に住んでいる子どもたちにゆたかな大自然の中で健やかに成長して頂きたい」との2つの願いと目的をもって始めたものだった。

あれから13年の月日が流れた。
この13年間にのべ150名超える児童が全国から山村留学した。親子留学した方や家族全員で移住した方は5家族になった。まさしく学校の灯は守られ、地域は息づいた。

しかし、決して良いことばかりではなかった。せっかく留学しても、地域や学校がなじまないといって戻られた方、契約違反して留学の解除になったかたがでたとき等は心で泣き送りだしたこともあった。問題が起きた時は住民一丸となって課題解決にあたってきた。

この13年間のうちで新しい留学生をむかえないで新年度を迎えたのは、昨年度が初めてだった。確かに色々な課題があったことも事実だが、ひそかに山村留学に陰りが見えたように感じていた。「少子化の時代か」などカッコつけて考えたりした。

毎年のように20名ほどの問い合わせがあったが、今年度は皆無に近かった。「なんとかしたい」との事から色々な宣伝戦略や留学スタイルも考えだされた。

年が明けた1月初旬。東京と神奈川から親子留学を希望している2家族からね資料の送付依頼のメールがとどいた。今年度最初の問い合わせだった。

この同じ頃、山村留学生を受け入れる集落の組織「北海道北オホーツクの大自然で学ぶ会」が「今後の山村留学の方向生を考える」重要な会議を開いていた。

13年間の・・その1。  まさしく今、小さな集落の13年間の集大成とも言える方向性を決めようとしていた。
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ジャム作りに頑張る妻

2008-01-20 21:11:07 | Weblog
今の時期、世界一小さい私の牧場の「牛乳のミニミニ加工室」は、深い雪の中に覆われている。1ヶ月に数回しか製造しないために入るたびに雪なげ作業に汗だくになって「ミルクジャム」製造にがんばっているのが、わが妻である。

「それだけ売れていない」と言うことを証明している表現のようですが、「1ヶでもご賞味してくれる方がいる事に感謝している」とは妻の弁でもあり、私の喜びでもある。

そんな喜びと感謝の気持ちを互いにもって2ヶの注文でもあると、せっせと箱詰めをして発送している。食べてくれる方がどんな方で、どんな表情で食べてくれるだろうかと想像して・・・・。

ジャム作りに頑張る妻・・・・今年になって2回目のミルクジャムの日記。「妻の頑張りを書きたかったのだろうか」とふと思った。決してゴマすりではないと思われる事を念じつつ。
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孫と昼食

2008-01-19 20:12:56 | Weblog
新1年生になる孫に机を買ってやる約束をしていた。
その約束を実行すべく妻と2人の孫を連れて、30㌔離れた隣町の少し大きな商店に出かけた。
オモチャ売り場を通って机の並べているところに行ったが、2人の孫はどこえ行ったか周りにいない。オモチャのところに止まったままで前に進もうとしない。
机などなんの関心もないようだ。当然と言えば当然かも知れない。「通って来るところめが違ったね」と妻と顔を見合わせた。「子どもらしくて良いんじゃない」と満足した。

さて、机は・・・・。6台ならべてあったがどうも気に合ったものではないことと、定員の「ボサッと」していた態度が気に入らず帰ってきた。
机は後回しにして昼食をとることとにした。

久し振りの孫との外食。アイスにお子様ランチ。とてもとても賑やかな昼食。周りの人に迷惑がかからないようにと気が気でない。いつも自宅でもこんなに賑やかに毎日食事をしているのか~~と親の大変さも感じたし保育所でのお世話の大変さもわかる。
賑やかであっても私どもにとっては満足する時間だったようだ。

さてさて、机は・・・・。昼食後、2商店をまわったが在庫がなく購入できず。
結局、「休み明けにいつもの店で注文することにしょう」となる。
いまの時代、「こんな買い方ってとてもとても田舎くさいんじゃない」と心の中で思いながらも、「地元での消費こそが地域の活性化になるのだ」と勝手に自分に言い聞かせて・・・。

孫に振り回されながらも、慌ただしく終わった1日であった。

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